2012年6月30日土曜日

JR越後線第2下原踏切~新潟地裁の判決

  2010年8月、JR越後線の第2下原踏切で、近くに住む小学校5年生の男児が警報機・遮断機のない踏切で、列車に撥ねられて亡くなった。
2010年8月 事故直後の第2下原踏切 路面が悪く停止線もない
2010年8月 事故直後、踏切線路わきにあった背の高い草は刈られた
線路に近付いて、列車のきた西中通方面を見る

  この踏切は、音声で注意を促す装置が壊れていたり、停止線が書かれていない、男児のいた方からは草が高く伸びていて列車の見通しが悪いなど、列車の接近が分かりにくかった。また、この踏切では、平成4年にも畑仕事から帰る途中の女性が撥ねられて亡くなるという事故が起きており、付近の住民から、安全対策をのぞむ声があった。
 
  2011年7月、亡くなった男児の両親は、JR東に対して、踏切に列車の接近を知らせるなどの設備があれば男児は亡くなることはなかった、踏切の保安設備に瑕疵があったとして、損害賠償を求める裁判を起こした。
 報道によると、 この裁判の判決が、6月28日、新潟地方裁判所(三浦隆志裁判官)で言い渡されたが、判決では、「警報機などがなくても、踏切としての機能を全うしえた」として、原告の請求を棄却した。

  判決では、「汽笛などから列車の接近を知ることができた」、現場の見通しが悪いことについては「線路の手前まで進めば列車を目視することは十分可能」とした。
生い茂った草で列車が見えなくても、踏切の中に入り、線路に近付けば列車が見えるとしたことは、驚くべき判決だといえる。

  おい茂った背の高い草で列車が見えないからと言って、線路の手前まで近付いて安全確認しようとして、もし列車がすぐ近くまで来ていれば、列車に撥ねられてしまう。そんな危険な安全確認を、親は子どもにしなさいと言えるわけがない。裁判官は停止線(事故当時はなかった)から中がわに入り、踏切の中に入るということが、危険だと想像できないのだろうか?

  また、最近は、ロングレールなどの使用で、列車の走る音が静かになった。がたんがたんというレールのつなぎ目の音が少なくなったので、ホームにいても列車の接近に気付かないこともある。
だから、音だけで、列車の接近を判断するのではなく、確実に接近を知るために、踏切には何らかの警報器が必要だと思う。

  一方、男児が亡くなった事故から、約一年後の2011年7月、事故のあった第2下原踏切に警報機と遮断機が設置され、停止線も引かれた。線路に対してななめだった踏切道も、線路に対して直角につくり直され舗装された。
2011年7月、警報機や遮断機が設置され路面も整備された
2011年11月30日撮影
  国土交通省の省令では、踏切道の安全の確保について、
「第40条踏切道は、踏切道を通行する人及び自動車等(以下「踏切道通行人」という)の安全かつ円滑な通行に配慮したものであり、かつ、第62条の踏切保安設備を設けたものでなければならない。」
62条 第1項 踏切保安設備は、踏切道通行人等及び列車等の運転の安全が図られるよう、踏切道通行人等に列車等の接近を知らせることができ、かつ、踏切道の通行を遮断することができるものでなくてはならない。ただし、鉄道及び道路の交通量が著しく少ない場合又は踏切道の通行を遮断することができるものを設けることが技術上著しく困難な場合にあっては、踏切道通行人等に列車等の接近を知らせることができるものであればよい。 」(「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」平成13年国土交通省令第151号)と定めている。
  つまり、少なくとも、踏切には通行人に列車の接近を知らせることのできる設備を設置しなくてはならないということだ。

  危険な踏切道において、鉄道と道路通行者の安全を確保するためには、列車の運転士に対しても、通行するものに対しても、二重三重に事故を防ぐための対策がとられなくてはならないと思う。

  第2下原踏切の周辺は、宅地化が進み、近くには集会所や商店などがある。踏切は生活道として、住民や児童・生徒が日常的に使っている。そういった鉄道の周辺の変化を、鉄道事業者は把握して、踏切の安全対策をもっと早く検討・実施すべきだったのではないだろうか。
そして今回の裁判では、裁判官は、踏切の危険性を知りながら、事故で男児が死亡するまで踏切保安設備の設置と改善を図らなかった鉄道事業者の怠慢を裁くべきだった。

