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2017年4月14日金曜日

那須で雪崩、高校生ら8名死亡~林野庁、雪崩危険個所に指定

 報道によると、3月27日午前9時20分頃、栃木県那須郡那須町湯本にある那須温泉ファミリースキー場で雪崩が発生し、登山をしていた高校生らが巻き込まれた。高校生らはスキー場のゲレンデ上部で登山中に雪崩に遭い、県立大田原高校の生徒7名と教諭1名が死亡、他に生徒と教諭の計40名が重軽傷を負った。

 那須高原署や消防、県教育委員会によると、現場では、3月25日から27日、栃木県高校体育連盟が登山訓練「春山講習会」を主催、県内七つの高校の山岳部の1,2年生が参加していたという。
 報道によると、27日午前6時に、雪による悪天候のため登山を中止したが、午前8時から生徒と教員の計48名で雪を分けて進む「ラッセル訓練」をしていた。参加7校が5班に分かれて、大田原高校が先頭で訓練していたようだ。
 宇都宮気象台は、26日午前10時半ころ、栃木県北部に雪崩や大雪の注意報を発表、注意を呼びかけていた。担当者は「未明からの約10時間で積雪となり、気温は比較的高い。雪崩が起きやすい環境だった」と話しているという。

 報道によると、林野庁は、現場一帯の那須岳国有林は「雪崩危険箇所」として指定していたが、栃木県は山岳関係者らに周知していなかったことがわかった。
 また、林野庁は国有林に立ち入る際は、入林許可の申請を求めていたが、講習会を毎年主催していた県高等学校体育連盟登山専門部は、少なくとも5年間は申請していなかったという。林野庁は「申請があれば、雪崩への注意を促すことができた」としている。

 林野庁などによると、1997年度に現場一帯を危険箇所に指定し、県に伝達したが、県は防災計画に明記したものの、県が独自に危険地域を図示しているHPには反映していなかったという。県は危険箇所を見直す方針。

 亡くなった大田原高校の生徒らは、雪をかきわけながら歩くラッセル訓練で、スキー場上部にある樹林帯を越えた標高の高い斜面まで登っていたとみられ、樹木などの障害物の少ない斜面で雪崩の直撃を受けた可能性があるという。他校の生徒は、雪崩の勢いが軽減される樹林帯の中や、さらに標高の低い場所にいて、重軽傷のけがですんだとみられている。

 生徒らが、春山登山の訓練をするのに那須岳が適していたかどうかなど、これから捜査されるのだろうが、林野庁の情報が、訓練を計画する高校体育連盟など、関係者に届いていなかったことが事実だとすれば、とても残念なことだ。

 訓練の計画にかかわる人たちは、多くの生徒の命を預かるのだから、訓練をする場所など、十分に調査して計画をたててほしい。そして、無理な訓練をしないでほしい。

 最後になりましたが、亡くなられた生徒や教員の方のご冥福を祈ります。

《参考記事》
「那須8人死亡 現場は雪崩危険箇所 林野庁指定、県は周知せず」
2017年4月2日東京新聞 TOKYO Web
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201704/CK2017040202000124.html

2013年3月5日火曜日

総務省、国会図書館 東日本大震災アーカイブの公開へ

 3月5日、総務省によると、総務省及び国立国会図書館は、東日本大震災に関するデジタルデータを一元的に検索・活用できるポータルサイト「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(ひなぎく。)」を、平成25年3月7日(木)に正式公開することを発表した。動画や写真など、30万点以上のデータを扱う。
 国会図書館が民間のネット情報を収集、公開するのは初めてだそうで、情報の散逸を防ぎ、今後の防災対策などに役立ててもらう狙いがある。

 震災の記憶を確実に私たちの心にとどめ、忘れないよう、そして何よりも一刻も早く避難されている方々が元の生活に戻れるよう、被災地の復興のために震災のデータが活用されることを願っていこうと思う。

 同省のホームページから引用(報道発表資料を一部加工しました)
 1 概要
 総務省と国立国会図書館は、東日本大震災に関するあらゆる記録・教訓を次の世代へ伝え、被災地の復旧・復興事業、今後の防災・減災対策に役立てるために、東日本大震災に関するデジタルデータを一元的に検索・活用できるポータルサイト「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(
ひなぎく)」を平成25年3月7日(木)に正式公開する。

 2 国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(ひなぎく)について
 東日本大震災に関連する音声・動画、写真、ウェブ情報等を包括的に検索できるポータルサイト。昨年からの試験公開を経て、このたび正式に公開する。大学、報道機関、検索サイト等が収集している動画・写真や、神戸大学附属図書館震災文庫、国立国会図書館が所蔵する資料も
検索できる。さらに、国立国会図書館が収集した国会原発事故調査委員会の映像や、被災自治体等の東日本大震災直後のホームページも見ることができる。

(1) URL
  http://kn.ndl.go.jp 
  総務省及び国立国会図書館のHPトップページのバナーより見ることができる。

(2) 愛称「ひなぎく」
    「Hybrid Infrastructure for National Archive of the Great East Japan Earthquake and Innovative
  Knowledge Utilization 」の頭文字をとり、「ひなぎく」という愛称をつけられた。また、ひなぎくの
花言葉「未来」「希望」「あなたと同じ気持ちです」に、復興支援という事業の趣旨を込めている。

