2011年10月28日金曜日

被曝おさえるヨウ素剤服用、指示に遅れ

 報道によると、原子力安全委員会が、甲状腺の被曝を抑える効果のある安定ヨウ素剤を服用するよう、政府の原子力災害対策本部に助言したことが生かされず、同本部から自治体への指示が3日後の3月16日に遅れた可能性のあることがわかった。

 現行の指針では、ヨウ素剤の服用は同安全委の意見を参考に、福島県にある現地災害対策本部が指示をすることになっているという。
 福島第1原発の事故で、 原子力安全委員会は、1号機で爆発のあった翌日の3月13日未明に、政府の緊急災害対策本部に電話で助言をし、その後ファクスで2回ほどやりとりをした。
  同安全委は、人体への放射性物質付着を検査し、1万cpm(1分当たりの放射線測定値)以上の場合は服用すると助言した。
 しかし、政府対策本部の経産省原子力安全・保安院原子力防災課長は、この助言が書かれたファクスの紙自体が確認できていないと反論しており、実際の服用指示が出されたのは、原発から半径20キロ圏内の避難がほとんど済んだ16日になったという。

 福島県によると、3月13日以降、これまでに検査した約23万人のうち、1万3千cpm以上は約900人
いる。大半が3月20日までに検査した結果だという。もし、服用の指示が迅速で、住民がヨウ素剤を早く服用していれば、14日、15日に福島第1原発で起きた爆発の被曝をおさえることができたかもしれない。
 保安院は、原発周辺自治体で、ヨウ素剤が配布されたのか、住民に服用されているのか、実態を把握していない。
 
 政府の福島原発の事故・検証委員会もこれらの経緯を調べる予定だという。

 
《参考記事》
「ヨウ素剤服用指示に遅れ 災害対策本部、900人に助言届かず」中国新聞2011年10月26日
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201110260171.html
「原発事故時、ヨウ素剤服用の助言900人に届かず」朝日新聞2011年10月26日
http://www.asahi.com/national/update/1026/TKY201110250743.html

2011年10月16日日曜日

関東大震災・東京大空襲の慰霊堂~墨田区横網町公園

   1923年(大正12年)に起きた関東大震災から、今年の9月1日で88年がたった。
関東地方を襲った地震はマグ二チュード7.9、木造やレンガ造りの建物は倒壊し、多くの人々が倒れた家屋や建物の下敷きになって亡くなった。

 しかし、建物の倒壊よりも、その後の火災で亡くなった人が多かったことがわかっている。地震が正午に近かったこともあって、昼食の支度に火を使っていた家が多かったために、地震と同時に各地で火の手があがった。
 水道管が破壊されたため、消火活動が進まず、火の手は瞬く間に広がった。また、避難する人々は大八車に家財を乗せて運んだり、荷物を家から運んだりしたため、人だけでなく荷物で道路や避難所が塞がれ、身動きが取れなくなり、消防活動も進まなかったという。
地震と同時に起きた火災は、9月3日の午前7時ころまで、約42時間燃え続け、当時の東京市の約5割、戸数約7割を焼失した。

 地震後、東京の公園や宮城前には、多くの市民が避難してきた。その中でも、横網町にある陸軍省被服廠跡地には、多くの住民が避難していた。
陸軍省被服廠の建物が移転した跡地は、大正11年に逓信省と東京市に払い下げられていた。2万430坪余りの広大な敷地を、付近の人々は絶好の避難場所と考えて、家財道具などを運んで避難し、跡地は家財と人であふれていた。しかし、火が周辺から襲い、家財に引火し、その上、折からまきおこった旋風に人々や家財などが巻き上げられ、飛散した。

 被服廠跡地には、煙に巻かれて倒れた人や旋風に巻き上げられて墜落した人の山ができ、その山を炎が襲い、多くの人々が焼死したという。
 推定約3万8千名の人々がこの跡地で亡くなった。その数は、関東大震災で亡くなった全東京市の人の55%強に達する。

