2012年4月30日月曜日

倉敷踏切事故から3年~事故を繰り返すな

2009年5月11日午後1時40分ころ、倉敷駅構内の寿町踏切で、自転車を押して渡っていた女性(83歳)が、遮断機まであと1,2mというところで踏切内に取り残されて、列車に撥ねられ亡くなった。

2010年5月、女性の遺族が、女性が亡くなったのは列車の運転士が安全確認を怠ったためだとしてJR西日本に損害賠償をもとめる裁判を起こした。
この裁判で、事故当時、列車を運転していた運転士が、踏切で自転車の女性を踏切の障害物検知装置が感知し、運転士に踏切の異常を知らせる特殊信号発光器が2度発光していたのを見落としていたことが、裁判でわかった。JR西日本の準備書面によると、踏切の手前約720mと400mの地点で、線路わきにある特殊信号発光器が発光していたということである。
また、運転士は、駅に入るため、時刻表などの確認をしていて、特殊信号発光器を見落とすこともあると証言した。

運転士が特殊信号発光器を見落とす可能性があり、通行人が踏切に取り残されているのに、踏切の手前で列車を安全に止めることができないなら、運転士が発光器を見落としても、列車が踏切の手前で安全に止まれるように、列車の運転と連動するようにすべきである。
特殊信号発光器の視認性が悪いのなら、センサーで感知したら、運転席にブザーなどの音で知らせ、自動的に列車が停止するようにできるのではないか。


倉敷駅構内寿町踏切 北側から見る
2012年4月26日撮影

倉敷駅構内寿町踏切 南側から見る
2012年4月26日撮影
2011年12月、倉敷駅の北側に大規模なショッピングモールができ、駅北側と南側の旧国道を結ぶ県道が通る寿町踏切は交通量が増え、踏切内に取り残される車両なども増えたという。
このショッピングモールの完成に合わせて、踏切も改善された。歩道が広げられ、赤いブロックで車道と分けられた。遮断機も車両と自転車や歩行者は別に設置された。また、列車の来る方向が分かるように、方向指示器も設置され、踏切が開くのを待つ間、イライラを幾分か減らせることになった。

交通量が多く遮断時間が長いことから、倉敷駅周辺の高架化し踏切を除却することは、昭和63年ころから検討されてきたそうだが、莫大な費用がかかることから、いまだ実現にいたっていない。

鉄道の高架化には、莫大な費用と長い年月がかかる。15年~20年という歳月の間、事故がないように、できるところから早急に安全対策を講じてほしい。今ある歩道橋をもっとゆるいスロープにすれば、自転車を利用する通行人が楽にのぼれるだろうと思う。
また、歩道橋にエレベーターが設置されていれば、ベビーカーに子どもを乗せた人や高齢者や体の不自由な人も、長い踏切を横断しないで済む。

高架化が進まないのであれば、踏切の横に地下道をつくるといった、すぐにできる対策を講じることも必要だと思う。

《参考》
昨年、拙ブログで、寿町踏切をとりあげた
「踏切事故の現場をたずねて~倉敷市寿町踏切事故から2年」
http://tomosibi.blogspot.jp/2011/05/2.html

《参考》
倉敷市鉄道高架推進室
「倉敷駅付近連続立体交差事業」
http://www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?menuid=1249

チェルノブイリ事故から26年~新シェルターの建設へ

  4月26日、旧ソビエト連邦ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で、放射性物質を封じ込めるため、新しいシェルターの組み立てが始まった。

 チェルノブイリ原発を覆う「石棺」が老朽化したため、汚染された水や粉じんが漏れ出ていた。その対策として、3年でシェルターの完成を目指す。そして、原子力発電所の解体や、溶け出した核燃料を取り出すには、100年近くかかるという。
 事故から26年がたつ4月26日、新たなシェルターをつくる工事が始まった。シェルターはかまぼこ型で、鉄骨の骨組みにパネルを組み合わせる。高さ105m、幅257mになるという。 
 