3 検索対象資料・アーカイブ
 あおもりデジタルアーカイブシステム(総務省運用モデル実証事業:青森プロジェクト)、
 NHK東日本大震災アーカイブス(日本放送協会)、
 河北新報 震災アーカイブ(総務省運用モデル実証事業:宮城河北新報プロジェクト)、
 神戸大学附属図書館震災文庫(神戸大学附属図書館)、
 3.11 忘れない ~FNN東日本大震災アーカイブ~(株式会社フジテレビジョン及びフジニュース
  ネットワーク)、
 2011年東日本大震災デジタルアーカイブ(ハーバード大学)、
  東日本大震災アーカイブFukushima(総務省運用モデル実証事業:福島プロジェクト)、
  東日本大震災写真保存プロジェクト(ヤフー株式会社)、
  みちのく震録伝(東北大学)(総務省運用モデル実証事業:宮城東北大学プロジェクト)、
  未来へのキオク(グーグル株式会社)、
  陸前高田震災アーカイブNAVI(総務省運用モデル実証事業:岩手プロジェクト)

 4 今後の見通し
  被災地の復旧・復興、今後の防災・減災に役立つべく、連携先を増やし、検索できる情報をより
 一層充実させていきたいと考えている。

 (同時発表)
  ○NHK東日本大震災アーカイブス
   http://www9.nhk.or.jp/311shogen/

 ○3.11 忘れない ~FNN東日本大震災アーカイブ~
   http://www.fnn-news.com/311/

《参考》
総務省「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(ひなぎく)の公開」平成25年3月5日
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu02_02000063.html
《参考記事》
「震災記録、国会図書館もネット公開へ 3月上旬に 」2013年2月28日
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1602H_X20C13A2CC1000/

2012年8月31日金曜日

「震災関連死」~10都県で1632人に

 
 復興庁が公表した調査によると、福島県内では、「震災関連死」のうち、避難所に移動する際の疲労が、原因の過半数を占めていることがわかった。

 今年3月末時点で、東日本大震災をきっかけとした「震災関連死」と認定された人は、10都県で1632人にのぼった。このうち、福島県は761人、岩手、宮城両県は829人で、3県合計で97%を占めた。復興庁は、この3県の18市町村から1263人を選んで、原因を分析した。

 原因別で、もっとも多かったのは、「避難所生活などでの肉体的疲労・精神的疲労」で、福島県は433人(59%)、岩手宮城両県は205人(39%)だった。
 特に、福島県では、「避難所などへの移動中の肉体・精神的疲労」の380人(52%)と、岩手・宮城両県の21人に比べて非常に多いことがわかった。

 原発事故の後、避難指示が拡大され、移動を繰り返さなくてはならなかったことが、大きな負担になったとみられている。復興庁は、「福島県は他県に比べ関連死者数が多い。原発事故に伴う避難などによる影響が大きい」と分析した。また、東京電力福島第一原発事故のストレスが直接の原因とされたのは福島、岩手、宮城の3県で34人に上っているという。

 原発事故の後、事故の情報が乏しい中、避難を余儀なくされ、避難所の寒さや食料不足に耐えねばならなかった。その上、避難生活が終わり故郷に帰るという展望も持てないまま、疲労を重ねて行けば、体調もくずしかねない。

 避難されている方々が一刻も早く帰郷できることを願うばかりだ。すぐに帰郷できないのならば、安心して生活できるよう、国や東京電力は、避難されている方々に仕事やゆったりとした温かな住まいを提供すべきだと思う。

《参考記事》
「原発事故の心労死34人 震災関連死 避難生活も負担に」朝日新聞デジタル2012年8月21日

2012年8月15日水曜日

二重ローン対策~被災ローン減免制度の周知を

 昨年の東日本大震災後、津波などによって消失した住宅のローン等が残ってしまう問題、「被災ローン」問題が、被災された方々の生活再建にとって大きな負担になっていることが指摘されていた。
 昨年、被災地での法律相談などを通じて、この債務問題が被災者の大きな悩みであることを知った日本弁護士連合会ではこの問題の解決策を各方面に働きかけた。2011年7月、この働きかけを一つの契機に、金融庁、金融機関、最高裁、有識者などからなる研究会が発足した。
 
 研究会での検討の結果、「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」が制定され、2011年8月から運用が開始された。
 この制度は、
①被災者の資産事情に応じ、一定の弁済をすれば、残額は免除される
②手元に義援金や支援金のほか500万円の資産を残して、生活再建できる
③保証人も利用できる
④破産などの法的手続きが不要
⑤信用情報に登録されない
⑥利用無料――など
被災者にとってたいへん有益な制度のはずである。

 しかし、この制度を運用する一般社団法人個人版私的整理ガイドライン運営委員会の発表によると、2012年7月末までに、成立に至った件数は43件にすぎないことがわかった。
 被災後1年間に、被災3県に本店を置く地銀・信金・信組で返済条件変更(リスケジュール)された債務は1万6423件にのぼり、重い債務を背負ったほとんどの被災者は、返済条件を変更するリスケジュールをしており、ローンを先延ばしされていることがわかった。つまり、ローンは減免されることなく、元金も利息も満額支払うことになる。

