2011年5月26日木曜日

ユネスコ「世界記憶遺産」に筑豊の炭鉱記録画

 報道によると、5月25日国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)は、福岡県飯塚市出身の絵師山本作兵衛(1892~1984)がかき残した記録画など697点を「世界記憶遺産」に登録すると発表した。
日本から世界記憶遺産に登録されるのは初めてである。

 山本作兵衛は、14歳から筑豊の各炭鉱で働き、65歳から炭鉱労働の実態や鉱員の生活を記録に残しておきたいと、絵を描くようになった。1000点以上の水彩画があるという。その一部は、遺族が遺品とともに田川市や福岡県立大学に寄贈するなどしていた。

 今回記憶遺産に登録されるのは、福岡県田川市が所有する絵画585点、日記6点、雑記帳や原稿など36点と、山本家が所有し県立大学(田川市)が保管する絵画4点、日記59点、原稿など7点にのぼる。

 2009年10月、世界文化遺産の登録をめざす「九州・山口の近代化産業遺産群」の委員会が、山本作兵衛の作品を「炭鉱記録画の代表作」と絶賛したのがきっかけで、山本の作品が注目を集めるようになった。
 昨年3月、山本作品を世界に紹介しようと、田川市と県立大学は、図録などを添えた推薦書をユネスコに提出し、記憶遺産に登録申請した。

 山本作兵衛の作品は、ユネスコのホームページでは、「筑豊の炭鉱が産業革命に直面していた時代についての個人的な証言集」と作兵衛作品を評価。そのうえで選定理由を「当時は政府・企業による公式記録は多くあるが、労働者による私的記録は極めてまれ。公式記録とは正反対の荒々しさと臨場感を持ちあわせており、世界史にとって重要な時代の、正真正銘の個人的記録」と評価されているという。

 炭鉱で働いていた労働者自身による記録画が世界的に評価されたことを喜ぶとともに、保管している所には貴重な記録の保存方法をあらためて検討してほしいと思う。

 ―世界記録遺産についてのメモ―

 世界記録遺産(Memory of the World)とは、ユネスコが主催する三大遺産事業のひとつで、1997年から始まった。歴史的文書など、記録遺産は、保存の危機にあるものが多い。そのため、ユネスコは効果的な保存手段を講じるため、記録遺産として残すべきものリストの作成をはじめた。
 最新のデジタル技術を駆使して重要な記録を保全し、研究者や一般人など世界の人々が容易に接することができるようにした。また、全世界に広く公開することで、重要な記録遺産を持つ国家の認識を高めることを目的としている。

《参考》
ユネスコ「世界記録遺産(Memory of the World)」
http://www.unesco.org/new/en/communication-and-information/flagship-project-activities/memory-of-the-world/homepage//
山本作兵衛の作品について
http://www.unesco.org/new/en/communication-and-information/flagship-project-activities/memory-of-the-world/register/full-list-of-registered-heritage/registered-heritage-page-8/sakubei-yamamoto-collection/#c200778
 
《参考記事》
「記憶遺産に筑豊の炭鉱画…山本作兵衛の697点」 (2011年5月26日02時24分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110526-OYT1T00122.htm?from=any

「世界記憶遺産:ユネスコ「世界史にとって重要な個人記録」(毎日新聞2011年5月26日15時06分)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110526k0000e040090000c.html

2011年5月24日火曜日

福島第一原発「事故調査・検証委員会」の設置へ~委員長に畑村洋太郎氏

 5月24日、報道によると、政府は閣議で、東京電力福島第一原子力発電所の事故の事故調査を行い被害の拡大を防ぐとともに、事故の再発を防止するための政策を提言する「事故調査・検証委員会」の設置を決めた。委員長には畑村洋太郎氏(東大名誉教授、70歳)が起用されることが発表された。

 畑村氏は、東大工学部の教授を経て、過去に起きた失敗事例の背景や組織的な原因を究明し、事故の再発防止に役立てようと「失敗学」を提唱、平成14年には「失敗学会」を設立して、理事長をつとめている。
 委員会は事故を中立の立場から多角的に行うため、委員は原子力行政に携わった人をなるべく避けて、原発事故の当事者と利害関係のない人を選ぶという。
 