墨田区横網町にある東京都慰霊堂-2011年10月10日撮影
この跡地には、今、慰霊堂が建っている。両国国技館や江戸東京博物館の裏手にあり、両国駅から歩いて10分ほどのところにある。
 震災から、7年経って完成した慰霊堂には、当時一家全滅などで引き取り手のなかった遺骨260個が大骨壷におさめられ、震災で亡くなった5万8千人の霊がまつられている。
また、太平洋戦争中、米軍の無差別爆撃によって亡くなった約10万5千人の非戦闘員である東京市民の霊も祭られている。
 戦前は慰霊行事は東京都知事主催だったが、戦後は、政教分離の原則から、民間の団体である財団法人東京都慰霊協会が行うことになった。

 慰霊堂のすぐそばには、「復興記念館」があり、震災当時の記録写真や戦災の資料などが展示されている。中には、地震が発生した際、地震の揺れを記録した東京大学地震学研究室の記録紙も展示されている。揺れが大きく針が大きくふれて、用紙からはみでている。また、溶けた釘のかたまりは、地震後の火災の激しさを物語っている。

 そんな貴重な資料が数多く展示されているのに、この資料館や慰霊堂を訪れる人も少なく、展示されている絵や資料も、ほこりをかぶっているかと思うくらいくすんでしまっている。

 関東大震災や東京大空襲の事実と多くの犠牲を忘れないため、これらの歴史的建造物をもっとよい状態で保存してほしい。そして、もっと、多くの人々にこのような場所のあることを知ってもらい、訪ねてもらいたいものだと思う。
東京大空襲の犠牲者を慰霊する碑-横網公園内
中には、空襲の犠牲者の名簿が保存されている。
2011年10月10日撮影

震災の慰霊堂の前には、由来記が書かれている
2011年10月10日撮影
《参考》
吉村昭著「関東大震災」文春文庫:文芸春秋2004年刊
財団法人東京都慰霊協会発行「関東大震災」「東京大空襲の記録」

2011年10月13日木曜日

東京世田谷で、高い放射線量を検出

   報道によると、12日、世田谷区は、世田谷区弦巻で、周辺よりも高い放射線量が検出されたと発表した。最大毎時2.7マイクロシーベルト、一日に8時間屋外・16時間屋内にいたとして、年間の被曝線量に換算すると、14ミリシーベルトとなった。国が避難を促す基準となる年間被曝線量20ミリシーベルトよりは低い。しかし、文部科学省が、福島県内の学校の校庭の安全の目安として設定している毎時1マイクロシーベルトの2.7倍に当たる
 
 区は、この区道を圧力洗浄した後、線量を計測したが、線量は下がらなかった。区は原因は分からないとしているが、区道に接した塀の木の葉を採取して、放射性物質が付着していないかなどを調べる。また、区は、今月下旬から来月にかけて、区内にある公園258か所の砂場なども、空間放射線量を測定することを決めた。

   世田谷区だけでなく、各地で、住民らの測定で、放射線量の高い地点がみつかっている。
区など、各地の自治体は、子どもの安全を確保するため、放射線量が高いところがないかどうか専門業者に調査してもらい、高いところがあれば、早急に除染作業に取り組んでほしい。

《追記》2011年10月13日
   13日、世田谷区は、弦巻の区道に隣接する民家側から高い放射線量を検出したことから、所有者の承諾を得て、この民家の放射線量を計測した。その結果、民家の床下から高い放射線量を計測、床下にあった瓶から高い放射線量を計測したことから、この瓶を文部科学省原子力安全管理課が調査することになった。

「世田谷の高線量:原発事故と無関係 住宅床下の瓶が発生源」2011年10月13日 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111014k0000m040083000c.html
《参考記事》
「世田谷区、さらに高い放射線量 地上1m、原因は不明」 2011/10/13 12:50   【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011101301000297.html

