2009年7月31日金曜日

神戸検察審査会 明石歩道橋事故、「起訴相当」を議決

 神戸検察審査会は、30日までに、明石歩道橋事故の遺族が申し立てをしていた、明石署副署長の不起訴について、「起訴相当」の議決をしたことがわかった。
 今年5月改正された検察審査会法が施行され、2度「起訴相当」の議決がでれば、検察が起訴しなくても、裁判所が指定した弁護士が公判を行うことができることになった。

 元地域官らの刑事裁判でも、明石市などの責任を認め賠償を命じた民事裁判でも、明石署長らの過失責任にも触れ認めているのだから、神戸地検が明石署副署長を起訴するのは難しいとは思われない。
 検察は、市民の良識が反映された検察審査会の議決を重く受け止め、再捜査し、副署長を起訴して裁判を行ってほしい。


《参考記事》
明石歩道橋事故、明石署副署長は「起訴相当」 神戸検察審査会 7月30日20時33分配信 産経新聞

 兵庫県明石市で平成13年7月、花火大会の見物客11人が死亡した歩道橋事故で、神戸第2検察審査会は、業務上過失致死傷容疑で書類送検され、神戸地検が不起訴処分とした当時の明石署副署長(62)について、「起訴相当」を議決した。元副署長に対する「起訴相当」議決は3度目で、2度続けて起訴すべきと議決されれば自動的に起訴されるとした改正検察審査会法施行後では初めて。議決は15日付。

 事故をめぐり、地検は現場で警備を指揮していた同署の元地域官ら5人を起訴したが、当時の署長(平成19年に死去)と副署長は不起訴処分とした。これに対し遺族は、これまでに2度不服を申し立て、検察審査会は16年と17年にそれぞれ「起訴相当」と議決。しかし、地検はいずれも不起訴処分としたため、改正法が施行された5月21日に3度目の申し立てをしていた。

 議決書で審査会は、元副署長の過失について、事故のあった歩道橋は駅と花火大会会場をつなぐ唯一の通路のため、雑踏事故の危険性は予測し得たと指摘。さらに、「警備計画策定に深くかかわりながら、不十分な計画内容を把握せず、過失は優に認められる」とした。

 事故は13年7月21日の発生で、業務上過失致死傷罪の時効は5年だが、刑事訴訟法では「共犯の公判中には時効が停止される」との規定がある。審査会は、元地域官が公判中で、元副署長と元地域官は「立場は違うが『共犯』と考えて不自然とはいえない」として、時効には当たらないと判断した。

          ◇

 ■改正検察審査会法 裁判員法とともに今年5月21日に施行された。検察審査会は市民から選ばれた11人の審査員が検察の不起訴処分の当否を審査するが、従来は議決に法的拘束力がなかった。改正により、「起訴相当」の議決後、検察官が再び不起訴とするか3カ月たっても刑事処分しなかった場合には再審査を行い、再度「起訴相当」が議決されると、裁判所が指定した弁護士が“検察官役”になり、自動的に起訴される。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090730-00000623-san-l28

2009年7月30日木曜日

車高低い改造車の踏切事故、道路改善点協議へ

 久留米市と西鉄、久留米署は、車高を低くした改造車と電車が踏切で衝突する事故が相次いだことを重視して、道路にも改善点がないか、協議をはじめた。

 車高を低くした改造車は、踏切が道路よりも高いため、車体の底をこすってしまい、立ち往生することがある。事故の現場はゆるやかなカーブになっているため、外側のレールが内側よりもやや高いために、車体の底をこすってしまうのだ。

 このような踏切で、車体の底をこすってしまうのは、特別に改造した車高の低い車だけではないと思われる。
 先日、千葉で小学生が亡くなる踏切事故があり、現場の踏切を見に行ったが、その際に立ち寄った平川踏切は、右に緩やかに曲がるカーブのところにあり、右側からくる列車が見えないところだった。警報器や遮断機があっても、列車が見えずこわいところだった。
 

 タクシーの運転手さんが、ここは複線なので、外側のレールが少し高いだけではなく、2本の線路を跨ぐ時、凹凸があり、車体の底をこすってしまい、以前になかなか渡れず危うく、立ち往生するところだったと語っていたのを思い出した。
 夜、お客さんに、踏切を渡って向こうの平川町に言ってほしいとたのまれたそうだが、難儀をしたと言っていた。

 このような凹凸のある踏切は高齢の方や、子供がつまづくことも多いと思う。
 つまづいてころんだりしているうちに、列車が来て事故に遭うことも考えられる。西鉄だけではなく、各鉄道事業者が踏切を点検して、踏切道の改善に取り組んでもらいたいものである。