 一方、日銀の金融経済概況によると、被災者への貸し出しは低調だが、預金残高は義援金や支援金などの入金で高い伸びを示し、一部金融機関の収益はV字回復をしているそうだ。
 被災された方々の中には、本来ならば、生活再建に充てられるはずの義援金や生活再建支援金を債務の返済に充てている方も見られるという。全国から寄せられた善意の義援金や、特例法で注入された公的資金が、被災地金融機関の収益の改善に消えているといってもよい。
 
 金融機関は債務者の身近な相談窓口として、また、公的資金を注入された金融機関は社会的責任として、被災者に上記のような減免制度があることを知らせ、積極的に利用することをサポートすべきではないかと思う。
 金融庁は、今年7月24日付で、金融機関に対して被災者に対する被災ローン減免制度の紹介等を求めた。金融庁は、今後も、金融機関が積極的に減免制度を活用しているか監督、指導すべきだ。
 
 被災された方々が平穏な生活をとりもどし、被災地を復興するためにも、①この制度の広報を徹底し、②被災地金融機関は周知活動し、③被災地自治体が積極的に関与するなどの対策が必要となる。
 被災された方々の一刻も早い生活の再建を願うものとして、今後も、このような制度が活用されているかどうか、監督官庁が積極的に金融機関を指導しているかどうか、注視していきたい。

《参考》
「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」
2011年7月 個人債務者の私的整理に関するガイドライン研究会
http://www.kgl.or.jp/guideline/pdf/guideline.pdf

《参考記事》
<私の視点>「二重ローン対策 被災者に減免制度知らせよ」
(津久井進日弁連災害復興支援委員会副委員長)2012年8月11日付朝日新聞オピニオン欄

2012年5月31日木曜日

津波浸水予測の学校、4割が避難訓練実施せず

報道によると、5月29日、文部科学省が行った調査の結果、東日本大震災で被災した3県(岩手、宮城、福島)で、自治体のハザードマップなどで津波の浸水が予測されていた地域の学校のうち、4割の学校が、東日本大震災前に、津波に対する避難訓練を行っていなかったことがわかった。また、学校保健法で策定が義務付けられている危機管理マニュアルにも、避難行動を明記していなかったことがわかった。防災について、日常的に検討・協議していなかった学校も、3県全体の4割に上るという。

 文科省は、今年1月~2月、3県の全小中学校・高校と幼稚園合わせて3160校を対象に、大震災への対応について調査した。83%の2617校から回答を得た。

 津波に関する調査では、津波の浸水が予測されていた地域の学校と、実際に津波が到達した学校計149校について分析した。その結果、死亡者や行方不明者がいた学校は30校(20.1%)で、下校中に巻き込まれたケースがもっとも多かったという。避難した場所は「校舎の上階や屋上」(35.4%)がもっとも多く、次に「裏山などの高台」(31.9%)が多かった。

 火災や地震を想定した避難訓練は、3県ともほとんどの学校で行われていた(火災想定98%、地震想定94%)のに対し、津波に対する避難訓練の実施率は6割にとどまり、危機管理マニュアルに明記していたのも6割にとどまった。
 産経新聞が全国の教育委員会に行った調査では、災害マニュアルに津波対策を盛り込むことを検討している教育委員会が多く、上記の学校でも、見直しが進んでいるのではないかという。

 文科省は、今回の調査結果をふまえて、防災教育のあり方を検討してきた有識者会議で、7月までに最終報告をまとめる。

 自治体のハザードマップなどで、津波で浸水が予想されていたにもかかわらず、被災地の学校で避難訓練が実施されていた割合が低かったことは、残念でしかたない。自治体のハザードマップなどがどのように活用されていたのか、定かではないが、各学校や教育委員会は幼い多くのいのちを預かるのだから、火災訓練同様、津波に対する避難方法などについて、検討されていてもよかったと思う。

 
《参考記事》
「津波予測の学校、4割が避難訓練せず 防災意識低く 文科相が被災3県調査」産経新聞2012.5.29 22:32
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120529/dst12052922320026-n1.htm

2012年3月4日日曜日

宮城県石巻市大川小学校で追悼法要~東日本大震災から1年を前に

 昨年3月11日、東日本を襲った大震災と津波で、石巻市の大川小学校では、全校児童の7割近くの児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった。 

 報道によると、震災からもうすぐ一年になるのを前に、3日朝、大川小学校の校舎前で、亡くなった児童のために追悼法要が営まれ、遺族ら百数十人が出席した。神奈川県や宮城県内の僧侶20人以上が読経し、焼香が行われた。

 大川小学校でなぜ地震の発生後避難が遅れ、多数の児童が津波の被害にあったのか、石巻教育委員会は遺族に説明会を開き、今年1月には学校側の責任を認めた。しかし、遺族からは疑問の声が出ているということで、今月第4回の説明会が予定されているという。
 
 
 大川小は、北上川沿いの低地にあり、追波湾から南西に約4km、標高約1.5mのところにある。同じ石巻市内の他の小学校が近くの裏山などに避難したのに対して、大川小は裏手にある小高い山に避難しなかった。マニュアルには、「近隣の空き地・公園等」とあるだけで、具体的な避難場所は書かれていなかったという。
 
