2015年3月28日土曜日

渡る人の視点で事故を見なおす~踏切の実態把握を

 3月15日竹の塚教育センターで開かれた講演会で、柳田邦男氏は「事故とは、人間が死傷すること、生活・人生を破壊されること」と語った。たとえ、小さな事故であっても、被害者やその家族にとっては、人生を狂わされることになるのだ。

 そして、一つの事故で、どれだけ多くの人が、人生を狂わされることだろう。
 それは、亡くなった人の家族、友人、親類だけではない。亡くなった人が働く人ならば、有能な働き手を失った会社は、経営に息づまることもあるかもしれない。若い息子夫婦を孫の子どもらとともに失った老いた両親は、生きる希望を失うかもしれない。恋人を事故で失った女性は、電車に乗れず、働きに出ることも外にでることもできないかもしれない。長年連れ添った人を突然失った人は、生きる意欲を失うかもしれない。

 事故の対策を考える人は、被害にあった人の視点にたって、その苦しみと悲しみを想像してみてほしい。自分の心の痛みとして感じてほしい。そして、事故を無くす対策をいろいろな人に考えてほしい。

 国土交通省の統計によると、2004年から2013年までの10年間に、踏切事故で1226人の人が亡くなっている。毎年100人以上の人が踏切で亡くなっている。それらの踏切事故の多くは運輸安全委員会で事故調査されることがなく、ニュースなどで運休した運転本数や影響を受けた乗客数などが発表されるだけといってよい。
 なぜ、事故が無くならないのかと問えば、事故そのものが正確に把握されていないからではないかと思う。踏切事故では、踏切を渡っていて亡くなった人が、事故の責任を問われている。しかし、なぜ事故が起きたのかを調べ、安全対策を講じなければ、同じような事故は無くならないと思う。
 
 踏切ごとに、どんな設備があり(またはないのか)、どこがどのように危険なのか、事情は異なると思う。踏切で、いつどのような人たちが渡っているのか、お年寄りが多いのか、通学路になっているのかなど、踏切の客観的なデータを集める、事故情報を集める。そこから、一つ一つの踏切に必要な対策が見つけられると思う。

 報道によると、国土交通省は、これから踏切に関する情報を集め「カルテ」を作成するそうだ。踏切事故を無くすため、安全対策に生かしてほしい。

≪参考記事≫
「社説 踏切事故 渡る人の視点で考えよ」朝日新聞2015年3月26日
(2015年03月26日 朝刊)
http://astand.asahi.com/column/editorial/DA3S11669996S.html

2015年3月16日月曜日

竹ノ塚踏切事故から10年~柳田邦男氏が講演

 3月15日、東武伊勢崎線竹ノ塚駅近くの踏切、通称「大踏切」で、4名の女性が死傷した事故から10年がたった。

 事故のあった3月15日午後、踏切近くの竹の塚地域教育センターで、作家の柳田邦男氏を迎えて、講演会が開かれた。
  踏切事故遺族の紡ぎの会の関係者、地元足立区の住民の皆さんをはじめとして、足立区長を会長とする「竹ノ塚駅付近鉄道立体化推進連絡協議会」、足立区選出の議員、国土交通省、東京都などから、関係者が約300名参加した。

 柳田氏は講演の中で、「事故とは何か」と問い、「人間が死傷し、生活・人生を破壊されること」と語った。小さな事故であっても、人生を狂わされてしまうのが、事故だ。その事故によって、大きく人生を変えられてしまった被害者や遺族たちは、二度と同じような事故を起こしてほしくないと、各種の事故調査の充実をうったえ、再発防止をうながしてきた。柳田氏は、その意味を、事故調査の歴史の中でとらえて、遺族の活動を評価、事故調査や遺族支援がすすんできたと語った。

 講演会後、事故のあった竹ノ塚駅踏切で、有志約200人が、黙とうをおこない、足立区長や遺族が献花した後、参加者で献花した。

≪参考記事≫
「踏切事故から10年、講演会と竹ノ塚南側の踏切事故現場で献花式が行われました」
2015年3月15日足立区鉄道立体推進室鉄道立体化担当課
http://www.city.adachi.tokyo.jp/hodo/20150315kenkasiki.html
「天声人語 竹ノ塚踏切事故から10年」朝日新聞2015年3月16日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11652557.html?ref=nmail_20150316mo&ref=pcviewpage
≪遺族あいさつ≫
「思いを紡ぐ」 2015年3月15日竹の塚教育センターにて
(文中の個人名は削除いたしましたが、当日会場ではお名前を読ませていただいております)