《参考記事》

車高低い改造車の踏切事故相次ぐ、道路改善点協議へ

(2009年7月27日 読売新聞)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/20090727-OYS1T00292.htm

2009年7月29日水曜日

JR西不起訴説明会、脱線事故遺族が不服申し立てへ

 7月26日、神戸地検は、JR西福知山線脱線事故の遺族や被害者に、JR西日本の山崎正夫社長を在宅起訴した捜査について説明会を開いた。
 
 神戸地検は、歴代社長を不起訴とした理由として、「自動列車停止装置(ATS)の整備など安全対策の権限は、現場カーブ付け替え時に鉄道本部長だった山崎社長だけにあり、井手氏らはATS設置を指示できる立場になかった」などと言っているという。

 神戸地検は山崎社長だけを起訴して、お茶を濁そうとしているようにしか思えない。23日には、JR西日本は、歴代社長ら事故当時の経営陣を含む29名の減給などの処分を発表した。
 
 これなども、検察の不起訴処分を受けて、遺族や世論の批判をかわそうとしているように思える。
 山崎社長は、事故についての会社の組織的責任をあらためて明確にするためとしているが、もっと早く認めて、歴代の社長など責任ある立場の人間を処分をすることもできたはずだ。(事故直後に、当時の垣内社長らを減給処分としている) 

 脱線事故の遺族や被害者の方々は、歴代社長3人の不起訴処分を不服として、神戸検察審査会に審査を申し立てるという。検察審査会で、今回の検察の不起訴処分について十分審議され、納得のいく議決がなされることを期待しようと思う。


《参考記事》
JR西歴代社長の不起訴、脱線事故遺族が不服申し立てへ  2009年7月26日23時24分
http://www.asahi.com/national/update/0726/OSK200907260084.html

2009年7月27日月曜日

開かずの踏切の事故から3年~北池袋


 2006年7月21日、夏休みに入ってまもなく、近くの図書館に行こうと踏切が開くのを待っていた親子が、踏切がなかなか開かないので、遮断機をくぐって入った男性に続いて踏切内に入ったらしい。普通列車に撥ねられてお母さんが亡くなり、子供さんも重傷を負うという痛ましい事故が起きた。
 
 当時、事故は大きく報道されたが、今までにどんな安全対策が取られたのだろうか。

 この踏切は、警報機と遮断機がある第1種踏切である。ここを東武東上線と埼京線の線路4本が並んで通っており、事故当時埼京線のダイヤが乱れていて、70~80分間遮断機が上がらない状態が続いていたという。 
 この親子が踏切でどのくらいの時間待っていたのかわからない。しかし、どのくらい待てば開くのかわからないで長時間警報音を聞いて待たされていると、ストレスがたまると思う。
 
 その上、当時は雨も降っていたという。かさをさしていたので、踏切からは列車が来るのが見えにくかったのではないかとも言われている。
 
 地図を見ると、池袋から北池袋にかけて、線路はまっすぐで見通しがよいように思われる。しかし、親子が待っていた踏切の入口に立つと、池袋方面には家が建っているので列車が直前まで見えない。
 列車が1本通過したので、親子は遮断機を上げて前の男性に続いて渡ろうとしたところ、別の列車が来ていたようだ。

 ここは1時間に40分以上閉まっている「開かずの踏切」で、踏切がいったん閉まると、東武東上線の列車、埼京線の列車が交互に行きかい、昼間の時間帯でも5分くらいは開かない。開いたと思うとすぐに、警報機が鳴り、あわてて渡らねばならず、こわかった。
 
 また、ここは、2001年(平成13年)にも、踏切がなかなか開かないので待ち切れずに渡った男性が、埼京線の列車にはねられて亡くなる事故が起きているという。

 地図で見ると踏切の幅は約2m、長さ30mはあるのだろうか。東上線の北池袋駅はホームが地上で島形になっているので、上下線の線路の間にホームがある。そのホームの端に踏切があり、踏切に立っている私のすぐそばを駅を通過する急行列車や準急列車が通り過ぎていく。
 
 踏切は、車両通行禁止で、ポールが立っており、自転車や歩行者しか通れない。私が立っていたのは昼間の暑い日ざしが照りつける時間だったが、自転車に乗った親子連れや高齢者の方がよく通る踏切だった。 
 北池袋駅周辺は静かな住宅地であり、付近には小中学校が3校、大学や高校、公園や集会所などもあるから、ここを通る住民や小中学生は多いようである。

 この踏切から、駅の改札口側にある踏切下を通る地下道まで、迂回すると300m近くある。そちらを回って親子が行こうとしていた図書館に行くと、500m位は余分に歩くと思う。
 