  新潟県内には、JR東新潟支社の踏切が850カ所か所ある。そのうち、警報機・遮断機のない第4種踏切はまだ71カ所あるという。国交省の調べでも、第4種踏切は、警報機・遮断機のある第1種踏切に比べて事故の起きている割合が高い。早急に、安全対策を講じてほしいと思う。

《参考》
拙ブログでは、第2下原踏切の事故について、以下のページでとりあげた
「踏切事故の現場をたずねて~新潟県柏崎市JR越後線第2下原踏切 」
http://tomosibi.blogspot.jp/2010/11/2.html
小学5年生が亡くなった警報機・遮断機のない踏切~柏崎市JR越後線
http://tomosibi.blogspot.jp/2010/09/5jr.html

《参考記事》
「柏崎の踏切男児事故死:損賠訴訟 JRへの損賠請求棄却−−地裁判決 /新潟」
毎日新聞 2012年06月28日 地方版
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20120628ddlk15040016000c.html

「踏切に欠陥認めず JR事故訴訟」朝日新聞新潟版2012年06月28日
http://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000001206280004

2012年6月19日火曜日

JR東大糸線豊科踏切、警報機・遮断機設置へ

  2008年3月30日、JR東大糸線豊科駅近くの保健所裏踏切で、自転車で踏切を渡っていた男性が特急スーパーあずさに撥ねられて亡くなった。事故の原因は分かっていない。男性が列車の接近に気がつかず踏切内に入ったとされている。特急の運転士が男性に気がついて、非常ブレーキをかけたが、間に合わず、男性を撥ねたという。

 事故のあった3月、JR東はダイヤ改正で、スーパーあずさの大糸線乗り入れを始めた。しかし、住民の中には、スーパーあずさの乗り入れが十分周知されていなかったのではないだろうか?走る音も静かで、車体の色も薄紫のあずさは風景に溶け込んで美しい。しかし、踏切を通行する人は、この列車の接近に気付きにくかったのではないだろうか?また、列車の来た方向には、電柱やフェンスがあって、列車が来るのが見えにくかったのではないかと感じた。

 事故の後、踏切の路面が整備され、停止線が書かれるなど、踏切道として改善された。
踏切からスーパーあずさの来た方向を見る。   (2009年4月5日撮影)
   この事故から4年3カ月たって、ようやく保健所裏踏切に警報機、遮断機が設置されることになった。亡くなった男性の遺族が、踏切に行ってみたところ、設置工事をしていることがわかった。
 線路わきで警備をしている警備員にたずねたところ、「この踏切は危険だから、遮断機や警報機をつけることになった」と話していたという。

 鉄道事業者から踏切事故の遺族に、踏切が改善されるという連絡が来るわけではない。いつも、現場の踏切がどうなったかと、注意して見ていないと、改善されたかどうかは、わからない。
 しかし、大切な人が亡くなった場所に何度も行かれる人ばかりではない。遺族が、踏切から遠くへ転居してしまうこともあるし、何よりも大切な人が亡くなった悲惨な事故の現場には、なかなか足を運べるものではない。辛い記憶がよみがえるからだ。
 だから、踏切が改善されたかどうか、何度も足を運ぶことは辛いことである。でも、遺族は大切な人が亡くなった事故の原因等が分析されることで、少しでも、同種の事故の再発防止に役立ったかどうかを知りたい。

 事故調査がされないので、どんなことが原因で踏切内にいて亡くなったのかもわからないのに、踏切内に止まっていたことだけで、踏切通行者が列車の往来を邪魔し、危険だとされ、列車往来危険罪で書類送検されることもある。しかし、それは、一方的すぎないかと思う。

 下のような踏切の写真をみると、路面が悪いことがわかる。線路があるので踏切の中央は盛り上がっているし、自転車で路面の悪いところにつまづいて、動けずに立ち止まっていたら、列車が来てしまったのかもしれない、などと想像することもできる。

 この踏切は危険だから、遮断機や警報機を設置するというなら、もっと早く鉄道事業者に対策をとってほしかったと、恨みがましく言いたくなる。
 2008年には、3月、5月、6月と、JR東中央線でスーパーあずさが関係する踏切事故が続いた。いずれも、遮断機のない踏切で、通行者が列車の来る直前に踏切に入ってきたとされている。しかし、なぜ、同じような事故が続いたのか、航空・鉄道事故調査委員会(運輸安全委員会の前身)では事故調査はされていない。