 なぜ、これほどまでの犠牲を生んでしまったのか、それが明らかにされ、どうすれば多くの児童を助けることができたのか、真摯に検討され説明されなくては、また同じような悲劇が繰り返されてしまう。それは、何としても避けてほしいことだ。

《参考記事》
「 大川小で追悼法要 遺族ら百数十人出席」朝日新聞2012年3月3日http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY201203030212.html

ひな人形、娘もきっと見てる 大川小で飾り付け 石巻」 朝日新聞2012年2月26日 

2012年2月1日水曜日

阪神大震災でも議事録作成せず

  報道によると、阪神大震災など過去の大災害の際に設置された非常災害対策本部の会議でも、議事録や議事概要が作成されていないことが、内閣府防災担当の資料でわかった。
 昨年4月の公文書管理法の施行前とはいえ、自民社会さきがけ政権や自民公明政権の時代から、記録が残されていないことがわかった。公文書管理法では、政策決定の過程が確かめられるよう、会議の文書作成を義務付けている。
 非常災害対策本部は、国土庁長官(当時)や防災相トップが務める。1995年の阪神大震災、2000年三宅島噴火、2004年新潟県中越地震など7回設置された。いずれも議事録や議事概要がなかった。阪神大震災では、首相の緊急対策本部も設置されたが、この会議の議事録や議事概要もないことがわかった。
 会議で決定した事項や各省庁からの報告資料は残っているが、詳細な発言のメモはなくこれらの会議の議事録の復元は困難だということだ。

 また、国土交通省も、東日本大震災で設置した三つの会議の議事録を作成していなかったことを明らかにし、昨年3月11日から11月28日まで62回開いていた会議の議事録を、メモなどをもとに作成するという。

 災害時の対応がどうだったのか後から検証し、今後の対策に役立てられるよう、記録をとることは何よりも大切なはず。政府の重要な政策決定の過程が記録されず、会議の内容が公開されないのは、国民に対する「背任行為」(福島県双葉町井戸川克隆町長の発言)と批判されても仕方ない。

《参考記事》
「阪神大震災でも議事録つくらず 防災相トップの対策本部」 朝日新聞2012年01月31日
http://www.asahi.com/politics/update/0131/TKY201201310641.html

2012年1月23日月曜日

政府「原子力災害対策本部」、議事録作成せず

報道によると、東京電力福島第一原子力発電所の事故について、避難区域や除染の方法など重要な決定を行ってきた政府の「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったことがわかった。

政府の「原子力災害対策本部」は、総理大臣を本部長として、経済産業相はじめ、全閣僚をメンバーとして、原発事故当日の昨年3月11日に設けられた。避難区域や除染の基本方針、農作物の出荷制限など原発事故をめぐる重要な決定を行ってきた。NHKでは、昨年11月、それまでに開かれた21回の会議について、「議事録や内容をまとめた資料など」の情報公開請求を行った。しかし、公開されたのは、議題を記した1回の会議について、1ページの「議事次第」だけで、議論の中身を記した議事録は作成されていないことがわかった。
NHKの取材に対して、原子力災害対策本部の事務局を務めている原子力安全・保安院の担当者は、「業務が忙しくて議事録を作成できなかった」と説明しているという。
公文書管理法は、国民への説明義務を果たすこと、政府の意思決定の過程を検証できるよう、重要な会議の記録を残すよう、定めている。公文書の管理を担当する内閣府は、原子力安全・保安院の担当者から、聞き取りを行などして、経緯を調べている。

将来、同じ失敗を繰り返さないために、いつどのような決定がなされたのか、記録に残し、検討していくことが必要だと思う。早急に、議事録を作成するよう、検討すべきだと思う。                                                                                                                                                                                    
《参考記事》
「政府の原災本部 議事録を作らず」NHKニュース2012年1月22日 17時44分 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120122/k10015450241000.html
「官房長官 原発議事録の作成を」NHKニュース 2012年1月23日 13時43分  
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120123/t10015463821000.html

2011年10月28日金曜日

被曝おさえるヨウ素剤服用、指示に遅れ

 報道によると、原子力安全委員会が、甲状腺の被曝を抑える効果のある安定ヨウ素剤を服用するよう、政府の原子力災害対策本部に助言したことが生かされず、同本部から自治体への指示が3日後の3月16日に遅れた可能性のあることがわかった。

 現行の指針では、ヨウ素剤の服用は同安全委の意見を参考に、福島県にある現地災害対策本部が指示をすることになっているという。
 福島第1原発の事故で、 原子力安全委員会は、1号機で爆発のあった翌日の3月13日未明に、政府の緊急災害対策本部に電話で助言をし、その後ファクスで2回ほどやりとりをした。
  同安全委は、人体への放射性物質付着を検査し、1万cpm(1分当たりの放射線測定値)以上の場合は服用すると助言した。
 しかし、政府対策本部の経産省原子力安全・保安院原子力防災課長は、この助言が書かれたファクスの紙自体が確認できていないと反論しており、実際の服用指示が出されたのは、原発から半径20キロ圏内の避難がほとんど済んだ16日になったという。

 福島県によると、3月13日以降、これまでに検査した約23万人のうち、1万3千cpm以上は約900人
いる。大半が3月20日までに検査した結果だという。もし、服用の指示が迅速で、住民がヨウ素剤を早く服用していれば、14日、15日に福島第1原発で起きた爆発の被曝をおさえることができたかもしれない。
 保安院は、原発周辺自治体で、ヨウ素剤が配布されたのか、住民に服用されているのか、実態を把握していない。
 