 事故の後、踏切には、警報機が鳴ったら渡らないという注意喚起および迂回路を知らせる看板が立てられた。また、事故直後1週間朝夕、警察やJR職員らが踏切に立って啓もう活動を行ったそうだ。事故後とられた対策は、その程度なのである。

 しかし、踏切入口に踏切危険と書いたり、看板を立てるだけでは、安全対策は十分といえない。
 行政は、踏切の向こう側に図書館や公園をつくるなら、子供たちが渡る道路や踏切を整備(歩道橋や地下道などをつくるとか)して、安全に通えるようにしてほしいものだと思う。
 
 鉄道事業者は列車の急行などを増やすだけでなく、住民や利用者のために、踏切や駅の設備も改善するべきではないかと思う。

2009年7月24日金曜日

大雪山の遭難事故

 山で雨に遇うことくらい嫌なことはない。その上に、16日は台風並みの強い風が吹いていたという。悪天候の中、歩き続けた登山者のカッパやぬれた衣服に冷たい風がふきつけ、さぞ、寒かったにちがいない。
 私は、低山にハイキングに行く程度で、高い山にはなかなか行けないけれど、今回の遭難事故のニュースを聞くと、他人事と思えない。

 ツァーに参加した人たちは、みな登山歴の長い人ばかりだという。そんな登山者やガイドたちがなぜ、遭難したのか。
 この山域では、7年前にも、遭難事故があった。やはり、台風が近づいているところを出発し、遭難に遭っている。旅行会社は、そういう過去の事故情報を把握していなかったのだろうか。

 もうかなり前になるが、わたしも、この大雪山系のガイドブックを見たことがある。当時、豊かな自然が残る山々へは、アプローチが長く、避難小屋もまばらで、自分でテントや寝袋を持っていかねばならない。また、天候が変わったりして、山を急に降りなくてはならないとき、下山して避難できる場所が見あたらない。山小屋泊まりばかりの登山をしていた私には、ここを登るのは無理だと思って、とてもかなわないとあきらめたことがある。
 
 それが、今は登山ツァーが企画されているので、ガイドについていけば、簡単に行けそうな感じがする。長年あこがれていた山域に登れる企画があれば、登山者が参加したくなるのも無理はないと思う。
 
 しかし、ツァーを企画した旅行会社が、天候急変などの緊急の場合の対応についてどう対応するのか、マニュアルが作成されていたのか、それらがガイドに徹底されていたのか、定かではない。
 報道から、見聞きするところによれば、3日目の朝、天候が回復すると判断したガイドが出発を決めたようだが、出発を見合わせることもできたのではないかと思う。天候の回復を待って、下山するなり、引き返すなりしてもよかったのではないかといわれる。
 
 もし、それができない余裕のない日程ならば、そのような日程を組んだ旅行会社に今回の事故の責任があるのではないかと思う。
 山に登るときは、いろいろな場合を考えて行程を考える。緊急に下山する時のルートや、避難する場所もあらかじめ地図などで確認しておく。そういうことは、ツァーを企画した旅行会社の責任で、検討されていなくてはならないと思う。
 
 現場のガイドの判断とか、参加した登山者の「甘さ」だけを指摘して批判しても、遭難はなくならない。旅行会社の企画の立て方や、緊急時の対応の仕方などに問題があるのである。健康ブームや中高年の登山ブームにのった会社の経営が問われると思うのは、私の考え過ぎだろうか。

《参考記事》 
「経験豊富だったのに…」大雪山系遭難
(2009年7月18日08時46分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090718-OYT1T00176.htm

2009年7月22日水曜日

明石歩道橋事故から、8年

 7月21日、花火大会を見物にきた市民11人が亡くなった明石歩道橋事故から、8年がたった。下村さんら遺族は、事故当時の明石署副署長らを不起訴とした神戸地検の処分を不服として、検察審査会に審査の申し立てをしている。
 
 事故当時、明石署署長らは、会場周辺の警備を怠り、朝霧駅から明石歩道橋の周辺には、駅に向かう人と逆に歩道橋を下りて夜店の方に降りようとする人とで身動きもとれない状況になっていたにもかかわらず、見物客をう回路へ誘導するなどの対策をとらなかった。
 そのため、歩道橋上には人が集中し、群衆雪崩が起き、幼い子を含む11人が亡くなったのである。

