2010年3月27日土曜日

中国製冷凍ギョウザ事件、容疑者を拘束

 2008年1月、千葉や兵庫で、中国製冷凍ギョウザを食べた3家族10人が、中毒を起こし9人が入院した事件の容疑者が拘束された。

 報道によると、中国公安省は、26日、ギョウザ製造元「天洋食品」の元臨時工、呂月庭(36)を拘束したという。呂容疑者は、「自分と自分の妻を正社員として雇ってくれなかった」などと動機を話しているそうで、自宅から有機リン系殺虫剤メタミドホスを注射したとされる注射器も発見されたという。
 中国製ギョウザ中毒事件の容疑者が拘束されたことで、中毒事件の真相が解明されることと思う。

 今回の事件を受けて、国内では、食品の安全性への関心が一層高まった。産地が明記されるようになり、生産者の顔が見えるものも増えてきた。
 また、各地で大量の中毒患者が出た時の行政の対応にも、問題点があることがわかった。
今後、消費者庁や厚生労働省など、関係する省庁がすばやく連絡を取り合って、食品中毒に取り組むべきだという、この事件から得られた教訓も生かしてほしいと思う。

《参考記事》
中国製ギョーザ事件で容疑者拘束 待遇に不満、注射器で注入
2010/03/27 02:08 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010032601001280.html

2010年3月26日金曜日

神戸検察審査会、JR西3社長2度目の「起訴相当」を議決

 平成17年4月、兵庫県尼崎市で、乗客106人が亡くなった福知山線脱線事故で、神戸地検が不起訴としていたJR西日本の井手正敬元相談役(74)ら歴代3社長について、神戸第一審査会は二度目の「起訴相当」を議決した。

 昨年5月から施行された改正審査会法に基づき、検察審査会の議決が法的拘束力をもつため、今後は、神戸地裁が指定する弁護士が3社長を起訴して、裁判を行うことになる。

 昨年7月、神戸地検は、事故現場が急カーブに付け替えられた当時、鉄道本部長だった山崎前社長一人を「事故防止のために自動列車停止装置(ATS)を整備することを怠った」として在宅起訴した。しかし、井手元相談役ら3人については「安全対策を山崎前社長に委任していた」として、不起訴処分としていた。
 
 この歴代3社長の不起訴処分を不服とした遺族らが、昨年8月、同審査会に申し立てをおこなっていた。同審査会は10月、起訴相当を議決。
 しかし、地検が12月に再び、不起訴としたため、同審査会は遺族や地検検事から意見聴取するなどして、再審査を進めていた。

 今後、裁判所が指定した弁護士によって裁判が行われる。警察や検察の捜査記録や資料が明らかにされることで、鉄道事業者の経営姿勢や安全対策の問題点を明らかにして、事故の再発防止に役立ててほしい。
 また、同じような悲惨な事故が再びひき起こされることのないよう、鉄道事業に携わる人々は、安全優先の姿勢を確認してほしいと思う。

《参考記事》
JR西歴代3社長、強制起訴へ 神戸第1検審が起訴議決     3月26日17時19分配信  産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100326-00000583-san-soci

2010年3月25日木曜日

食品の窒息事故防止、「食品SOS対応プロジェクト」始まる

 報道によると、24日、消費者庁で、「食品SOS対応プロジェクト」の会合が開かれた。1995年以降22件の死亡事故が起きているこんにゃくゼリーについての検討が始まった。

 業界団体が、(1)警告を表示する(2)子ども向けの菓子売り場に置かない―などの自主的な取り組みをしているが、業界団体に入っていない輸入業者などもあり、対策として不十分でもある。

 今後は、首都圏のドラッグストアーやスーパーで販売実態を調査し、救急医やメーカーからもヒアリングをするなどし、具体的な対策を出す方針だという。

 こんにゃくゼリーは、ゼラチンでつくるゼリーにくらべてかたく歯ごたえがあるため、子どもにも独特の食感が好まれるようだ。しかし、子どもがのどにつまらせた時は弾力があってくずれにくいために、家庭では容易に取り除けないのではないだろうか。
 