 
 隣接する敷地で組み立てられ、その後、特製のレール上を滑らせて、事故を起こした4号炉にかぶせる。耐用年数は100年といわれる。完成は、2015年となる予定で、原発の解体はその5年後に始め、約10年で終わる計画だという。高熱で溶けた核燃料などの物質を摘出するには、今から30年後に着手し、60年ほどかかるという。

 シェルターの建設費は、はじめの予想の2倍近い約15億ユーロ(約1620億円)で、欧州復興開発銀行の基金などでまかなわれる。東京電力福島第一原発の事故をきっかけに、チェルノブイリ原発が再び注目を集め、欧州連合やロシア、米国などが拠出を増やし、シェルターの建設が始まった。

 事故を起こした原発の解体や溶けた核燃料をとりだすには、なんと長い年月がかかることだろう。
 しかし、ウクライナの首相は、原発の価格は太陽光発電の50分の1だとして、その経済性を理由に、原発の利用を続けるとしている。

 
《参考記事》

「チェルノブイリ原発、新たな『石棺』着工 老朽化対策で」 朝日新聞4月26日
http://digital.asahi.com/articles/TKY201204260516.html

2012年4月29日日曜日

JR西福知山線脱線事故から7年

7年前の2005年4月25日、JR福知山線尼崎駅近くのカーブで、快速電車が転覆脱線、線路横のマンションに激突し、107人が亡くなり562人が負傷した。あれから、7年がたったが、大切な家族を失った遺族や、友人、負傷した方々の苦しみや悲しみは、いまだに癒えることはない。

 事故のあったあの日と同じように、晴れた25日の朝、事故現場には、遺族や被害に遭われた方々、JR西の社員らが訪れた。事故のあった時刻の直前、現場カーブでは、満員の通勤客を乗せた快速電車がゆっくりと通過し、長い警笛を鳴らしたという。

 報道によると、現場近くのホールで、JR西日本主催の追悼慰霊式が行われ、事故の遺族や負傷された方々1100人が参加した。今年は、遺族らによる「慰霊のことば」は希望者がなかったという。

 午後は、遺族や負傷者らが主催する「追悼と安全のつどい」が開かれた。遺族とJR西日本は共同で、より安全な鉄道を目指して、検討会を重ねてきた。今年3月には、「安全フォローアップ会議」を立ち上げ、初会合を開いた。また、今回の「つどい」では、参加者からフォローアップ会議に対する意見や要望も募った。
 会場からは、日航ジャンボ機墜落事故で次男を亡くした美谷島邦子さんが、長い年月空の安全をもとめて活動してきたことをふまえ、被害者と企業の対話から、安全が生まれることを訴えていた。

 また、事故で妻と妹を失い、娘さんが大けがをした浅野弥三一さんが、「遺族だけで閉じこもらず、体験したことを社会に発信し、事業者の姿勢を変えていく。その先頭に自分たちは立つべきだ。」と語っていたのが強く印象に残った。

 最後になりましたが、事故で負傷された方々が少しでも早く回復され、日常の生活に戻れることをねがっています。
そして、亡くなられた方々のご冥福を心より祈ります。

《参考記事》
「JR宝塚線脱線事故から7年 現場近くで追悼慰霊式」朝日新聞4月25日

2012年4月11日水曜日

JR福知山線脱線事故の負傷者ら、しおりを作成~安全への願いを込めて

 4月25日で、乗客乗員107名が亡くなり、562名の方が負傷したJR福知山線脱線事故から丸7年になる。
 7日、事故の被害者らでつくる「負傷者と家族の会」は、安全への願いを込めた「空色の栞」を作成した。8000枚になる栞は、25日ごろ、沿線の駅周辺や追悼イベントなどで配布する予定だという。

 栞は、毎年この時期につくられ、配布される。事故の日、1両目に乗っていて負傷した福田裕子さんがイラストを書いた。
 福田さんは「時間がたっても寄りそってくれる人がいることを伝えたかった、手にとった人が事故を身近に感じてくれればありがたい」と語っている。