 歩道橋は、会場へ降りる階段が橋上の幅が6mであるのに対して、階段は3mと狭くなっているボトルネック構造である。その上、踊り場から右側にしか階段がないので、踊り場で花火を見物する人が滞留するとますます、動きが悪くなる。
 当日、花火会場への参集者は、約15万人から20万人と予想されていたのだから、駅から会場へ行くのに、歩道橋に人が集中しないようにすべきなのは、だれでもわかることである。特別、用意周到な計画ではなくとも、う回路を整備し誘導するなどすれば、事故は防げたのではないかと云われている。

 神戸地検は、この警備の責任者だった明石署副署長らを不起訴としている。検察審査会は、遺族の2回の申し立てに対して、2回とも「起訴相当」という判断を出しているのもかかわらず、検察は再捜査の結果、不起訴にしている。つまり、都合3回不起訴にしているのである。

 今年、5月の法改正によって、検察審査会で2回「起訴相当」の判断がなされれば、検察が起訴しなくても、裁判所が指定した弁護士によって起訴され、検察から資料等を引き継ぎ、裁判が開かれることになった。
 
 司法改革によって、検察審査会の議決が拘束力を持つようになった。今後、裁判にも、市民の良識が反映されることを期待したい。
 
《参考記事》
明石歩道橋事故から8年 遺族が市職員らに訴え  2009年7月22日
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200907220019.html

2009年7月20日月曜日

外務省 外交機密文書、破棄を指示  

 2001年の情報公開法の施行前に、外務省は、外交機密文書を廃棄して、トイレットペーパーにしていたことが、朝日新聞の取材でわかった。

 日本は世界で唯一の被爆国として、非核三原則(核を持たない、作らない、持ち込ませない)をかかげている。しかし、1972年沖縄返還の際には、その原則を反故にして、核兵器を搭載した米軍の艦船が日本に寄港することを認める「密約」が、日米間で交わされていたことが、アメリカで発見された資料などからわかった。
 この外交資料は、アメリカではすでに公開されているが、日本では公開されていなかった。また、日本政府は「密約」そのものの存在を認めない立場から、文書そのものも存在しないとしてきた。しかし、今回、元外務省高官の証言から、「密約」を示す外交資料の存在が明らかとなり、文書を破棄していたことがわかった。

 外交資料などは私には縁遠いけれど、貴重な歴史的資料でもある外交文書を、国民にないしょで、外務省の役人が勝手に破棄してよいものだろうか。アメリカのように、国民の財産でもある公文書を丁寧に保管し、国民に公開すべきである。
 
 話が飛ぶけれど、日航123便ジャンボ機事故など、重大事故の捜査資料も保管が丁寧ではないと危惧されている。事故の捜査資料や調査資料は、同じような事故を二度と起こさないための調査研究にとって重要な意味をもつと思う。設備の整った施設で丁寧に整理して保管してほしいものだ。そして、事故の再発防止を考える研究者や事故の原因究明をもとめる遺族に公開されるべきである。

《参考記事》
機密文書、溶かして固めてトイレットペーパーに 外務省 2009年7月11日20時58分

 60年の日米安保条約改定にともなう「核密約」関連文書の破棄を幹部が指示していた――。国民への説明責任をないがしろにする姿勢が朝日新聞の取材で明らかになった外務省。その廃棄文書の量は省庁の中で突出している。しかも、01年の情報公開法の施行前に急増し、その後は減るという「駆け込み」だ。情報公開を求める団体は「法の施行を前に、入念に準備して捨てた疑い」を指摘する。

 中央省庁が機密文書を処理する主な方法は、(1)書類ごとにシュレッダーにかける(2)書類を詰めた段ボールごと大型機械で破砕する(3)書類を水に溶かして固まりにする――の三つだ。

 例えば法務省は、まず、地下にある大型シュレッダーで書類を刻む。それを回収業者が工場に運んで水に溶かしている。(1)と(3)の合わせ技だ。他に、(1)を徹底して粉状になるまでシュレッダーにかけている省もある。

 外務省は(3)だ。関係者によると、地下にある大型機械で、機密文書を水に溶かし、紙粘土の粒のような固まりに加工する。処理能力は1日約2トンという。

 書類と水を半分ずつの割合で混ぜ合わせる→パルプ繊維がほどけて書類の形が崩れる→文字が見えなくなったところで、パチンコ玉ほどの大きさに丸める→回収業者に引き渡すという手順だ。これを引き取った業者はトイレットペーパーなどに加工。その一部は再び省内で使われているという。

 こうした中央省庁による文書廃棄の実態を知ろうと、NPO法人「情報公開クリアリングハウス」が情報公開法を使って、各省庁の00年度の廃棄量を分析したところ、最も多くの文書を捨てていたのが外務省だった。約1280トン。2番目の財務省(約620トン)と比べてもケタ違いに多かった。00年度は、同法の施行直前にあたる。