 政府の福島原発の事故・検証委員会もこれらの経緯を調べる予定だという。

 
《参考記事》
「ヨウ素剤服用指示に遅れ 災害対策本部、900人に助言届かず」中国新聞2011年10月26日
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201110260171.html
「原発事故時、ヨウ素剤服用の助言900人に届かず」朝日新聞2011年10月26日
http://www.asahi.com/national/update/1026/TKY201110250743.html

2011年10月16日日曜日

関東大震災・東京大空襲の慰霊堂~墨田区横網町公園

   1923年(大正12年)に起きた関東大震災から、今年の9月1日で88年がたった。
関東地方を襲った地震はマグ二チュード7.9、木造やレンガ造りの建物は倒壊し、多くの人々が倒れた家屋や建物の下敷きになって亡くなった。

 しかし、建物の倒壊よりも、その後の火災で亡くなった人が多かったことがわかっている。地震が正午に近かったこともあって、昼食の支度に火を使っていた家が多かったために、地震と同時に各地で火の手があがった。
 水道管が破壊されたため、消火活動が進まず、火の手は瞬く間に広がった。また、避難する人々は大八車に家財を乗せて運んだり、荷物を家から運んだりしたため、人だけでなく荷物で道路や避難所が塞がれ、身動きが取れなくなり、消防活動も進まなかったという。
地震と同時に起きた火災は、9月3日の午前7時ころまで、約42時間燃え続け、当時の東京市の約5割、戸数約7割を焼失した。

 地震後、東京の公園や宮城前には、多くの市民が避難してきた。その中でも、横網町にある陸軍省被服廠跡地には、多くの住民が避難していた。
陸軍省被服廠の建物が移転した跡地は、大正11年に逓信省と東京市に払い下げられていた。2万430坪余りの広大な敷地を、付近の人々は絶好の避難場所と考えて、家財道具などを運んで避難し、跡地は家財と人であふれていた。しかし、火が周辺から襲い、家財に引火し、その上、折からまきおこった旋風に人々や家財などが巻き上げられ、飛散した。

 被服廠跡地には、煙に巻かれて倒れた人や旋風に巻き上げられて墜落した人の山ができ、その山を炎が襲い、多くの人々が焼死したという。
 推定約3万8千名の人々がこの跡地で亡くなった。その数は、関東大震災で亡くなった全東京市の人の55%強に達する。

墨田区横網町にある東京都慰霊堂-2011年10月10日撮影
この跡地には、今、慰霊堂が建っている。両国国技館や江戸東京博物館の裏手にあり、両国駅から歩いて10分ほどのところにある。
 震災から、7年経って完成した慰霊堂には、当時一家全滅などで引き取り手のなかった遺骨260個が大骨壷におさめられ、震災で亡くなった5万8千人の霊がまつられている。
また、太平洋戦争中、米軍の無差別爆撃によって亡くなった約10万5千人の非戦闘員である東京市民の霊も祭られている。
 戦前は慰霊行事は東京都知事主催だったが、戦後は、政教分離の原則から、民間の団体である財団法人東京都慰霊協会が行うことになった。

 慰霊堂のすぐそばには、「復興記念館」があり、震災当時の記録写真や戦災の資料などが展示されている。中には、地震が発生した際、地震の揺れを記録した東京大学地震学研究室の記録紙も展示されている。揺れが大きく針が大きくふれて、用紙からはみでている。また、溶けた釘のかたまりは、地震後の火災の激しさを物語っている。

 そんな貴重な資料が数多く展示されているのに、この資料館や慰霊堂を訪れる人も少なく、展示されている絵や資料も、ほこりをかぶっているかと思うくらいくすんでしまっている。

 関東大震災や東京大空襲の事実と多くの犠牲を忘れないため、これらの歴史的建造物をもっとよい状態で保存してほしい。そして、もっと、多くの人々にこのような場所のあることを知ってもらい、訪ねてもらいたいものだと思う。
東京大空襲の犠牲者を慰霊する碑-横網公園内
中には、空襲の犠牲者の名簿が保存されている。
2011年10月10日撮影

震災の慰霊堂の前には、由来記が書かれている
2011年10月10日撮影
《参考》
吉村昭著「関東大震災」文春文庫:文芸春秋2004年刊
財団法人東京都慰霊協会発行「関東大震災」「東京大空襲の記録」

2011年7月15日金曜日

東京電力福島第一原発、廃炉まで数十年

 報道によると、東京電力と原子炉メーカーは福島第一原発の廃炉に向けて、中長期的な工程表を検討していることがわかった。
 早くて3年後の2014年度に、福島第一原発の使用済み核燃料プールから、十分冷やした燃料の取り出しをはじめ、10年後をめどに原子炉内の燃料をとりだし始めるという。とりだした燃料は敷地内の共用プールに移すことを検討する。
 共用プールの改造や燃料の輸送容器の製造などが必要となる。
 そして、原子炉を解体して撤去するまで全体で数十年かかるという。