 脱線事故のあった日、朝から天気がよく、空が青かった。その青さが忘れられない。朝、学校へ出かけた人、勤務先へ行く予定だった人、休日で友人と出かけた人、多くのつつましく生きていた人たちを奪った事故を忘れないようにしようと思う。

《参考記事》
「空色の栞、安全の願い込め JR脱線事故の負傷者ら8000枚作成」2012.4.7 22:34
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120407/waf12040722380018-n1.htm

被害者に寄りそう支援へ~公共交通事故被害者支援室を開設

  4月6日、国土交通省は、航空、鉄道など、公共交通における事故の被害者などへの支援を確保するため、『公共交通事故被害者支援室』を開設した。

これは、平成21年から、「公共交通における事故による被害者等への支援のあり方検討会」において検討され、平成23年6月にまとめられた検討会の提言にもとづいて設置されたものである。
国土交通省によれば、『被害者に寄りそう』ことを基本とし、
①万が一、公共交通における事故が発生した場合の情報提供のための窓口機能
②被害者等が事故発生後から再び平穏な生活を営むことができるまでの中長期的にわたるコ―ディネ-ション機能
などを担うことを目的としたものである。被害者等と直接に向き合う業務を遂行するため、関係機関等の協力を得ながら、被害者等支援に関する基本的な知識や心構えの習得を行い、同室の機能を充実させていくとしている。

これまで、事故が起きた際の被害者等への支援は、航空事業者等一部の交通事業者にとどまっていた。しかし、事故を起こした事業者だけに被害者等支援を担わせるのではなく、国の役割を明確にして、縦割り行政の弊害をなくしていくとしている。

航空については、国際民間航空機関(ICAO)の定めるガイダンス等を基に、計画作成のためのガイドラインを国交省で策定し、事業者の自主的な取り組みを促進していくとしている。航空以外の鉄道や海運等については、段階的に引き続き検討していく。
組織・体制については、被害者等への支援を確保するため、常設の窓口機能をはたす組織を総合政策局に設置し、この組織を核として全国的に、具体的な活動が行える体制を整備していく。
省内の作業グループにおいて作業に着手、今後3年をめどに、支援体制の充実を図るという。

支援室では、当面の業務として、・支援員に対する教育訓練の実施、・支援員の業務マニュアルの策定の検討、・外部の関係機関とのネットワークの構築、・交通事業者による被害者等支援計画の策定促進、・窓口業務の試行的実施とその検証、などを行う。
大きな事故が起きた時、被害者や遺族は、大切な人がどこの病院に搬送されているのかなど、十分な情報もえられないまま、たくさんの病院をまわって、被害に遭った家族や友人を捜すことがあった。また、通院も、加害企業の被害者担当社員に付き添われて行くことがあった。そんなとき、なぜ加害者と行かねばならないのかと、やりきれない思いがしたこともあったと思う。

十分な事故の情報が得られないと、自分が亡くなった人を死に追いやったように思ったりする。「あの時、自分があの列車が便利だとすすめなければあの子はあの列車に乗らなかった」と、自分を責めたりしてしまう。「あの時、一声かけていれば、あの人があの危ない踏切で事故に遭わなかった」と自分を責めてしまう。
そうではない、残されたあなたが悪いのではないと言えるように、必要以上に自分を責めないで済むように、事故がなぜ起きたのか、なぜ事故を防げなかったのか、どうしたら二度と同じような事故を起こさず、犠牲を出さなくて済むのか説明できるように、事故の調査をしてほしい。そして、大切な人を亡くして悲しみにくれている人に、分かりやすく説明してほしい。それが、支援の第一歩ではないかと思う。

《参考》
国土交通省総合政策局「公共交通事故被害者支援室の設置について」平成24年4月6日
http://www.mlit.go.jp/common/000207511.pdf