 さらに外務省の年度ごとの廃棄量をみると、97年度は約200トンと他省庁並みだったのに、法案が成立した99年度から急増。00年度にピークに達するが、01年度以降は再び減少傾向になる。

 クリアリングハウスの三木由希子理事は「法の施行を前提に『公開を迫られるくらいなら捨ててしまえ』と入念に準備した可能性がある」と指摘する。

 60年の「核密約」関連文書問題と同様に、72年の沖縄返還に伴って日米間で交わされたとされる「密約文書」をめぐる情報公開訴訟を手がける小町谷育子弁護士は「国民への説明責任も果たさずに、重要な文書を捨てるという行為は許し難い。政策の検証もできないまま、真相はやぶの中だ。国民が怒りの声をあげないと、同じことが何度でも繰り返される」と話す。

 外務省は、再三の取材申し入れに対し、「担当者から連絡させる」としたまま、10日夜までに回答しなかった。(谷津憲郎)

■歴史に対する冒涜

 石井修・一橋大名誉教授(外交史)の話 米国では、政府高官の電話での会話すらテープにとったうえで公文書におこして残す。内容を非公開とする場合でも、文書そのものが存在することは明示される。「公文書は国民のものである」という真摯(しんし)な態度があるからだ。それに引き換え、今回のように、公文書を捨ててしまえと指示するなどというのは、歴史に対する冒涜(ぼうとく)であり、納税者に対する犯罪である。怒りがこみ上げてくる。

http://www.asahi.com/politics/update/0711/TKY200907100424.html

2009年7月17日金曜日

エレベーター事故、担当者らを在宅起訴

 7月16日、事故から3年余りたって、ようやく、メーカー、保守点検会社双方の担当者らが起訴された。
 法廷では、被害者遺族が意見陳述を述べることもできるから、亡くなった大輔くんのご両親の市川さんが、ご自分の思いを述べることができる。しかし、メーカーや点検会社は検察と争うという。その裁判ですべて事故の原因が明らかになるかといえば、難しい。担当者が起訴されたことを市川さんは、原因究明のスタートラインに立ったと言っている。

 市川さんは、事故から3年間、
「事故原因の究明はまだなされておらず、独立、中立的な調査機関で徹底的に行って原因を明らかにすることが、二度と同じような事故を起こさないことにつながると信じています」と、訴えてこられた。
メーカーからも、保守点検会社からも、事故の原因について何ら説明がなされないばかりか、謝罪さえもなされず、お子さんの命を奪った事故がなぜ起きたのか息子さんに説明してやれなかった、と話していた市川さん。
 
 遺族は、悲しみの中で必死に原因究明や再発防止を訴えている。事故原因究明に向けて、メーカーや関係機関は、すばやい対応でのぞんでほしい。

《ニュース記事》
エレベーター事故で5人起訴
http://www3.nhk.or.jp/news/t10014314261000.html

2009年7月15日水曜日

踏切事故の現場をたずねて~千葉の踏切


7月7日(火)、千葉市越智町の踏切で、下校途中の小学1年生が快速電車に撥ねられて亡くなったことは、先週、ブログに書かせていただいた。警報機も遮断機もある踏切で、踏切は幅約2m、長さ約10m、警報機が鳴り、遮断機が下りているところを、遮断機をくぐって入った小学生が列車にはねられ、死亡した。

 小学生がなぜ列車が来るのに、渡ってしまったのか気になっていた。小学生が事故に遭った列車と同じ逗子発上総一宮行き快速に乗って、土気で下車した。踏切は誉田と土気の間にある。横浜から横須賀線快速で1時間半ほどのところである。

 小学校が午後3時すぎに下校時間となり、小学校から約1㎞の踏切まで、1年生では歩くと30分近くかかると思う。1年生は4月に入学して夏休み前ともなると、通学路にも慣れてきたころだと思う。踏切が危険だと言われていても、列車が見えなければ、遮断機が上がるのを待ち切れずに、渡ってしまったのかもしれない。

 小学生が、来た方から踏切入口の停止線に立つと、列車の来た方向には、夏なので雑草が高く伸びている。
大人の私なら、列車が来たのが見えるが、背の低い小学生だと見えないかもしれない。列車の来たのが写っている写真は、大人の目の高さで撮影したもの。列車が写っていないのは、こどもの目の高さくらいから撮影したもので、1年生には、列車が見えないかもしれないと思った。