 委員会は、今回の事故の原因究明にとどまらず、政府と東京電力の事故対応の問題点、過去の原発政策、原子力行政をめぐる政府機関のあり方など、幅広く検証するという。このため、菅首相や海江田経済産業相ら関係閣僚らからも聞き取り調査を行う予定で、東京電力関係者のほか、国際原子力機関(IAEA)の専門家からも意見を聞く方針。できるだけ早く検証作業に入り、今年中に中間報告をまとめるという。
《参考記事》
「事故調トップに「失敗学」畑村氏 政府、調査委設置を決定」  2011/05/24 14:00 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052401000114.html
 
「原発事故調設置、委員長に「失敗学」の畑村氏」  (2011年5月24日10時12分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110524-OYT1T00256.htm?from=any

2011年5月18日水曜日

踏切事故の現場をたずねて~倉敷市寿町踏切事故から2年

 5月15日、岡山県倉敷市にあるJR山陽本線倉敷駅構内の寿町踏切に行った。今年の5月11日で、事故から2年がたった。踏切には花束が置かれていた。
 この踏切では、2009年5月11日、午後1時40分ころ、自転車を押して渡っていた83歳になる女性が
遮断機まであと1,2mというところで、踏切内に取り残され、列車に撥ねられて亡くなった。

女性は、遮断機の中がわ、むかって左側で列車をよけようとしていたという。
                   2011年5月15日撮影 倉敷駅構内寿町踏切

 2010年5月、女性の遺族が、女性が亡くなったのは列車の運転士が安全確認を怠ったためだとしてJR西日本に損害賠償をもとめる裁判を起こした。
 
 この裁判で、事故当時の列車の運転士が、踏切で自転車の女性を、踏切の障害物検知装置が感知し、運転士に踏切の異常を知らせる特殊信号発光器が2度発光していたのを見落としていたことが、今年3月わかった。JR西日本の準備書面によると、踏切の手前約720mと400mの地点で、線路わきにある特殊信号発光器が発光していたということである。
 また、運転士は、駅に入るため、時刻表などの確認をしていて、特殊信号発光器を見落とすこともあると証言した。

 寿町踏切は、第1種で警報機・遮断機が設置され、踏切支障報知装置(非常ボタン、4か所)、障害物検知装置(センサー)が設置されている。
 踏切の長さは約20m、幅は11mで、4つの非常ボタンは踏切のやや内側を向いて設置されており、踏切の外にいる方には設置されているのがわかりにくいと思われる。
 事故後に、非常ボタンの位置をしめす表示が設置されたようだが、事故当時は非常ボタンは押されなかった。
 高齢の人にとっては長い踏切ではないかと思う。実際に遺族が計測したところによると、高齢者が渡り終えるのに、40秒かかったという。
非常ボタンが踏切の中側を向いているためわかりにくい。(グレーの箱形のもの)
現在は、非常ボタンの表示がある。        2011年5月15日撮影 寿町踏切

 倉敷駅から南へ歩いて10分ほどのところには、歴史的な景観を保存する倉敷美観地区があり、観光客でにぎわっている。また、駅北口には倉敷チボリ公園があったが閉園となっており、現在は今秋にショッピングセンターがオープンする予定である。駅の南側の旧国道沿いには、新しいマンションが多かった。

 また、代理人の弁護士によると、線路は、岡山・中庄方面から踏切手前約600mほどはほぼ直線で、列車内の運転士からは、3~400mくらい先から踏切が見えたのではないかという。
 列車の運転士が、自動車運転では当たり前のことである前方確認をしてくれていたら、踏切に人がいるのを目で確認してくれていたら、そして、確認したらすぐに非常停止してくれていたら、女性は亡くならずに済んだのではないかと、遺族は訴える。

 裁判で、JR西日本は、障害物検知装置(センサー)は自動車を検知するもので人を感知するものではないから、踏切内の人を検知できないといっていた。
 その後、センサーが踏切の女性を検知し特殊信号発光器が発光していたことがわかると、駅の手前では入駅のためにいくつか確認作業があり発光器を見落とすことがあるという。
 
 踏切より400m手前にある特殊信号発光器が発光したとき、踏切で立ち往生しているのは、人なのか車両なのかわからないだろうから、とにかく踏切の手前で安全に止まれるよう非常停止をかけるべきではないのだろうか。
 また、駅の手前で運転士が確認すべき事項の中に、駅構内の踏切の状況が入っていないのはおかしい。もし、踏切内に車両などが立ち往生していれば、列車も脱線し乗客に死傷者が出ることもあるだろう。そんな大事な確認作業を、JR西日本は踏切については行わないのだろうか。

