2014年8月20日水曜日

横浜市、新跨線橋の設計図提示~JR京浜東北線生見尾踏切

 報道によると、18日、横浜市は、昨年8月事故が起きた生見尾(うみお)踏切を廃止し、新しく設置する跨線橋のイメージ図を公開した。

 昨年8月23日夕方、杖をついて渡っていたお年寄りが、渡り切れずに踏切内に取り残されて、電車に撥ねられて亡くなった。

 生見尾踏切は、JR東の横須賀線、京浜東北線、東海道線が通過する。横須賀線・京浜東北線の踏切と東海道線の踏切の間には、、約9mの退避場所があり、三つの路線を全部渡り終えるには、約40m歩くことになる。二つの踏切を渡った先には、貨物線が高架になっている。
跨線橋から見た生見尾踏切。南北に長い。踏切道が凸凹して
    いるのがよくわかる。
    なかほどに、退避場所があるが、男性はここにたどり着けなかった。
    2013年8月24日撮影
貨物線の下をくぐると、今度は、京急の踏切があるというように、踏切の山側(岸谷側)から、海側(生麦側)の商店街などに行くには、三つの踏切を渡らなくてはならない。
 付近の学校に通う生徒やお年寄り、住民の皆さんにとって、生見尾踏切は、危険で不便を強いるものだ。踏切のすぐ横にある古い跨線橋は、急な階段でエレベータもない。そのため、長くてすぐに警報機が鳴りだす踏切道を、歩いて渡ることになる。

 18日、横浜市が示した案によると、新たな跨線橋は、長さ約60mで、幅約6m、エレベータは約40人乗り、自転車を3,4台積み込めるという。現在ある跨線橋も当面残し併用する方針だ。
 現在ある踏切道を廃止して、その上に跨線橋を設置するため、車両は通れなくなる。そのため、車両は新子安橋に迂回することになる。
 

 横浜市は、今年度中に設計を終え、来年度から工事に着工、完成には2年かかる予定だという。
 危険な踏切が無くなることに賛成だ。
 しかし、工事が完成するには、まだ多くの時間を要することだと思う。それまでの間、同じような事故の起きることのないよう、常時、踏切の監視員を置くなどの対策を採ってほしい。また、お年寄りが踏切を渡り切れなかったことを考えると、お年寄りの歩く速さを考慮した警報時間の設定も検討してほしい。

 
 昨年、事故後、9月の市議会で、林横浜市長はスピード感をもって立体横断施設を設置を検討すると答弁した。あれから、もうすぐ一年がたとうしている。
 一刻も早く踏切の安全対策が進められ、事故が二度と起きることのないことを願っている。

《参考》
○拙ブログでは、昨年、お年寄りの亡くなった生見尾踏切について取り上げた
「88歳の男性死亡、踏切渡り切れず~JR京浜東北線生見尾(うみお)踏切」2013年8月25日
http://tomosibi.blogspot.jp/2013/08/88jr.html
○「生見尾踏切の安全対策について 横浜市道路局企画課」2014年8月18日横浜市ホームページ
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/press/h26/download/20140818-pln-02.pdf
《参考記事》
事故の踏切、60メートル跨線橋に」読売新聞20140819
http://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/news/20140818-OYTNT50466.html

2014年8月6日水曜日

広島、原爆の日に~平和宣言の原点

 報道によると、8月1日、長崎市の田上市長は、長崎原爆の日である8月9日の平和祈念式典で読み上げる平和宣言の内容について、記者会見した。
 田上市長は、平和宣言の中で、安倍政権による集団的自衛権の行使容認について懸念を示す文言を入れることを明らかにした。
 
 田上市長は「安全保障の現状を明確に伝えるために集団的自衛権という言葉を入れたほうが伝わりやすい」と語った。一方、広島市の松井一実(かずみ)市長は宣言に盛り込まない考えを示した。
 長崎平和宣言は、被爆者や大学教授ら14人が委員を務め、田上市長が委員長を務める起草委員会での議論をふまえて、市が作成する。
 田上市長は、集団的自衛権行使容認をめぐる議論を機に、国民の中で平和に対する不安や懸念が広がっており、政府はそういった国民の声に真摯に耳を傾けるべきと要請するという。
広島平和記念公園に残された原爆ドーム。2012年12月1日撮影

原爆投下後の広島市、原爆ドームの周辺の写真。
広島平和記念資料館にて。 2012年12月1日撮影 

 同じ1日、広島市の松井一実市長は、6日の広島原爆の日に読み上げる平和宣言の骨子を発表した。しかし、集団的自衛権の行使容認については、言及しない考えだが、戦後69年間憲法の平和主義のもとで戦争をしなかった事実を重く受け止めて、これからも平和国家として歩むことを訴えるという。
 また、核保有国に対しては、非人道的な脅しで自国をまもろうとすることをやめ、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりを訴えるという。

 昭和22年の広島市平和宣言は、
「戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから」と、
原爆の惨禍をもたらした戦争を否定し、「永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう」と訴える。
 
 69年前の夏の暑い日、きのこ雲の下で、一瞬のうちに、何が起こったのかもわからずにこの世を去ることになった人々を思い、二度と戦争を起こさないと誓うこと。戦争による大きな犠牲の上に、私たちがたどり着いた結論は、この後に大切に伝えて行かなくてはならないと思う。
 
 
《参考記事》
「広島市平和宣言(昭和22年)」広島市ホームページ
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1111795443652/index.html
「(社説余滴)平和宣言の原点に返れば」朝日新聞2014年7月22日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11257622.html
「平和宣言で長崎市、行使容認に懸念表明へ」朝日新聞2014年8月1日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11278521.html