2011年10月5日水曜日

福島第一原子力発電所事故、損害賠償手続き開始

 福島第一原子力発電所の事故から半年余りがすぎた。  報道によると、9月12日から、東京電力は、政府指示で避難した約6万世帯に損害賠償の請求用紙を送った。東京電力が送った請求用紙に、被害者が請求額などを記入し、東京電力が審査して被害者が同意すれば、賠償金が支払われるという。政府の原子力損害賠償紛争審査会が決めた中間指針にそった賠償方式だそうだが、いくつかの問題点が指摘されている。

まず、請求手続きが煩雑だという。請求書類は60ページで、その解説書は156ページもおよぶ。避難所生活を送る被害者にとって、解説を読んで記入するのは大変なことだと思う。
東京電力は、コールセンターなどの人員を増やして相談を受け付け、要望があれば、仮設住宅などにも、出向いて説明会を開くと言っているようだが、迅速に事務を行い、早く賠償することが大切だと思う。
今回の補償は事故から8月までで、9月以降は3ヶ月ごとに請求をうける。被害者が賠償額に同意できない場合は、紛争解決センターに仲介を求めることができる。それでも、合意できない場合は訴訟という道もある。

また、自主避難した人や自治体への補償は、賠償の基準がまだ決まっていないため、今回は手続きが開始できていない。
損害賠償の手続きは、まだ始まったばかり。原発事故の被害者の救済のために、東京電力は、一刻も早く、そして簡略な手続きに心がけてほしい。
《参考》
東京電力株式会社が行う原発事故被害者への損害賠償手続に関する会長声明
平成23年9月16日 日本弁護士連合会
《参考記事》
「原発賠償 被害者の救済に腐心せよ 」2011年9月22日 10:37 西日本新聞朝刊
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/264629

2011年10月4日火曜日

福島県内の子ども、甲状腺機能に変化

報道によると、認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)と信州大学病院(ともに松本市)が、福島県内の子ども130人を対象として、この夏、健康調査を行った結果、10人(7.7%)の甲状腺機能に変化が見られたという。経過観察が必要と診断された。福島第一原発事故との関連性は明らかでないが、JCFは今後も継続的に検査が受けられるよう支援していく方針だという。

調査は、原発事故から逃れて茅野市に短期滞在していた子どものうち、希望者を対象に今年7月28日、8月4日、18日、25日に実施、医師の問診と血液検査、尿検査を行った。130人は73家族で、子どもは生後6カ月から16歳、平均年齢7.2歳だという。

今回の調査では、1人が甲状腺ホルモンが基準値を下回り、7人が甲状腺刺激ホルモンが基準値を上回った。甲状腺機能低下症と診断された例はなかった。
2人の男児(3歳と8歳)が、「サイログロブリン」の血中濃度が基準値をやや上回った。サイログロブリンは甲状腺ホルモンの合成に必要なタンパク質だそうで、甲状腺がんを発症した人の腫瘍マーカーにも使われる。また、甲状腺の腫瘍が産生したり、甲状腺の炎症で甲状腺組織が破壊されたりすると、血中濃度が高くなる。健康な人の血液中にも微量存在するという。
甲状腺が甲状腺ホルモンを合成する際には、ヨウ素を必要とする。原発事故で放出された放射性ヨウ素が、体内に取り込まれると、甲状腺に蓄積し、甲状腺がんや機能低下症を引き起こすとされる。旧ソビエト連邦のチェルノブイリでおきた原発事故の被災地では、事故から数年して、小児甲状腺がんが増えている。そのため、JCFの鎌田実理事長は、福島県内の子どもたちが、継続して定期的に検査が受けられるよう、支援する必要があると説く。

福島県内の子どもの中には、被曝している子どもがたくさんいるかもしれない。今後も長く、継続して検査や、必要な治療が受けられるよう、行政や東京電力は必要な対策を講じてほしいと思う。

《参考記事》
「10人の甲状腺機能に変化 福島の子130人健康調査 」信濃毎日新聞10月04日(火)
http://www.shinmai.co.jp/news/20111004/KT111003ATI090018000.html