   鉄道事業者は一方的に通行者に事故の原因を求めるのではなく、踏切事故の原因を十分調査して、同種の悲惨な事故を防ぐ対策に積極的に取り組み、安全な鉄道をめざしてほしいと思う。

2008年3月 事故直後の保健所裏踏切、 路面が凸凹している。警報機・遮断機はない
(写真提供:市民タイムス)

路面が整備され、ポールも設置された保健所裏踏切  (2009年4月5日撮影)

遮断機や警報機を設置する工事がすすんでいた 警報機にはまだ、カバーが付いている。
遮断棹はまだ付いていなかった。  (2012年6月10日遺族撮影)

2012年6月8日金曜日

東京都、スカイマークに抗議~苦情受付窓口で

  
報道によると、東京都は、航空会社のスカイマークに対して、同社が乗客に対して、機内で苦情がある場合には、自治体が運営する消費生活センターに連絡するよう呼びかけていることについて、「会社に代わって苦情を受け付けるかのような記述は、到底容認できない」などと抗議する文書を送った。

同社は、機内でのサービスの考え方について、5月18日から機内の座席前のポケットに「サービスコンセプト」という文書を入れて、乗客に理解をもとめていた。この文書の中で、同社は、客室乗務員は保安要員だとして、サービスの簡素化について理解をもとめようとしていたが、
「機内での苦情は一切受け付けません。ご不満のあるお客様は、『スカイマークお客様センター』あるいは、『消費生活センター』などに連絡されるようお願い致します」と記していたという。

これに対して、6月5日、東京都の消費生活センターは、「消費者からの苦情は、企業みずからが責任を持って対処すべきだ」として、スカイマークに抗議する文書を送った。
この中で、東京都は、
「全国の自治体が設置している消費生活センターが、会社に代わって苦情を受けつけるかのような記述は到底容認できない。」として、機内の座席に置いてある文書をすみやかに回収すること、スカイマークが責任をもって対処すること、新聞への掲載などを通して周知することなどをもとめている。

これに対して、同社は、問題の文書をすべて回収し、「消費生活センター」という文言を削除して、文書の内容を見直すことにした。東京都は、「誤解を解くため、スカイマークには文書の修正だけでなく、誤った点を都民や国民に広く知らせてほしい」としている。
一方、6日、福嶋浩彦消費者庁長官も、「自社のサービスへの苦情を公的機関に振り向ける姿勢は容認できない」と話し、同社に回収を要請した。

本来、企業がまず、みずから、その場で対処すべき利用者からの苦情を、公的機関に押し付けるような同社の姿勢には驚いた。
同社がこの文書を回収し、文書をつくり直すのは当然のことだ。そして、利用者の安全と信頼にこたえるよう、同社は経営姿勢や安全対策を点検すべきだと思う。

《参考記事》
「東京都 スカイマークに抗議文 」NHK 65 2027  http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120605/k10015628361000.html
「スカイマーク 抗議受け文書見直し」NHK 66 2250http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120606/k10015658011000.html
「スカイマークが文書回収へ / 苦情窓口めぐる抗議受け」 佐賀新聞2012年06月07日 01時53分 
「スカイマーク 国交省に改善計画書」NHK 6月5日 23時45分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120605/k10015630961000.html

2012年6月7日木曜日

広島・長崎二重被曝~急がれる実態の把握

報道によると、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の調査で、アメリカの原爆投下により、広島と長崎で二重に被爆した可能性のある人が307人いることがわかった。

 同館は、同館に寄せられた被爆体験者の手記約13万3千人分をコンピューターで分析した結果、これまで、被爆地として広島と長崎両方を挙げた人が約160人いるとしていた。
しかし、今回、同館が、新たに寄せられた手記を分析、精査した結果、二重被曝の可能性がある人が307人にのぼることがわかった。今後も詳しい調査をして、数を確定するという。

 広島と長崎は直線でおよそ300km離れている。二つの都市に共通する点は、造船所や兵器工場などが多く、戦前は、日本の重要な軍事拠点であったことである。
 そのため、戦前、物資が欠乏してくると、これらの工場で働く人々は、この二つの都市の間で転勤や出張をしたり、避難したりしていた。また、長崎の学校に入学などしていた人が、広島に帰省する、または広島で被爆後、長崎の学校などに戻るなど、両市は行き来をする人が多かった。