  この工程表をつくるには、スリーマイル島原発事故を参考にしたという。しかし、福島第一原発事故では、炉心溶融(燃料が溶けて原子炉圧力容器の底に落ちる)が、三つの原子炉で同時に起き、原子炉建屋が水素爆発した。また、圧力容器は損傷が大きく、注入した冷却水が漏れ続けている。溶けた燃料は圧力容器内にたまっているだけでなく、格納容器内にも漏れ出たとみられている。
 そのため、損傷している部分を調べてふさぐことが必要となる。溶けた燃料を原子炉から取り出すにも、あらかじめ、燃料の保管場所を用意しなくてはならない。
 原子炉建屋の燃料をとりだす装置が、水素爆発で壊れているため、その補修も必要となるという。さまざまな技術開発が必要だとされるが、何年かかるかわからない。
 
 その間、原発周辺の避難している住民の方々はどこでどのように暮らしたらよいのか。途方もなく長くなるかもしれない避難生活の年月を思うと、何と言葉をかけたらよいかわからない。避難生活を送る人たちが不便がないように、事業者は十分な補償をしてほしい。また行政は各地に避難している人たちに必要な情報を提供し、心のケアにも努めてほしい。
 
 一刻も早く、被災された方々が元のような平穏な生活ができるように…と願わずにいられない。
 
《参考記事》
「福島第一廃炉まで数十年 東電の中長期工程案」朝日新聞2011年7月9日
 http://www.asahi.com/national/update/0709/TKY201107090574.html?ref=any

2011年7月14日木曜日

東日本大震災から4カ月~見えない復興への道筋

  3月11日午後、長く大きな揺れを感じた。地震の直後、テレビを付けると、東北地方で大きな地震が起きたと知らせていた。

 津波警報が東日本の広範囲に出され、テレビでは、アナウンサーが、津波が来るので警戒するよう呼びかけていた。

 大きな地震の後、毎日余震が続いた。地震後、私の住むところでは、停電は免れたものの、計画停電がいつどのように始まるのかわからず、私たちは、食料品や非常持ち出し品の用意などに追われた。

 その後の報道は、被災地の様子を刻々と伝えていた。しかし、私は、新聞を開いて、被災地の惨状や津波の恐ろしさを伝える記事や写真をまともに見ることができなかった。読むのが、苦しく辛く、言葉が出なかった。何日も新聞を放置して、新聞は山積みにされた。

 その新聞をこのごろやっと、以前のように開いて読めるようになった。
そこでは、被災された方々が、自分たちの大切な人のことを語っていた。
 
 年老いた祖父母を助けようと、家に戻ろうとして、津波にのまれた高校生の息子のこと。
 小さな子たちを乗せて一刻も早く、保護者の元へ子どもを返そうと、道を急いでいたに違いない園バスの運転手さん。
 先生といっしょに高台に避難しようとしていた小学生たち。
 体の不自由な老いた親を車に乗せて避難しようとしていた人たち。
 町の役場で、防災無線に向かって、町の人たちに避難を呼び掛けていた職員の方達。

 平穏に暮らしていた善良な人々を、一瞬のうちに連れ去った津波。
家族や友人や知人たちが、今も、大切な人の姿を必死に探している。

 山のように積まれた品々の中に、人々の思い出が重なりあっている。その中を、大切な人の思い出を、少しでもと、探している人たちがいる。
 重機の免許を取得して、自ら重機を運転して、行方の知れない小学生の娘を探す母。
手と手を取り合って、あの日、幼稚園のバスの中にいたはずの子供たちを探す母親たち。
焼けただれたバスの中から、服の一切れでも…と、探す。

 被災された方々は、突然大切な人々を失い、生活の場を根こそぎ奪われて、生きる希望と意欲を失っておられるに違いない。

 国や自治体は、早く町や村の復興のビジョンを示し、住民が町に帰れるように、再建に全力を挙げてほしい。
  

 事故を起こした原子力発電所のある県に住む幼い子たちは、放射性物質を避けて毎日部屋の中で遊んでいる。梅雨は明けて、空は青く晴れているのに、洗濯物は家の中に干されている。

 窓を閉めて、長袖を着てマスクをしたまま、校庭で遊ぶことも出来ずに、教室で遊ばなくてはならない小学生の姿を見ると、この原発事故がなぜ起きたのかと、怒りを覚える。
 なぜ、この子たちが、猛暑の夏に、クーラーを付けることも出来ずに、汗だくになって、教室の中で一日過ごさなくてはならないのかと。

 難しい原子力発電所の事故の収束に向けて、日本中の技術者や研究者の英知を結集して、一刻も早く、確かな収束への道筋を示し、対策を講じてほしい。

《参考記事》
「震災の死者1万5547人 不明者は5344人」2011/07/10 17:58 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011071001000469.html

2011年6月29日水曜日

東日本大震災の遺児、長期的総合的支援が必要

 28日、あしなが育英会は、5月末までに一時金を申し込んだ東日本大震災で親を亡くすなどした遺児1120人とその保護者の被災状況などについて、申し込み書類の内容を分析、まとめた内容を公表した。