 運転士が特殊信号発光器を見落とす可能性があり、踏切の手前で安全に止まれないのなら、運転士が発光器を見落としても、列車が安全に止まれるように、列車の運転と連動するようにすべきである。
踏切から手前400メートル地点の線路わきにある特殊信号発光器。  
 運転士は、信号器が発光したのを見落としていた。  2011年5月15日撮影

踏切の横にある歩道橋上から、岡山方面をみる。歩道橋には、エレベーターや
スロープはないため、自転車で通行することはできない。2011年5月15日撮影。
二度と同じような事故を起こさないため、JR西日本は事故の原因を正確に調べ、踏切の安全をどのように確保するのか、早急に検討すべきだと思う。 
 また、駅に近い寿町踏切の交通量の増加が予想される中、自治体も早急に踏切の安全対策を検討し実施するべきだと思う。  
 
 最後になりましたが、亡くなられた女性のご冥福を祈ります。

《参考記事》
「踏切事故、運転士が異常信号見落とし 法廷で認める  2011年3月4日」
http://www.asahi.com/kansai/kouiki/OSK201103040018.html

信楽高原鉄道事故~鉄道事故の再発防止をもとめた20年

 5月14日、信楽高原鉄道とJR西日本の列車が正面衝突した事故で、42名の方が亡くなった事故から20年がたった。甲賀市信楽町黄瀬(きのせ)の事故現場近くの慰霊碑の前では、遺族や関係者ら約300人が集まって法要が営まれた。

信楽高原鉄道事故の慰霊碑
                                              2011年5月14日撮影
   事故は、1991年5月14日午前10時35分ころ、滋賀県旧信楽町で開催されていた「世界陶芸祭」に向かうJR西日本の京都発信楽行き臨時列車と、信楽高原鉄道(SKR、単線)の列車が正面衝突、3両が大破した。42名の方が死亡、負傷者は614名にのぼった。

 事故は、SKRが、信楽駅の出発信号が赤信号のまま青に変わらないため信号を無視して列車を発車させたこと、その際には区間に列車がいないことを確認しなくてはならないのに、確認しないで発車させたことから起きた。
 
 しかし、その背景には、SKRに乗り入れているJR西日本が、単線で自社の列車を優先的に進行させる信号制御装置を、SKRに無断で設置していたという事情がある。他社の線に対する方向優先てこの設置が、SKRには知らされていなかったことが、SKRに赤信号を無視するという無謀な運転をさせることになった。

 一方SKRも、事故前にもたびたび信号の不具合が起きていたにもかかわらず、原因を突き止めずに列車の運行を続けていた。事故当時、SKRは「世界陶芸祭」の来場客の輸送に追われ、区間内に列車がいないことを確認しないで、列車を出発させた。

 遺族は、事故原因は両社の過失にあるとして民事裁判を提訴した。1999年、大津地裁は、JR西とSKRの過失を認め、遺族に損害賠償することを命じたが、JR西は控訴。2002年、大阪高等裁判所は、JR西の過失を認め、JR西は上告を断念、高裁判決が確定した。J遺族が、R西日本社長から謝罪のことばをひきだすまでに、事故から実に12年がたっていた。

事故現場は線路がカーブしており、木が繁っていて見通しが悪い。
JR西の列車が来た方を見る。信楽事故慰霊碑の横で撮影 2011年5月14日
   事故の現場は、線路がR300のカーブで、木々が茂っているため見通しが悪い。そのため、列車同士はお互いに直前まで気がつかなかった。スピードを落とす間もなく正面衝突したのだろう。

 事故で、妻を亡くした吉崎俊三さん(77歳)は、法要のあいさつで「悲しみと怒り、寂しさが相乱れる日々を乗り越えてきた。二度と事故を繰り返さぬよう再発防止に全力をあげてほしい」と語った。

 吉崎さんら信楽の遺族たちは、長い年月、鉄道事故などの事故調査機関をつくることにも力を注ぎ、鉄道はじめ運輸の安全をもとめてこられた。二度と悲惨な事故をおこさないため、私たちは、鉄道の安全を求める信楽の遺族の思いも受けついでいこうと思う。

 鉄道などの事業者、行政、自治体など公共交通の安全に関わる方々には、吉崎さんら遺族の思いを大切にうけとめ、運輸の安全性の向上に努めてほしいと、切に思う。

慰霊碑の入口にある「安全の碑」             2011年5月14日撮影

 
 事故から20年を機に、慰霊碑のそばには「安全の鐘」が建立された。信楽事故の遺族や日航機墜落事故、福知山線脱線事故の遺族らがいっしょに「安全の鐘」をつき、鉄道の安全を願い犠牲者の冥福を祈った。