 あめなどは、よく小さい子がのどに詰まらせることがあるが、応急措置として、子どもをうつ伏せにして背中をたたいて、吐き出させたりすることもある。しかし、こんにゃくゼリーは、弾力があってのどにつまり、のどから吐き出しにくいのではないかと思う。

 小さい子どもは、お腹がすいていたり、急いでいると食べ物を歯で小さく切らないで、ろくにかまずに飲み込んでしまいがちだ。周囲の大人がよく噛んで食べるように子どもに注意するとともに、メーカーも子どもが食べやすいように、小さなカップゼリーにするなど、工夫が必要ではないだろうか。
 また、こんにゃくゼリーに配合するこんにゃく粉末の量などを検討してやわらかいゼリー菓子を作るなど、安心して食べられるものを考えてほしい。

《参考記事》
食品の窒息事故防止、検討始まる こんにゃくゼリー
2010/03/24 20:01 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010032401000708.html

2010年3月23日火曜日

学童保育の事故も情報収集と分析を

 独立行政法人国民生活センターは、 学童保育に関して行ったこれまでの調査研究から、各自治体の実施状況や、子どもの生活環境が狭く混雑していること、ケガ・事故情報の収集・分析体制が未整備であることなど、安全面での問題をあきらかにしてきた。
 しかし、このような状況を改善し、安全を確保するには、市区町村や施設現場の努力だけでは限界があり、都道府県や国の広域的な取り組みと連携が必要だとしていた。

 そこで、昨年8月から11月に、都道府県と市区町村を対象に、学童保育サービスの実施状況、予算措置状況、ケガ・事故への取り組み、利用者への情報提供、連携状況など環境整備に焦点をあてて調査が行われた。

 それによると、自治体間で、運営費補助など財政支援をはじめとする学童保育サービスへの取り組みや実施状況の格差があることがわかった。また、学童保育の指導員数の把握、ケガ・事故の報告など、市区町村との連携が不十分であることもわかった。

 同センターでは、「狭く過密な学童保育の生活環境下のケガ・事故は共通性も高い」とし、「国や都道府県レベルで事故原因の分析を行い、予防のために必要な予算措置を取る必要がある。」と指摘。また、「消費者へ情報提供するなどの改善が求められる」としている。

 なお、同センターでは、「学童保育サービスの環境整備に関する研究会」(座長 松村祥子 放送大学教授)を設置して、検討を重ね、学童保育サービスの社会的基盤としての環境整備などに向けて、提言をまとめた。
 学童保育が放課後、「子どもたちがいきいき育っていくための安全な生活の場」となるよう、事故やケガのないように、事故の情報を集め、原因を調べ、予防対策を講じてほしいと思う。

《参考》
独立行政法人国民生活センター 報道発表資料
「学童保育サービスの環境整備に関する調査研究-都道府県の取り組みに大きな格差-(概要)」
http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20100317_3.pdf

2010年3月19日金曜日

運輸安全委員会の調査対象にエレベーター事故も

 2006年に東京港区の公共住宅で、高校生が、扉が開いたまま上昇したエレベーターにはさまれて亡くなった。
 昨年10月、亡くなった高校生の両親の市川正子さんらは、前原国交相と面談、エレベーター事故などを調査する独立した調査機関の設置を要望したが、前原大臣は、これに対して、運輸安全委員会の調査対象を拡大し、エレベーターやエスカレーターなどの事故も対象とする考えであることを伝えていた。