 一時金を申し込んだ遺児のうち、両親がいない世帯が全体の2割にのぼる。申し込みのあった707世帯のうち、母子家庭は49%、父子家庭は30%、両親がいない世帯は19%であった。
 また、保護者の仕事を調べたところ、正規雇用は37%で、無職や休職中とした保護者も3割を超えるという。
 また、同会が副田義也・筑波大学名誉教授(社会学)とともに分析した結果によると、震災の遺児は小学生以下の割合が4割を超えており、物心両面から長期的に支援が必要だとしている。

 あしなが育英会では、どちらかの親が死亡または行方不明などの0歳から大学院生までの子供を対象に、特別一時金を支給しており、27日までに、計1325人に計8億3890万円を送金した。

《参考》
あしなが育英会 http://www.ashinaga.org/

《参考記事》
NHKクローズアップ現代NO.3063 「震災遺児をどう支えるか」 6月27日放送
「震災遺児の世帯、2割が『両親なし』 あしなが育英会が分析」  2011/6/28 10:17 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819695E0E5E2E1908DE0EAE2E4E0E2E3E39180E2E2E2E2?n_cid=DSANY001

2011年4月28日木曜日

小中高生536人が死亡・行方不明~東日本大震災

報道によると、27日、岩手、宮城、福島の3県の教育委員会は、東日本大震災で亡くなったり行方不明になっている児童生徒が、合計536人に上ると発表した。
岩手、宮城、福島の3県では、国公私立の小中高の児童生徒が亡くなったり行方不明となっている。亡くなったのは378人、行方不明になっているのは158人にのぼる。3県の学齢別は小学生234人、中学生111人、高校生191人。

子供らは、赤や黒のランドセルをしょって、学期末だから学校から絵具箱や習字道具箱などを家に持ち帰るつもりだったのだろう。持ち主の子供と離れ離れになったそれらの写真を見ると、小さなこどもたちには、押し寄せてくる黒い波が、どんなにかこわかっただろうと、胸が痛む。
亡くなった小さな子供たちが、どうか安らかに…と祈らずにいられない。

3県の教育委員会によると、亡くなった児童生徒のほとんどは、下校途中や下校後に自宅などにいて津波に遭っているという。

3県の教委によると、地震があった3月11日午後2時46分は、授業や帰りの準備で生徒が在校中の学校が多かった。担当者や学校関係者は、「校内に残っていて、上階に避難した学校では、被害を免れるケースが多かった」と指摘している。
一方、3月のこのころは、短縮授業の期間で、先に下校していた低学年の児童が被害に遭っていることから、児童生徒に、時間があればより高い所に避難することを子供に教える必要があると指摘する専門家もいる。

高台へ避難する途中で津波の被害に遭った小学校もある。どこへどのように避難したらよいかは難しいと思う。日ごろから、学校関係者や地域の住民がいっしょに避難方法などを検討し、実際に訓練することが必要だと思う。

《参考記事》
「小中高生536人が死亡・不明 被災3県、大多数は下校後」 2011/04/27 23:47 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011042701000918.html

2011年4月11日月曜日

東日本大震災の犠牲者、過半数がお年寄り

 東北や関東を襲った地震と津波から一か月がたった。いまだに安否の確認できない方がたが1万3千人以上にのぼり、亡くなった方と合わせると2万6848人になるという。
  
 新聞で亡くなった方がたのお名前と年齢を見ると、お年寄りの方が多い。昼間、お年寄りだけで暮らしている方が多いのだろうか、足腰の弱ったお年寄りには、津波が押し寄せてくるのが早くて逃げ遅れたのだろうかと、考えていた。

 9日、朝日新聞が、死亡が確認された方のうち年齢がわかる方がたを調べた結果、65歳以上の方が55.4%を占めることが分かった。

 報道によると、朝日新聞は、12都道県の警察が把握している死者のうち、年齢が分かった7935人(4月7日)についてまとめた。その結果、65歳以上の高齢者は4398人で、亡くなった方々のうちの
約55%を占めていた。
 65歳以上の方々が人口に占める割合は、岩手県・宮城県・福島県の3県とも22~27%だというから、高齢者の方がたが被災した割合が大きいことがわかる。
 又、死因は、検視をした監察医によると、ほとんどが水死か津波によって瓦礫とともに流されたことによる多発性外傷だという。逃げる途中で津波に巻き込まれたり、付き添いがいないために逃げられない人が多かったのではないかといわれている。

 0~18歳の死者は531人で、全体の6.7%をしめ、3県の7~18歳の子どもが県の人口に占める割合はいずれも11~12%程度で、人口構成上、被災の割合は低いといわれている。平日の午後2時46分だったため、子供が下校前の学校が多く、地震発生後、学校で教師が近くの高台や屋上に避難するよう誘導したりして助かったケースもあるという。
 
 学校の場合のように、避難誘導を迅速に行えば助かることもある。
 足腰や目の悪くなったお年寄りと誰がどこへどう避難するのか、地域の防災対策や地域のつながりをもとにした対策が必要になっている。

《参考記事》
「震災死者、過半数が高齢者 津波から逃げ遅れか」 2011年4月9日23時1分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0409/TKY201104090357.html?ref=any
「2時46分、被災地に祈り 死亡・不明2万6848人」2011/04/11 21:09 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041101000008.html  

2011年4月3日日曜日

あしなが育英会、東日本大震災で緊急対応措置

 あしなが育英会は、3月22日、東日本大地震・津波で親を失った0歳から大学院生までに「特別一時金」の支給を決定した。同会は、病気や災害、自死(自殺)で親を亡くした子どもたちを物心両面で支える民間の非営利団体で、遺児の進学支援のため、奨学金を貸し出すなどしている。