 また、ここは線路はまっすぐで、踏切の中に立つと見通しがよい。見て確認しなかったが、ロングレールなのだろうか。列車の近づく音が静かで早い、もし、警報音が鳴っていなかったら、列車が来るのがわからなかったかもしれない。列車が見えたと思うと、すぐ近くまで来ていて、あっという間に踏切の前を通り過ぎていく。

 その上に、今日は、晴れて暑い日だったから、夕方は列車の来る方向は西日で逆光になり、まぶしくて列車が見えにくい。私が現場に行ったのは、小学生が事故に遭った時刻よりも30分ほど遅い時刻だったが、まだまだ太陽がギラギラしていた。7日も千葉は暑い日で、晴れていたようだから、今日のように西日でまぶしかったかもしれない。

 この踏切から、300mほど東に行くと、線路の上を大網街道が横切り、歩道橋も線路の上に架けられている。こちらを渡る方が、安全だろうが、小学生のお子さんには遠まわりな気がする。
 
 この踏切を渡って通う小学生や中学生がどのくらいの人数なのかわからないが、小中学校の学区域も交通量の多い大網街道や踏切をなるべく渡らないですむように、区切ることができないのだろうかと思う。
 学区域を変更できないのであれば、車の交通量の多い横断歩道や踏切などに安全指導員や警備員などが立って、児童の安全を確保することを考えてもよいのではないだろうか。

2009年7月13日月曜日

2009安全工学シンポジウムの報告

 7月9,10日、都内で安全工学シンポジウム2009が開かれた。今年で39回目となるこのシンポジウムは、さまざまな分野の学者・研究者、技術者が集まって、事故を防ぎ、安全な仕組みを作るには、どうしたらよいか討論する場である。ことしも40近い学会・研究会が参加して開かれた。

 私などは、昨年初めて、参加させていただいた。正直言うと聞いたことのない、学会名だけではどんな研究をしているのか、想像がつかない学会もあった。
 学問の分化が進み、研究者は自分の研究に専念すると、他にどんな研究が進んでいるのかわからなくなることもあるだろうと思う。
 このシンポジウムに参加する学者・研究者のみなさんは、自分の研究が他の研究とどんなつながりがあるのか、社会の中でどんな意味があるのか、様々な分野の研究者が、意見や情報を交換し合うことが大切だと思って、毎年シンポジウムを開いていらっしゃる。

 私たちのセッションでは、それぞれの専門家が、各自の分野で今何が問題なのか、課題と提言をまとめて下さった。各分野の今もっとも核心とされるテーマだけに、分野が異なるとわかりにくいこともあると思うが、各専門家のみなさんの熱意が伝わってくるセッションだったと思う。

 さまざまな分野・事業に携わる研究者・技術者のみなさんが、事故調査をし、事故を防ぐための対策を検討し、提案・実現していくこと、そういう地道な仕事の積み重ねが、悲惨な事故をなくしていくのだろうと思う。

《シンポジウムのプログラムから》
安全工学シンポジウム2009 
OS-B テーマ「事故防止のあり方を考える~事故調査の充実をもとめて~」

№ 講演テーマ
1 事故防止のあり方を考える~事故調査の充実をもとめて~
     加山宏 竹ノ塚踏切事故遺族
2 事故調査記録の訴訟手続における開示の在り方-イギリスの法制度との比較-
     米倉勉 弁護士
3 再発防止を考える      本江彰 日本ヒューマンファクター研究所
4 製品安全と事故防止      高杉和徳    製品安全コンサルタント
5 死因究明制度と事故防止 一杉正仁 獨協医科大学法医学教室准教授
6  踏切事故の実態と事故調査 加山圭子 竹ノ塚踏切事故遺族


 

2009年7月12日日曜日

神戸地検、JR西日本社長を在宅起訴

 7月8日、乗客106人が犠牲となった福知山線脱線事故で、神戸地検は、JR西日本の山崎正夫社長(66)1人を在宅起訴した。山崎社長は、同日、社長を辞任した。

 事故当時鉄道本部長だった山崎社長一人を起訴して、他の歴代社長などを起訴しないのは、トカゲのしっぽ切りではないかという印象をうける。安全対策は会社全体で取り組むものだろうから、誰かひとりを処罰すればすむことではないと思う。

 また、裁判でどれだけのことが明らかにされるだろうかと、心配でもある。神戸地検が捜査した資料をどれだけ駆使して公判を行うだろうか。
 
 裁判で、被害者や遺族が意見を述べたり、被告に質問できるようになったけれど、山崎氏は法廷で争うとしている。今まで、被害者・遺族とJR西の安全について対話を続けてきたとされる山崎氏が、起訴されたことで、遺族との対話が閉ざされることにならないかと危惧する。