 調査対象を拡大するため、前原国土交通大臣は、運輸安全委員会設置法の改正案を2011年度の通常国会に提出する方針を明らかにし、市川さん宅をたずねて、説明した。

 亡くなった市川大輔さんの母正子さんは
「エレベーターだけでなく、生活の中で起きる複合的な事故についても調査機関をつくってほしいとお願いした」という。

 報道によると、前原大臣は、国土交通大学校に研修コースを設け、事故調査の専門家を養成したいと語っている。
 安全・安心に関する専門家によって、生活のさまざまな分野の事故調査が行われ、調査結果が悲惨な事故の再発防止に役立てられることを願っている。

《参考記事》
エレベーターも運輸安全委が調査 国交相が対象拡大方針
2010/03/18 23:53 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031801001130.html

2010年3月18日木曜日

「安全・安心」に関する学部、関西大学などに誕生

 4月から、関西大学は、大阪府高槻市に社会安全学部をスタートさせる。
新しく建設された新キャンパスでは、
①人為的な事故を対象にした社会災害マネジメント ②防災・減災を学ぶ自然災害マネジメント――の2コースがはじまる。行政の防災危機管理や、CSR(企業の社会的責任)、コンプライアンス(法令順守)などの分野で、計画立案や運営管理を担える人材づくりを目指すという。

 報道によると、開設準備から関わっている安部誠治教授(公益事業論)は、「原因解明には、工学的な知見、企業の安全哲学や経営の分析、法令の現状など複合的な視点がいる。従来にない学問が必要」と語っている。
 また、未来センター長で、学部長に就任する河田恵昭教授(防災危機管理論)は「被災地の現地調査や、事故にかかわった企業の第三者評価などにも取り組む」という。


 2004年には、千葉科学大学(銚子市)も危機管理学部をスタートさせている。危機管理システム学科では社会の安全・安心をささえる技術や法律などの専門知識を学ぶ。また災害医療にかかわる救急救命士らを育てる医療危機管理学科などもある。
 
 今春には、災害時に使う航空機の運用・利用や、人命救助を効率的に行える車両や機材などを設計・運用できる人材を育成する航空・輸送安全学科も新設する。

 今、自然災害や、大規模輸送機関の事故、製品事故など、さまざまな分野で危機管理が求められている。
 多くの大学で、実際の現場で活用できる研究を進め、安全・安心に貢献できる人材を育成してほしいと思う。
 
《参考記事》

「安全・安心」の学部  関西大などに誕生…災害、大事故の危機管理学ぶ
(2010年3月13日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/topics/20100313-OYO8T00314.htm

《参考》
産経新聞に、平成21年11月から連載された
「安全安心を求めて 関西大学社会安全学部の試み」を、関西大学のHPで読むことができる。
http://www.kansai-u.ac.jp/tnc/news/detail.php?i=93

2010年3月17日水曜日

消費者庁の権限強化を

 報道によると、17日、民主党の消費者問題に関する議員政策研究会は、消費者庁や消費者委員会の体制強化策を要請書にまとめ、福島瑞穂消費者・少子化担当相に提出し、政府が月内に閣議決定する消費者基本計画に、盛り込むよう求めた。
 消費者庁は、製品事故や食品偽装など、消費者情報を一元的に収集・管理し、被害の発生や拡大を防ぐ役割を担っている。
 しかし、トヨタ自動車のリコール問題では、国土交通省や経済産業省との連携がうまくいっていないという指摘もあり、「司令塔としての役割を十分果たせていない」という批判もある。

 消費者事故が起きた際、各省庁に、消費者庁へ報告させる権限を強化する必要がある。また、事故の再発を防ぐためには、事故調査をする原因究明機関の強化も必要である。
 今まで、各省庁が縦割りで行ってきた消費者保護の施策を、各省庁が連絡を取り合って迅速に進め、被害を最小限にとどめること、そして、そのために消費者庁にはリーダーシップを発揮してほしいと思う。

《参考記事》
民主党の政策研、消費者相に要請書 食品事故被害者の救済など (2010年3月17日 日本経済新聞)
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20100317ATFS1702X17032010.html