 《参考記事》
「信楽高原鉄道事故:20年法要 安全への決意新た 福知山線事故遺族らも参列 /滋賀」
【柴崎達矢、前本麻有】
http://mainichi.jp/area/shiga/news/20110515ddlk25040288000c.html

2011年5月15日日曜日

うきは市踏切事故の裁判:JR九州の責任を問わず

 報道によると、4月21日、福岡地裁久留米支部の有吉一郎裁判長は、踏切の安全性の確保を怠ったとしてJR九州に損害賠償を求めていた訴えを棄却した。
 2009年6月午後4時半ころ、福岡県うきは市のJR久大線踏切(警報機・遮断機のない第4種踏切)で、小学5年生の長男(当時10歳)が列車に撥ねられて死亡したのは、踏切の安全性の確保を怠ったJR九州の責任だとして、両親がJR九州に対して慰謝料などを求めていた。
 
 両親の訴えによると、「現場は警報器と遮断機のない第4種踏切で、停止線もなく、日常的に接触事故の危険性が存在していた」と主張、小学生には列車の車幅を予測して踏切での停止位置を判断するのは難しいのだから、停止線が書かれていなくてはならないと、JR九州の踏切の問題点を指摘していた。

 これに対して、有吉裁判長は、「第4種踏切は事故を発生させるきっかけになることは明らかだが、第4種であれば瑕疵があるとまで言えない。現場は見通しもよく、人や車両の通過、列車の本数も少ない」との判断を示した。また、停止線がなかった点についても「『踏切止まれ』など各種の標識があったのに、停止線があれば、止まったと考えるのは早計。停止するタイミングを間違えたと考えられる」として、両親の訴えをしりぞけた。
 
 原告側代理人の弁護士は「現場踏切の危険性が認められなかったのは残念」と話している。
 
 JR九州によると、第4種踏切は4月1日現在で管内には274カ所にあり、全踏切の約10%に当たるという。10年度に第4種踏切でおきた事故は5件あり、うち死亡事故は3件。小学生が亡くなる事故のあった下前畑踏切には、昨年12月に遮断機、警報機が設置されたそうだ。
 
 第4種踏切や、警報機はあるが遮断機のない第3種踏切が、警報機・遮断機とも設置されている第1種踏切よりも、事故がおきる割合が高いことは国土交通省鉄道局も、鉄道事故の統計の中で認めている。
 踏切道は、鉄道と車両・人が通行する道路とが交差するから、通行にはお互いの安全が確保されなくてはならない。
 しかし、列車と一般車両・人とでは圧倒的に列車の方が重量も大きく、スピードも速いから、もし、両者が衝突すれば、一般車両や通行人はひとたまりもない。
 また、列車の乗客も危険にさらされる。踏切道はこのように危険な列車が通過するところなのだから、列車を運行させるには、鉄道事業者には踏切の安全設備を十分整える義務があると思う。
 危険な踏切道において鉄道と道路通行者の安全を確保するためには、列車の運転士に対しても、通行する者に対しても、二重三重に事故を防ぐための対策がとられなくてはならない。
 万が一、誰かがミスを起こしても、またどれか一つ安全装置が働かなくても、重大な事故に至らないように、安全対策がとられなくてはならない。
 
《参考》
①「鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成21年度)」国土交通省鉄道局 平成22年7月
http://www.mlit.go.jp/common/000124042.pdf
②「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」(平成13 年国土交通省令第151 号)は
 踏切道の安全の確保について、以下のように定めている。
「第40 条 踏切道は、踏切道を通行する人及び自動車等(以下「踏切道通行人」という)の安全かつ円滑な通行に配慮したものであり、かつ、第62 条の踏切保安設備を設けたものでなければならない。」
「第62 条 第1 項 踏切保安設備は、踏切道通行人等及び列車等の運転の安全が図られるよう、踏切道通行人等に列車等の接近を知らせることができ、かつ、踏切道の通行を遮断することができるものでなくてはならない。ただし、鉄道及び道路の交通量が著しく少ない場合又は踏切道の通行を遮断することができるものを設けることが技術上著しく困難な場合にあっては、踏切道通行人等に列車等の接近を知らせることができるものであればよい。」

