2009年7月3日金曜日

踏切事故の現場をたずねて

 昨年秋から、踏切事故の現場をたずねて歩いた。
新聞記事やテレビニュースでは、踏切事故がどんなところで起きているのかわからない、まして、事故の原因は、「通行者が一旦停止しないで入った」という一言でかたづけられている。
 しかし、なぜ、事故が起きたのか、なぜ踏切に通行者が入ってしまったのかがわからなくては、同じような事故を防げないのではないだろうか。

 踏切事故のニュースを聞くたびに、胸がしめつけられる。悲惨な踏切事故を、どうしたらなくせるのか。素朴な疑問に答えてくれるところはないのだろうか。

《参考記事》

「踏切事故遺族も連携を、国などに安全対策促す」(2009年7月1日 共同通信)

4人が死傷した東京都足立区の東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切事故(2005年)で、母親=当時(75)=を亡くした加山圭子さん(54)が、踏切事故遺族同士の連携で国や鉄道会社の安全対策が進むきっかけをつくろうと、各地の遺族を訪ね、事故現場を調べる活動を始めた。航空や鉄道の大事故では被害者や遺族が交流組織をつくっているが、踏切事故の遺族が手を取り合うのは国内では初めて。 
加山さんは「『踏切に入ったほうが悪い』と簡単に片付けず、背景を含めたさまざまな面から原因を調べ、再発防止策や安全策を講じてほしい」と話している。9日には東京都内で開かれる「安全工学シンポジウム」で意見表明する。 
踏切事故のニュースが後を絶たないことに胸を痛め、昨年秋に「まず現場に行ってみよう」と思い立った。 
06年12月に高校生が死亡した広島県東広島市のJR山陽線踏切や、昨年5月に中学生が死亡した長野県諏訪市のJR中央線踏切など4カ所を訪問。いずれも事故当時は遮断機がなく、一部は警報機もなかった。 加山さんの分析では、4踏切には(1)周辺に住宅があり利用者が多いのに遮断機がない(2)見通しの悪さから列車の接近音がすぐ近くに来るまで分からない―などの共通点があった。少なくとも遮断機を早急に設置しなければ、事故再発の恐れがあるとみる。 
国土交通省によると、遮断機がない踏切は年々減っているが、07年度時点でまだ全国約4500カ所にあり、同年は24人が死亡した。 加山さんの母親が事故に遭った竹ノ塚駅踏切は交通量が多い「開かずの踏切」で知られ、係員が手動で操作していた。05年3月、次の電車接近を失念した係員が遮断機を短時間上げ、踏切に入った4人がはねられた。 
遮断機は東武の内規に反し現場判断で日常的に上げられていたが、係員が起訴された(禁固1年6月確定)だけで、当時の駅長やほかの社員は不起訴。遮断機は事故から半年後に自動化された。
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“最後の姿”に誓う安全、次男失った長野の夫妻
長野県諏訪市の伊藤勇一さん(47)、富士子さん(46)夫妻は、踏切事故遺族の連携を呼び掛ける加山圭子さん(54)と昨年秋から交流している。次男の翼君=当時(12)=が自宅に近い遮断機のない踏切を自転車で横断中、JRの特急にはねられ死亡した事故から4カ月後、加山さんら事故被害者や遺族が運営していたブログを見て、富士子さんがメールを送ったのがきっかけだった。 
居間には、諏訪湖でボート練習に励む翼君の写真がある。昨年5月4日、伊藤さんがこっそりその写真を撮ったわずか数時間後、悲劇は起きた。「JRに安全対策をきちんとさせる」。夫妻は“最後の姿”に日々誓う。 翼君は、夜寝る前に何度も翌日の持ち物の確認をして、絶対に忘れ物をしない慎重な性格だった。なぜ特急が近づく踏切に入ったのか。その疑問が、ずっと夫妻の心に突き刺さっている。 
加山さんは昨年11月、伊藤さん夫妻と現場の踏切を詳しく調べた。線路脇の民家などに遮られ、近づいてくる列車は直前まで見えない。加山さんは「聞こえてくる音も小さく、遮断機がなければ気付かずに踏切に入ってしまう」と感じた。 
諏訪市内には、ほかに遮断機のない踏切が1カ所あり、夫妻は早期改良をJR東日本に求めている。「翼を亡くした今こそ、言わなきゃいけない。また誰かが死でからでは遅いんです」と富士子さんは話す。 苦しみや悩みを同じ遺族として受け止めてくれる加山さんとの交流は、心の支えになっている。これからも連絡を取り合い、声を上げ続けるつもりだという。

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