2010年3月16日火曜日

東行田市桜町踏切~秩父鉄道の第4種踏切

 3月14日、再び、埼玉県行田市の桜町踏切をたずねた。 

 この桜町踏切では、2008年9月と昨年12月に事故があり、中学生と保育園児が亡くなった。
 12月の事故直後、秩父鉄道に問い合わせたところ、2008年の事故後、踏切に警報機や遮断機は設置していなかったという。
 昨年12月の事故後に、自転車等が踏切手前でいったん止まるよう、U字型の柵が線路をはさんで両側に3つずつ、あらたに取りつけられた。こちらは、道路管理者である行田市が設置したものだ。

 東行田の桜町踏切については、以前にも書いた。
( http://tomosibi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html )
踏切から見て左側、行田駅方面はカーブしていて見通しが悪いが、右側東行田方面は、線路がまっすぐで、見通しは良い。

 踏切を通る近所の方の話では、桜町踏切から100メートルほど向こうに見える第1種の警報音や踏切の信号を見て、列車が近付いているかどうかを判断すると言う。
 しかし、見通しがよいと思われる直線の線路の方でも、列車は踏切からどのくらいのところを走っているのか、距離感がわからない。
 
 まっすぐで見通しが良いと思われるところでも、踏切入口に立ってみると、意外と列車が近付くのが分かりにくいものだと思った。「遠いと思っても案外近いことがあり、踏切を渡ろうとしてひやっとすることがあった」と、散歩をしていたお年寄りが話していた。

 付近の住民の方の話によると、ここは小学生が登下校に使っていたという。以前は、登校時には、保護者が、踏切に旗を持って立ち、小学生を誘導していたそうだが、12月の事故の後、登下校に使うのを禁止したそうだ。

 付近には、小学校や中学校があり、登下校の際に使われていた。危険な踏切を放置せず、児童生徒が安心して通行できるよう、警報機や遮断機を設置するなど早急に対策を講じてほしい。 

(写真は、桜町踏切 2010年3月14日撮影) 
 

2010年3月15日月曜日

東武伊勢崎線竹ノ塚踏切事故から5年 (3) 

 3月15日、竹ノ塚踏切で事故が起きてから5年がたつ。

 事故現場では、毎年事故のあった時刻に合わせて、足立区長や区議・足立区選出の都議・国会議員や地元住民の方々等で構成する竹ノ塚駅付近鉄道高架化促進協議会が献花式を主催、事故のあった現場で黙とう、献花をする。

 一方、東武鉄道は、この日は、朝早く始発列車の出る前に、現場に献花をしたそうだ。

《参考記事》  (2010年3月16日追記)
冥福祈り再発防止誓う…東武線踏切事故から5年 (2010年3月15日 読売新聞 )
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100315-OYT1T00548.htm?from=nwlb
「危険な踏切ゼロに」 竹ノ塚駅の事故から5年 遺族会で対策訴え (2010年3月16日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20100316-OYT8T00083.htm  
 
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五年たっても、現実は変わらない
母が帰らないという現実は変わらない
私たちが、いくら呼ぼうとも、母は帰ってこない

なぜ、あんなところで、無残な最期を迎えなくてはならなかったのか、
なぜ、踏切で事故に遭うのが、私たちの母でなくてはならなかったのか…
誰も答えてくれない

私たちは、最期の時に、母に何一つやさしい
ねぎらいの言葉もかけられなかった
わたしたちは、母の最期のときに、誰もそばにいてあげられず、
母は、自分に大きな塊が、高速で衝撃したことすらも
意識できぬ間に、一瞬のうちに、遠い世界へ旅立ってしまった

自分自身の人生を振り返り、愛する人たちに別れの言葉を
告げることすらできずに、何も分からぬうちに、
巨大な塊に遠い世界へ連れて行かれてしまった母

あなたは今、どこにいるのだろう
あなたは今、どうしているのだろう

子どもらが巣立った後、
まだまだ元気で溌剌として、
父とふたりで老後を楽しんでいたのに、
苦労の多かった人生の終わりに近づいて、
ようやく得た平穏な日々を
誰が突然奪われると予想できただろう
もっと、生きたかったにちがいない
もっと、したいことがあったにちがいない