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2015315

あいさつ
                                踏切事故遺族の会
                                  紡ぎの会代表
 

本日は、お忙しい中、多数ご参加いただき、ありがとうございます。

10年前、竹ノ塚駅そばの大踏切で踏切保安係が準急電車が来るのを忘れて、遮断機をあげてしまったために、おおぜいの通行人が踏切に入り、上りの準急電車にはねられて2名が死亡、2名が負傷しました。

その中に、私の母(当時75歳)もおりました。 
母は家族の中心といってもよい人で、明るく太陽のような人だったと思います。楽天家で 社交的な人でいつも前向きに見る人でした。

地域では町内会婦人部の副部長をまかされていました。地区センターで、書道教室を開いて、地域のみなさんと楽しく、時には冗談もまじえてすごしていたようです。そして、孫の成長を何よりも楽しみにしていた人でした。

事故の前の2月には、父との結婚生活も50年をむかえ、春には、家族皆で金婚式を祝おうと話していたところでした。父と母は、結婚50年の記念に、奈良の吉野山の桜を見に行こうと話していた矢先の事故でした。

何か罪になることをしたわけでもなく、平凡に日々の生活を送っていた母が突然あってはならない事故によって、命を奪われ、私たちは愕然としました。

余りに突然で、どう葬儀をとりおこなったらよいのか、何の心の準備もできていませんでした。事故の翌日、母の遺体は東京大学の司法解剖にまわされました。夕方、司法解剖の終わった母の遺体をひきとり、葬儀の支度をしました。

病気であれば、少しは母の死後のことを相談したり、母も、残していく父や子供らに別れのことばをいうこともできたでしょうに、50年つれそった父に何もいうこともできずに 電車にぶつかったことすらわからない、一瞬のうちにこの世をさりました。

私たち子供らも母に、長年の苦労をねぎらう言葉のひとつもかけてあげることもできず、 何一つ、親孝行らしいこともできないまま、突然、母を見送りました。

なぜ、こんなことが起きたのか、なぜ、罪もない母が、突然、命を奪われなくてはならないのか? 

もちろん、直接には踏切保安係が遮断機を上げたことが原因ですが、なぜ保安係が安全装置をはずして遮断機のあげさげをする状況が続いたのかということは、はっきりした答えが出されているとは思えません。

事故後、検察は、遮断機をあげた踏切保安係しか起訴せず、踏切保安係だけが実刑をうけました。
当時、鉄道や航空の事故調査をする航空・鉄道事故調査委員会は、この特異な踏切事故を 調査しませんでした。
東武鉄道の社内調査の結果は事故から4か月後、公表されましたが、開かずの踏切の状況や、踏切保安係が安全装置を外して遮断機をあげさげしているという内規違反の状態を 把握する体制が十分でなかった、本社は把握していなかったと報告しました。

現場で遮断機をあげた係員だけが実刑を受けただけで、事故の裁判は終わり、私たちは釈然としないまま、年月がすぎました。

釈然としない思いは、その後も踏切事故が繰り返されるごとに強くなりました。踏切では 毎年100人以上の人が亡くなっており、2004年から2013年までの10年間に1226人もの人が亡くなっています。 

なぜ、踏切事故は無くならないのか? なぜ、母のように突然、命を奪われなくてはならないのか? なぜ悲惨な事故がくりかえされるのかという疑問をいだいてきました。  

母と同じように悲惨な事故にあってほしくない、踏切事故が無くなってほしいと願ってきました。踏切事故を無くすには、事故の実情を把握すべきとうったえ、事故情報の収集や公開を関係者にもとめてきました。

2008年、運輸安全委員会が発足する際に、踏切事故の調査対象が広げられ、死亡者が1名であっても、鉄道係員の操作のあやまりや設備に原因があると思われる場合は、事故調査をすることが決まりました。

また 遮断機のない踏切では事故の発生する頻度が高いことから、20144月には、遮断機のない踏切でおきた死亡事故について、事故調査をすることが決まりました。昨年4月に起きた踏切事故から調査が始まり、事故調査報告書が公表されています。