 4.25ネットワークの皆さんは4月、JR西に、被害者・遺族や、企業、学識経験者がともに福知山線脱線事故を調査・検証する「事故検証委員会」を提案した。

 山崎氏一人の刑事責任を追及する刑事裁判ではなく、事故の再発防止を目的とした事故調査をすることが大切ではないかと思える。
 
《以下は参考記事》
遺族「解明へ捜査資料閲覧」
(2009年07月12日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/dassen/jd90712a.htm?from=tokusyu

2009年7月10日金曜日

すべての踏切事故の調査を

 7月9日、都内の機械振興会館で、安全工学シンポジウムがあった。
このシンポジウムは、40近い学協会の共催で開かれる学者、研究者のシンポジウムだ。
毎年、テーマを決めて開かれるが、これだけの数の学会が、いっしょに討論するというのはすごいと思う。
 
 中には、失礼な言い方になるが、学者とは思えないくらい熱く語る方もいる。そんな方々が、行政の設置する審議会や委員会などにいれば、何年かかけて、事故の再発防止策をいろいろと検討してくださることもあるだろう。
 
 安全にかかわる仕事や研究をされる方、実際にいろいろな機関で事故調査にあたる方々に、専門家ではない私が、疑問に思ったことを話すのは、正直言って迷った。でも、誰も踏切事故のことをきちんと調べないのだから、話さねばならないと、腹をくくった。

 はじめ、事故の現場を訪れることに、ためらわれることもあった。ご遺族の中には、じっさいに、お子さんや妻が亡くなった現場の踏切に行けない方もいる。私自身が現場に立つのが、つらくなることもある。
 
 そんな気持ちを奮い立たせてくれるのは、亡くなった方がたの無念さが、現場に立つと伝わってくる気がするからだ。現場に行っても、ご冥福を祈ることができない。まだまだご遺族は、そんな気持ちになれない、まだお子さんや妻が亡くなったと思えないのではないか、だから、わたしも、「安らかに眠ってください」とは思えないのだ。

 踏切事故そのものが、国交省の統計では「踏切障害事故」とよばれる。踏切をわたる命ある通行者も、鉄道事業者にとっては、通過する列車の障害物でしかないような呼び方に、憤りを感じる。

 踏切をわたる通行者の不注意だけを責めないで、事故の原因をいろいろな角度から、調査して再発防止に役立ててほしい。それが、亡くなった方々へのせめてもの供養ではないかと思える。

《記事》
すべての事故、調査を 東武線踏切事故遺族が講演2009年7月9日 13時09分
 2005年に東武伊勢崎線竹ノ塚駅(東京都)の踏切事故で母親=当時(75)=を亡くした加山圭子さん(54)が9日、都内で開かれた「安全工学シンポジウム」で、鉄道事故防止に向けた取り組みについて講演し「関係機関や事業者がすべての事故を調査し、安全対策を検討することが必要」と訴えた。

 8日にJR西日本の山崎正夫社長が業務上過失致死傷罪で在宅起訴された尼崎JR脱線事故については「JR西の組織の問題が明らかになってほしい」と話した。

 踏切事故根絶を目指す加山さんは、06年に広島県東広島市で起きたJR山陽線踏切事故や、長野県内の踏切で07年(08年:筆者が訂正)の4カ月間にJR東日本の特急「スーパーあずさ」に3人が相次いではねられた事故現場を視察。いずれも現場近くに学校や住宅があったという。

 事業者や警察などは事故後、注意喚起の看板を置いたり、安全キャンペーンを展開したりするが「人間に厳しく注意を促すだけで事故はなくならないことは、ヒューマンエラーの研究から明らか」と述べた。

(共同)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009070901000541.html

2009年7月8日水曜日

小学生が、踏切で死亡

 踏切で、下校途中の小学生1年生が亡くなった。
小学生が、警報機のなっている踏切の遮断機をくぐって入り、列車にはねられた。
この記事では、小学生がなぜ入ったのかわからないが、なかなか開かないので待ち切れなかったのだろうか?
通学路に踏切があるのは、とても危険なことだと思う。歩道橋などを設置する等、検討されていなかったのだろうか?