青く明るい空のかなたへ、問いかける
あなたは、今どこにいるのですか
あなたは、今何をしてほしいですか

2010年3月12日金曜日

東武伊勢崎線竹ノ塚踏切事故から5年 (2) 

  事故から5年がたとうするが、今でも事故当時のことが昨日のことのように思いだされる。

 2005年3月15日、夕方6時ころ私が、仕事を終えて帰宅すると、テレビを見ていた私の子どもが、竹ノ塚で事故があったと教えてくれた。テレビにはライトで明るく照らされた竹ノ塚駅踏切が映し出されていた。
 駅の周辺は騒然としているようで、事故の大きさを物語っているようだった。
昔から危ないと思っていた踏切でとうとう事故が起きてしまったと思い、不安な思いにかられた。

 しかし、この時はまだ死傷者名がわからず、ニュースでは被害者は30歳代と60歳代の女性だと伝えていた。母は事故当時75歳だったから、私は母が事故に遭っているとは夢にも思わなかった。後で実家の母に電話して、事故のことを聞いてみようと思った程度だった。

 夜9時ころ、母に電話しようと思っていたら、父が電話してきた。ふだんは母が電話してくるのになぜ父が…?といぶかしく思っていると、父は「母が事故に巻き込まれたらしい」という。
 母は夕方4時ころ買い物に行ったきり帰って来ないので、父は心配になり、父の方から7時ころ警察に電話した。その時初めて父は、竹ノ塚の踏切で事故があったことを知った。
 
 警察に、母が夕方出たまま帰らないことを話すと、警察が自宅まで父を迎えてきたという。父は「これから刑事さんといっしょに行く、また電話する。弟たちに連絡しておいてほしい」という。
 
 夜9時ころ、父は刑事さんらと実家を出て行ったきり、その後、父からは一向に連絡がなかった。私は自宅から、弟たちに実家に行ってくれるよう頼んで、自分は父からの連絡を待った。
 夜11時すぎ、やっと父から電話があった。「警察で母さんを見たが母さんだと断定できない、確信がもてない。」という。
 私と父が電話でそんな話をしていると、電話の向こうで刑事さんたちだろうか、「指紋が一致しました」と話しているのが聞こえた。やはり母が事故に遭っていた。 

 その後、父が弟たちといっしょに、遺体の確認をして、家に帰ることができたのは、夜中も2時を過ぎていたという。
 
 私たちはもっと早く母の安否を知りたかった。父は、遺体に対面する前に、警察署内で事情を聴かれていたという。そのため遺体を確認するまでに時間がかかり、父は私たちになかなか連絡できなかった。また父は携帯電話を持っていないので、こちらからも連絡ができなかった。

 父が病院にいるのか警察にいるのか、また母はどんな様子なのかわからず、私と弟たちは、とにかく警察に行ってみようと相談して、弟たちが竹ノ塚警察に駆け付けたのである。
 
 私たちも、急なことで何をしていいのか、どこへ聞けばよいのかわからなかった。後になって、母の安否や事故の情報が、もっと早く被害者の家族に伝わるようにしてほしいと思った。
 

2010年3月10日水曜日

東武伊勢崎線竹ノ塚踏切事故から5年 (1)

 2005年3 月15日午後4時51分頃、東武伊勢崎線竹ノ塚駅構内の手動式踏切(第1種、警報機・遮断機あり)で、横断中の歩行者ら十数名のうち4名に、上り準急列車が高速で衝突、2名が死亡、2名が重傷を負いました。
 その中に、私の母もいました。


 この踏切事故は、踏切保安係が遮断機を上げた直後、遮断機が上がったので踏切を横断し始めた歩行者を、時速90キロメートルで進入した準急列車が次々とはねるという悲惨な事故でした。