《参考記事》
「福岡・うきはの踏切事故:『踏切管理、JRに責任なし』長男死亡、両親の損賠請求棄却」
毎日新聞【土田暁彦】
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20110421ddg041040005000c.html

2011年5月8日日曜日

燃料漏れの疑い、敦賀原発2号停止へ

 5月6日、日本原電から福井県に入った連絡によると、敦賀原発2号機(加圧型軽水炉、出力116万キロワット)は、核燃料から放射性物質が漏れている疑いが強いため、7日原子炉を停止して、1次冷却水の放射能濃度を低くして、漏れた燃料の特定を行う調査をすることになった。
 この調査と並行して、非常時に原子炉を冷やす緊急炉心装置など停止中にしかできない安全上重要な機器の点検も行うとしている。

 報道によると、2日、1次冷却水に含まれる放射性希ガスが1立方センチ当たり3900ベクレルで、4月26日の測定時から750倍に上昇、ヨウ素133も前回の2倍に上がったという。
 このため、原電は、炉心にある燃料棒の被覆管に微小な穴が開くなど、損傷した可能性があるとして、3日以降測定回数を増やし監視を強化するとしていた。

 この結果、燃料から放射性物質が漏れた疑いが強いと判断、7日、原子炉を停止して、1次冷却水の放射能を1か月程かけて低減させ、その後、燃料を使用済み燃料貯蔵プールに移して、放射性物質が漏れた燃料を特定するという。

 西川一誠福井県知事は、4月20日海江田経済産業相に対して、既存の原発の安全対策について、暫定的な基準を作るよう要請しており、基準を満たさなければ定期点検中の原発を起動するのは困難だと伝えている。
 また、同知事は、全国の原子力発電所立地地域を代表する形で、すぐに実行すべきことを国に要請したとしており、国は原子力発電所の安全を確保するための対策を緊急に検討指示すべきだとしている。 

 《参考記事》
「燃料漏れ疑い敦賀原発2号停止へ 県内5基停止で供給影響も」(2011年5月6日午後6時46分、福井新聞)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/society/27947.html
「福井知事が経産相に要請書 再起動に暫定基準を」 2011/04/20(電気新聞)
http://www.shimbun.denki.or.jp/news/energy/20110420_01.html

2011年5月6日金曜日

犯罪死見逃がし防止、遺体解剖専門機関の創設を提言

 4月28日、警察庁の「犯罪死の見逃し防止に資する死因究明制度の在り方に関する研究会」は、最終報告書をまとめた。

 報道によると、最終報告書では、現行の解剖制度では、犯罪性が不明な死体の解剖制度が構築されていないと指摘、従来の司法解剖と行政解剖に加え、新たに法医解剖制度(仮称)を創設し、犯罪性が不明な死体について、遺族の承諾がなくても解剖できるようにするとした。

 また、報告書では、現在解剖にあたっている医師は170人で、解剖率を上げるには医師が不足しているため、解剖医の育成を早急にすすめることをもとめているという。

 法医学の知識が十分とはいえない医師が検案にあたり、死体の外見検査のみで死因などを判断している例があり、犯罪が見逃されるケースがあった。警察庁の発表によると、このようなケースは1998年から2010年までで43件あった。
 これは、解剖率の低さが大きく影響している。平成22年1年間に警察が扱った遺体171025体のうち、解剖されたのは19083体で解剖率は11.2%、諸外国に比べて極めて低く、警察庁は解剖率を5年後には20%に上げたいとしている。

 同研究会は、2007年の大相撲時津風部屋の力士暴行死事件などをきっかけに、昨年1月に有識者を交えて設置された。また、鳥取県で連続不審死事件が相次いだことも、死因究明のための遺体解剖制度を検討する契機となった。

 遺体の解剖や薬物検査、CT検査などを使って死因を究明することは、犯罪を見逃がさないだけでなく、さまざまな事故の原因を究明し事故を防ぐためにも、必要だと思う。早急に法医制度を整備してほしいものだと思う。

《参考記事》
「法医解剖:警察庁研究会が創設提言 犯罪死見逃し防止で」2011年4月28日 10時26分 更新:4月28日 14時25分
http://mainichi.jp/select/today/news/20110428k0000e040014000c.html

「犯罪死見逃すな 遺体解剖の専門機関、警察庁研究会提言 」 2011年4月28日14時20分
http://www.asahi.com/national/update/0428/TKY201104280194.html