2011年7月21日木曜日

秩父鉄道の第4種踏切~事故をくりかえさないために

 7月17日、JR高崎線熊谷駅から秩父鉄道に乗り換え、羽生行きの普通列車に乗り、東行田駅でおりた。

 東行田駅には、歩いて10分ほどのところに、警報機・遮断機が設置されて間もない東行田NO.5踏切がある。

 この踏切では、2008年9月に部活に行く途中の中学生が、2009年12月には近所に住む幼児が列車に撥ねられて亡くなった。事故当時、踏切には、警報機や遮断機がなく、車両の進入を防ぐポールはあるものの、線路の周囲には人の出入りを防ぐ柵もなかった。そういうところを急行列車が走っていた。
    事故当時の東行田桜町踏切。列車が来た左側は民家があるので、見通しが悪い。
                                     2008年10月9日撮影

2010年秋、踏切の通行者のために、人が踏切に近付くとセンサーで反応し、注意を促す音声装置が設置された。


2010年秋、音声装置(左側)が設置された。     2010年12月8日撮影
桜町踏切の周辺は、宅地化が進み、2008年10月に来た時よりも新築された住宅が増えているようだった。
 その後、国土交通省の指導で、この踏切は第1種踏切に改善されることになった。2011年はじめ、ようやく踏切に警報機や遮断機が設置された。
 
 その踏切に、7月、やっと足を運ぶことができた。桜町踏切で中学生が亡くなってから、今年の9月で、3年がたつ。もっと早く、事業者や行政が、踏切を安全に渡れるように対策をとってくれていたら、幼い子たちが亡くならずに済んだかもしれないと思うのは、私ばかりではない。
 運行本数や急行列車を増やすなら、踏切や鉄道を取り巻く環境を分析して、環境の変化に応じて、安全対策を講じてほしいと思う。

桜町踏切に警報機・遮断機が設置された。     2011年7月17日撮影
再び秩父鉄道に乗り、東行田駅から、秩父大野原に向かった。大野原駅から、やはり歩いて10分ほどのところに、黒谷7号踏切がある。
 2010年5月、県立高校の創立記念日で登校するこの高校の1年生が、この踏切を渡っているところを撥ねられて亡くなった。やはり、警報機も遮断機もない踏切で、停止線すらなかった。また、踏切の手前は下り坂になっており、自転車では、停止せずに踏切に一気に入ってしまいかねない。
 事故の直後、下の写真のように自転車が踏切にすぐに入らないように三重に柵が置かれた。

事故のあった大野原黒谷7号踏切。        2010年5月24日撮影
今回、事故後どんな対策がとられているのか、行ってみると、踏切手前に大きく「止まれ」と書かれていた。また、通行人に音声で注意を促す装置やU字の柵が設置されていた。
大野原黒谷7号踏切。 踏切に向かって下り坂になっている。
                       2011年7月17日撮影

2011年7月17日撮影

 しかし、依然、踏切の路面は幅1メートルくらいで狭く、凸凹して歩きづらい。お年寄りなどは転びやすいのではないかと思った。自転車に乗っていて、路面からはずれて落ちると危ない。(右の写真)


2011年7月17日撮影

注意を促す音声装置(左の写真)








  鉄道事業者や行政には、踏切を取り巻く環境や通行する人の変化に注意してほしい。小さな第4種踏切(警報機・遮断機ともにない)や第3種踏切(警報機はあるが遮断機はない)は、お年寄りや子供が、車両が通行する第1種踏切を避けるために通ることも多い。踏切が、交通弱者と言われる人たちも安心して渡れるところであってほしい。
 近くに学校ができれば、児童や生徒が踏切を通行することもある。学校では生徒や児童に危険な踏切があることを知らせ、渡る際に十分注意するよう指導することも大切だが、同時に、行政や保護者とともに、危険なスクールゾーンをなくす努力もしてほしいと思う。

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