 踏切は、道路の交差点のように、列車と通行者が交差する危険なところである。
人が通るところと列車が通るところとが交差しないようにすることが、事故をなくす基本的な対策だと思う。
 鉄道事業者や行政は、いつまでも、通行者の好意に甘えていないで、抜本的な対策をとるべきである。

《参考記事》
小1男児電車にはねられ死亡 千葉・JR外房線 2009年07月07日21時22分 / 毎日新聞
 http://news.livedoor.com/article/detail/4239254/

2009年7月3日金曜日

踏切事故の現場をたずねて

 昨年秋から、踏切事故の現場をたずねて歩いた。
新聞記事やテレビニュースでは、踏切事故がどんなところで起きているのかわからない、まして、事故の原因は、「通行者が一旦停止しないで入った」という一言でかたづけられている。
 しかし、なぜ、事故が起きたのか、なぜ踏切に通行者が入ってしまったのかがわからなくては、同じような事故を防げないのではないだろうか。

 踏切事故のニュースを聞くたびに、胸がしめつけられる。悲惨な踏切事故を、どうしたらなくせるのか。素朴な疑問に答えてくれるところはないのだろうか。

《参考記事》

「踏切事故遺族も連携を、国などに安全対策促す」(2009年7月1日 共同通信)

4人が死傷した東京都足立区の東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切事故(2005年)で、母親=当時(75)=を亡くした加山圭子さん(54)が、踏切事故遺族同士の連携で国や鉄道会社の安全対策が進むきっかけをつくろうと、各地の遺族を訪ね、事故現場を調べる活動を始めた。航空や鉄道の大事故では被害者や遺族が交流組織をつくっているが、踏切事故の遺族が手を取り合うのは国内では初めて。 
加山さんは「『踏切に入ったほうが悪い』と簡単に片付けず、背景を含めたさまざまな面から原因を調べ、再発防止策や安全策を講じてほしい」と話している。9日には東京都内で開かれる「安全工学シンポジウム」で意見表明する。 
踏切事故のニュースが後を絶たないことに胸を痛め、昨年秋に「まず現場に行ってみよう」と思い立った。 
06年12月に高校生が死亡した広島県東広島市のJR山陽線踏切や、昨年5月に中学生が死亡した長野県諏訪市のJR中央線踏切など4カ所を訪問。いずれも事故当時は遮断機がなく、一部は警報機もなかった。 加山さんの分析では、4踏切には(1)周辺に住宅があり利用者が多いのに遮断機がない(2)見通しの悪さから列車の接近音がすぐ近くに来るまで分からない―などの共通点があった。少なくとも遮断機を早急に設置しなければ、事故再発の恐れがあるとみる。 
国土交通省によると、遮断機がない踏切は年々減っているが、07年度時点でまだ全国約4500カ所にあり、同年は24人が死亡した。 加山さんの母親が事故に遭った竹ノ塚駅踏切は交通量が多い「開かずの踏切」で知られ、係員が手動で操作していた。05年3月、次の電車接近を失念した係員が遮断機を短時間上げ、踏切に入った4人がはねられた。 
遮断機は東武の内規に反し現場判断で日常的に上げられていたが、係員が起訴された(禁固1年6月確定)だけで、当時の駅長やほかの社員は不起訴。遮断機は事故から半年後に自動化された。
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“最後の姿”に誓う安全、次男失った長野の夫妻
長野県諏訪市の伊藤勇一さん(47)、富士子さん(46)夫妻は、踏切事故遺族の連携を呼び掛ける加山圭子さん(54)と昨年秋から交流している。次男の翼君=当時(12)=が自宅に近い遮断機のない踏切を自転車で横断中、JRの特急にはねられ死亡した事故から4カ月後、加山さんら事故被害者や遺族が運営していたブログを見て、富士子さんがメールを送ったのがきっかけだった。 
居間には、諏訪湖でボート練習に励む翼君の写真がある。昨年5月4日、伊藤さんがこっそりその写真を撮ったわずか数時間後、悲劇は起きた。「JRに安全対策をきちんとさせる」。夫妻は“最後の姿”に日々誓う。 翼君は、夜寝る前に何度も翌日の持ち物の確認をして、絶対に忘れ物をしない慎重な性格だった。なぜ特急が近づく踏切に入ったのか。その疑問が、ずっと夫妻の心に突き刺さっている。 
加山さんは昨年11月、伊藤さん夫妻と現場の踏切を詳しく調べた。線路脇の民家などに遮られ、近づいてくる列車は直前まで見えない。加山さんは「聞こえてくる音も小さく、遮断機がなければ気付かずに踏切に入ってしまう」と感じた。 
諏訪市内には、ほかに遮断機のない踏切が1カ所あり、夫妻は早期改良をJR東日本に求めている。「翼を亡くした今こそ、言わなきゃいけない。また誰かが死でからでは遅いんです」と富士子さんは話す。 苦しみや悩みを同じ遺族として受け止めてくれる加山さんとの交流は、心の支えになっている。これからも連絡を取り合い、声を上げ続けるつもりだという。