私は、事故後いろいろな事故のご遺族や被害者の方々と悲惨な事故をなくし、安全で安心な社会をつくるには何が必要かといっしょに考える機会をいただきました。 

○諏訪市の遮断機のない踏切で、息子さんをなくされたご家族
○日航123便御巣鷹墜落事故で、息子さんを亡くされた母親
○港区のマンションでエレベーターの戸が開いたままあがったために、高校生の息子さんが亡くなった母親
JR西日本福知山線脱線事故で、負傷された家族がおられる方
○柔道の部活中に、息子さんが高次脳機能障害を負った母親
○鉄道事故防止の研究をしていらっしゃる運輸安全委員会の委員の方
○事故をヒューマンファクターの面から分析していらっしゃる日本ヒューマンファクター研究所の皆様
○長年にわたり、安全工学シンポジウムで研究発表する機会をあたえて下さった日本学術会議の研究者の皆様、ともに事故防止のあり方を研究してくださった専門家の皆様、そして、折れそうになる心を支えて下さった友人の皆様

この10年間、わたしども遺族にご理解とご支援くださりありがとうございました。一歩一歩、歩いてこられたのは、皆様のおかげと感謝いたしております。

踏切事故をなくすため、危険な踏切そのものをなくすという抜本的な対策に、竹ノ塚踏切事故直後から、とりくんでおられる足立区の皆様、国土交通省の皆様、東京都の皆様、地元自治会や商店街の皆様、ありがとうございました
竹ノ塚踏切では鉄道高架化工事が着々とすすみ、2020年度に完成予定と聞いています。 

踏切事故をなくすためには、抜本的な対策がもとめられますが、対策が完了するまで時間や費用がかかります。踏切では、現在も年間100名前後の人が亡くなっています。各地の踏切の実態を把握し、安全対策を検討していただきたいと思います

最後になりましたが、竹ノ塚駅付近の高架化工事が事故もなく、安全に進みますよう、心よりお祈り申し上げます

長くなりましたが、これで、わたしの挨拶を終わらせていただきます

ご清聴ありがとうございました

2015年3月10日火曜日

東京大空襲から70年~民間人の被害を記録し、継承する

 1945年3月10日未明に行われたアメリカによる無差別爆撃。一夜にして、東京の下町一帯は、焼け野原と化し、10万人もの人が亡くなった。私の母の親戚や、恩師の家族もこの空襲で亡くなっている。
 熱く燃えさかる炎の中を逃げまどい、行き場を失って倒れていった人々に、思いをはせる。戦後の平和はあなた方の犠牲の上に築かれているのだと。私たちは、空襲で無念に命を絶たれた人たちのことを忘れないと。

 作家の早乙女勝元氏(82歳)は、1945年3月10日の東京大空襲のとき、当時の向島区に住んでいた。国民学校の高等科1年で12歳だった。自宅は焼け残ったが、2か月後の空襲では、隣の中学校が一瞬にして焼けるなど、危険だったという。

 1970年に「東京空襲を記録する会」をつくり、74年までに「東京大空襲・戦災誌」全5巻を刊行した。早乙女さんは、844編もの体験記が集まったのは、当時ベトナム戦争があったからだという。当時、日本の沖縄から北ベトナムへ、B52爆撃機が飛び立っていく。そのことへ心のうずきを持つ人たちが、あらためて自分たちの戦争体験、空襲体験を振り返り、体験をつづったのだという。
 戦争体験に憲法9条が重なり、戦後の平和の礎となった。
 戦争当時の国際法でさえ禁じられていた民間人への爆撃。
 なぜ、軍人や軍需工場だけでなく、無差別に民間人を爆撃をしたのか?市井に暮らす罪もない人たちをなぜ爆撃したのかと問い続け、被害の実態を語り続けてきたが、早乙女さんら体験者が語り継ぐことが、戦後から70年がたち、限界に来ている。
 早乙女さんは、さまざまな形で、戦争の体験を継承することを考えなくてはならない時だという。絵でも、コミックでも、映画でもよい。早乙女さんら戦争体験者が、「東京空襲を記録する会」から「東京大空襲・戦災資料センター」へと発展させてきた体験の継承を、次の世代が引き継ぎ、平和の礎を守り固いものにしていく必要があるのだと思う。

    ~東京大空襲から70年の夜に~

≪参考記事≫
「社説 東京大空襲 被害と責任見つめ直す」朝日新聞2015年3月10日
http://astand.asahi.com/column/editorial/DA3S11641425S.html
「戦後70年 空襲、街ごと標的 火の海に」朝日新聞2015年3月10日
 http://digital.asahi.com/articles/ASH2T624YH2TTIPE01T.html
「伝言 あの日から70年 防空法で犠牲拡大 空襲時『逃げずに消火』」東京新聞2015年3月4日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/dengon70th/CK2015030402000204.html
「東京大空襲70年 民間人被害、継承は生存者の使命 作家・早乙女勝元さん」
朝日新聞2015年3月9日 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11640237.html