この年は、3月にここ豊科で、5月には武津踏切で中学1年生が、6月にはお年寄りが、スーパーあずさに撥ねられて亡くなる事故が続いた。
事故当時は、この踏切に警報機や遮断機がなく、自動車の進入を防ぐポールも立っていなかった。写真を見ると路面が悪いのがわかる。男性は、音楽を聴くのが好きで、携帯で音楽を聴きながら出勤、踏切を自転車で渡っていたという。
アルプスの風景に溶け込むうす紫の車体、静かな走りをするスーパーあずさは、鉄道ファンにとっては憧れの特急かもしれない。
しかし、警報機や遮断機のない踏切を通行する者からすれば、それは、見分けにくい、接近がわかりにくい電車でもあるのではないか。
男性が亡くなった当時の保健所裏踏切
路面が悪く、自動車の進入防止のポールもない。
2008年3月30日 「市民タイムス」提供
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母親によると、工事関係者は、「ここの踏切は危険だから、工事をしている」と話したという。
「そうか、ここは、危険な踏切だったのだ」と、母親は思った。それなら、なぜ、もっと早く、事業者は踏切に警報機や遮断機をつけてくれなかったのだろう。事故が起きた時は、踏切を渡った息子が悪いとばかりに、遺族である自分に損害賠償の請求書まで送ってきたのに…
その上、第1種踏切(警報機・遮断機とも有り)にする工事について、鉄道事業者から、遺族である母親へ、連絡があったわけでもない。偶然、母親が工事の現場に行って、工事関係者と話ができたのだ。
母親が、何年も何度も踏切に通い、「息子よ安らかに…」と呼びかけ、「踏切事故が無くなりますように…」と願ってきたその場が、安全対策が進められ改善されるということを、なぜ、事業者は一言も、母親に連絡しないのだろうか?
安曇野市豊科にある保健所裏踏切
2014年3月30日撮影
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自動車やオートバイの進入禁止を示す看板や遮断機の色が、真新しく清々しく見える。警報機のランプが丸型で、いろいろな方向から点滅するのが見えるようになっている。
当時、男性は、一人暮らしをする母親を心配して、母親と、事故の4カ月前に同居し始めたばかりだった。
男性が健在ならば、子煩悩なお父さんになっていたかもしれないと思うのは私ばかりではない。
私たちは、突然、踏切事故で亡くなった大切な人のことを片時も忘れることができない。亡くなった人に伝えたかった言葉、感謝の言葉や労いの言葉が胸の中から、溢れそうになる。
涙とともに、大切な人を救えなかった後悔の念があふれて、心の奥深くに沈んでいくのを苦しく見つめ、でも、自然にまかせることしかできない。
いつか、心の奥に沈めた亡き人への思いが、形を変えて、私たちを動かす力になることを信じて…
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