 同館によると、原爆投下後に、両市に入ったのは、負傷者の救護活動や遺体の処理などにあたった軍人や看護師などがめだつということだ。また、両市に工場があった造船所の関係者の中には、両市で被爆した人も複数いるという。

 当時18歳だった男性は、軍医を目指して長崎で夏休みも勉強していた。1945年8月9日長崎に落とされた原爆で被爆し、同月13日、実家のあった広島市に帰省した際に、入市被爆したという。また、当時14歳だった男性は、長崎航空機乗員養成所の予備練習生だった。帰省していた岡山県から養成所に戻る途中、広島駅で原爆投下直後の惨状を目の当たりにして、救助活動にあたり放射線をあびた。同月8日午後、長崎の戻り、長崎に投下された原爆で被爆した。
 体験記の中には、二重に被爆したとみられる人のケースが数多くあり、同館の担当者は「この7年間で体験記が約2万人分増えたために新たな事実がわかった。原爆投下から67年たち、被爆者たちの体験を語り継ぎたいという思いの表れだと思う。」と話している。

 手記を寄せていない被爆者の方や、すでに亡くなっている方の中には、広島・長崎両市で被爆した人が数多くいるにちがいない。二重に被爆した人の実態はいまだによくわかっていないと聞く。
急いで調査をすすめて、実態を把握してほしい。そして、原爆の実態を知らない人たちに伝えていくことが、核兵器をなくすことに繋がっていくと思う。

《参考》
「ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆」 山口彊著 (朝日文庫、2009年)
《参考記事》
広島長崎で二重被爆、倍の307人か 13万人手記分析」 朝日新聞デジタル2012年6月2日

2012年6月4日月曜日

エレベーター事故から6年~徹底した事故調査を

6月3日、東京都港区内で、6年前エレベーター事故で当時16歳の息子さんを亡くした市川さんら主催による講演会が開かれた。作家で評論家の柳田邦男さんが「安全な社会づくりを目指して」と題して、講演を行った。
 柳田邦男さんは、政府の東京電力福島原子力発電所における検証委員会の委員やJR西日本福知山線列車脱線事故調査報告書検証チームのメンバーとして、さまざまな事故調査に関わってきた体験や、事故や災害、公害などを通して、この国の命の問題を考えてきた。

 柳田さんは、「一人の人が死ぬということは、大変な事件なのだ。事故で100人死んだから大変な事故なのではない。一人が死ぬという大変な事故が同じ場所で同時に100件起きたということなのだ。」「被害者の視点、命を奪われた者の立場に立つなら、被害者が100人であれ一人であれ、そこで命を絶たれ、人生を断ち切られるという意味において、何の差もない。それなのに、身近な生活空間で起きる事故については、メディアは事故発生直後はある程度のスペースを割いて報道するが、じきに沙汰やみとなり原因究明に力をいれない。」
 「行政がこの種の事故の対応に本腰を入れて取り組むには、身近なところで起きる事故を総合的にとらえ事故原因を究明し、明らかになった問題点から安全対策を勧告・提言等をする中立の専門的事故調査機関をつくる必要がある。」と語った。そして、被害者や遺族の立場に寄りそう柔軟な姿勢が必要だと話した。

 事故で息子の大輔さんを亡くした市川正子さんは、法的な権限を持ち、監督官庁から独立した中立公正な事故調査機関の設置を訴えた。「事故の本当の原因は何なのか、なぜ事故を防げなかったのか、事故を徹底究明し、その教訓をいかしてほしい。そのためには事故調査機関が必要」と語った。
 会場では、大輔さんの写真や野球道具など、思い出の品も展示され、かつての同級生や野球部員らが訪れた。

 
 市川さんの民事訴訟を担当する弁護士が、事故とその後の経緯や事故を起こしたエレベーターの問題点などを説明・報告した。

 市川さんによれば、エレベーターの事故から6年がたつが、事故を起こしたエレベーターの会社や保守管理会社から、事故について何の謝罪もないどころか、事故原因についての説明もないという。
 エレベーター会社や保守管理会社の担当者を起訴した刑事裁判の公判が開かれ、また専門家による事故調査が進み、事故原因について、解明が進むことを願いたい。

 
《参考記事》
「高2死亡エレベーター事故から6年 柳田邦男さん「安全な社会」テーマに講演会」東京新聞
2012年6月1日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20120601/CK2012060102000077.html