 事故は、当時、手動で遮断機の上げ下げを担当していた踏切保安係が、踏切詰所の早上げ防止鎖錠装置(急行が通過するときは遮断機を誤ってあげないにようにするロック)を、作業内規に定められた「鎖錠器は、原則として解錠してはならない」という規定に反して解錠し、準急列車が来るのを忘れて、警報音を消したまま、踏切遮断機を上げるという操作ミスが原因で起きました。

 しかし、事故は、単に踏切保安係の偶然の過失のみによって引き起こされたのではありません。東武線へは東京メトロ日比谷線、半蔵門線が乗入し、竹ノ塚踏切を通過する列車が1日900本以上という過密ダイヤになっていました。
 朝夕のラッシュ時には、1時間のうち57分も踏切が閉まったままという状態で、踏切が開くのを待つ通行人や車両で、交通渋滞が起きていました。(開かずの踏切)

 このような深刻な交通渋滞を避けるために、踏切保安係らは、日頃から、安全装置を解錠して、警報機の音を消すという、内規違反の行為を行なって、遮断機を上げ下げしていました。

 踏切を通過する列車が増加するなど、踏切をとりまく環境の変化に対し、事故を防ぐ体制が整備されるべきでした。
 しかし、鉄道事業者は、従来どおりの手動踏切のままで、熟練した踏切保安係の経験と勘にたよった遮断機操作によって、開かずの踏切を運用していました。
 踏切保安係の元同僚が、公判で、「いつ事故が起きるかもしれない、ひやりとした経験がある」と証言したように、現場の係員らは、踏切が危険だと感じていたのでした。
 長い間、何重にもとられていたはずの安全装置が働いていないという事態が続く中で、事故は起くるべくして起きてしまったのです。

 
 事故から、半年後、手動で遮断機を操作するのは危険だということで、踏切は自動化されました。
踏切は、遮断機が上がったと思うと、すぐまた警報機が鳴りだし、急いで渡らねばならず危険なため、踏切の両側には、警備員が常時配置され、踏切を渡る人を誘導しています。
 事故から、1年後には、踏切横に駅の上をまたぐ形で歩道橋が設置されました。自転車が渡れるようにスロープがつけられ、お年寄りや障害のある方が渡れるようエレベーターも設置されました。
 
 しかし、踏切に歩道橋ができたからといって、開かずの踏切であることに変わりはありません。
 鉄道の高架化によって一刻も早く、踏切がなくなること、そして二度と同じような事故が起きないことを願わずにいられません。
 
 
 
写真は、竹ノ塚踏切。遮断機などは自動化され、歩道橋が設置された。
警備員が踏切の両側に配置されている。
(2009年8月撮影)

2010年3月9日火曜日

日比谷線脱線衝突事故から10年

 2000年3月8日、乗客5人が亡くなり、64人が負傷した営団地下鉄(現在は東京メトロ)日比谷線脱線衝突事故から、10年がたった。事故から1年後、東京都目黒区の事故現場の線路わきには、慰霊碑が建てられた。

 事故は3月8日午前9時1分ころ発生。下り電車の最後尾車両が中目黒駅近くのカーブで脱線し、対向の上り電車の5、6両目と衝突した。
 事故について、当時の運輸省鉄道事故調査検討会は、車輪にかかる荷重のアンバランスなど複数の要因が重なり、車輪がレールに乗り上げて脱線したとする報告書をまとめ、鉄道事業者に安全対策を指示した。
 
 遺族は、取材に対して、事故を「忘れないでほしい」と話している。私たちは、いつも列車が安全に目的地に向かって走っていくと信じて乗車する。その信頼を裏切らないよう、 鉄道事業に関わる方々には、事故を忘れることなく、安全な輸送を最優先に、日々の業務に取り組んでほしいと思う。


左の写真は、日比谷線脱線衝突事故の慰霊碑。