 報道によると、今回の東日本を襲った大地震で、保護者が亡くなるか行方不明になり、「あしなが育英会」に、返済の必要のない特別一時金の給付を申し込んできた子どもは、86人に上ることが分かった。うち15人は両親をともに失ったという。同会は、今回の震災の被害で、遺児がさらに増えるとみて、職員を被災地に派遣し、実態の把握につとめているという。

 特別一時金を申し込んだ86人の内訳は、小学生21人、中学生10人、高校生25人、大学生・専門学校生23人で、就学前の子も3人いた。また、父親を失った子供は54人、母親を失った子供は10人にのぼった。

 両親ともに亡くした15人の子供のうち、最も多いのは高校生で7人、大学生・専門学校生は6人、小学生が2人だという。

 特別一時金は、未就学児10万円、小中学生20万円、高校生30万円、大学・専門学校・大学院生は40万円を給付。
 同会は「地震発生が平日の昼間だったため親と離れて学校にいた子供が多く、遺児がかなり増える可能性がある」と考え、給付金制度を設けた。40年以上になる同会の遺児支援・あしなが運動で初の措置となる。

 同会は、一時金を申し込んだ宮城、岩手両県の8家庭を訪問、子供の置かれた状況も調べた。 父親を津波で亡くし、母親と子ども2人が残された家庭や、高校生の兄妹だけ残され避難所を転々としてやっと会えたという家庭もある。
 家や家財が流され、遺児たちは勉強道具も失って新学期を迎えるのも容易ではない。学びたいという遺児たちの願いをかなえることができるよう、各種の奨学金をはじめ、各方面からの支援策をのぞみたい。 

《参考》
「東日本大地震・津波への緊急対応措置について」 あしなが育英会
http://d.hatena.ne.jp/ashinagaikueikai/20110322/1300868171

「震災遺児86人を把握 あしなが育英会、特別一時金給付へ」
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819695E2E3E2E6948DE2E0E2E6E0E2E3E39191E2E2E2E2?n_cid=DSANY001

2011年4月2日土曜日

東日本を襲った地震と津波のこと

 今回の地震に遭い、亡くなられた方々のご冥福をいのります。
 また、大きな被害に遭われた方がた、そのご家族、友人の皆さまには、心よりお見舞いを申しあげます。
 そして、行方が分からずにいる方々が一刻も早く、ご家族のもとに帰れますよう、お祈りいたします。

 また、食料や睡眠も十分でない中、毎日、被災地の復旧や被災された方の救助、救援のために休む間もなく、お仕事をされている自治体職員はじめ、自衛隊、消防隊、医療関係者など、関係者の皆さまに、心から敬意を表します。

*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*

 3月11日の東日本を襲った地震から3週間あまりがたちました。

今までに、こんなに言葉にするのが辛くなるほど、胸が苦しくなることはありませんでした。
テレビやニュースで、被災した現地の町や村の映像を見ていると、
息をするのも苦しいくらい、胸がしめつけられます。

夜行列車に乗って、朝仙台に着き、青い海を見に行ったのは、遠い日のことです。
遊覧船に乗って、美しい海の島々の間をめぐりました。

その美しい海に、あんなに大きな力が隠されていようとは…

かつてテレビや雑誌で見たり、旅行で行ったことのある町や村が、
一瞬のうちに、大きな波に襲われ、破壊されようとは…

ひとつの屋根の下で、柱につかまって、流されまいとしていた人がいました。
木にしがみついて、波にさらわれまいとしていたお年寄りがいました。
介護していたお年寄りを助けようと手をのばしていた人がいました。
たくさんの子どもたちを両手で抱えて、津波から守ろうとしていた先生がいました。
子どもをおぶって高台へ避難しようと、力いっぱい走っていた母がいました。
車に寝たきりの老いた母親を乗せて避難しようとしていた娘がいました。
町の人々を避難させようと、半鐘を鳴らし続けた人がいました。

きっと妻や子どもにやさしい父親だった人や、
生まれてくる子どもに会うのを楽しみにしていた若い母親や、
ひざにのって甘えてくる孫にやさしかったお年寄りや、
住民の生活をまもろうと、町づくりや防災に力を尽くしていた村や町の職員の方々を、
つつましく、静かに、そして誰にも迷惑をかけないようにと、
誠実に生きていたにちがいない人たちのかけがえのない命と生活を、
想像もできないくらい、大きな津波が奪いました。

あれから3週間がたちました。
けれども、いまだに、行方の分からない人が大勢います。
瓦礫の山をそーっと、ていねいにかきわけて、大切な身内がいないかと
探して回る人たちがいます。

家族と別れ別れになった人が、一刻も早く大切な人たちと再会し、抱き合って喜べるように、
一刻も早く、大切な人を見つけ出して、温めてあげられるように、
被災して家を失った人たちに、温かなたべものと衣服がいきわたるように、
子どもたちに、学べる教室と走り回れる運動場が確保されるように、
病を抱えた人に十分な医薬品と治療がいきわたりますように…と

遠くから、ずっと祈っています。
私に何ができるかと問いながら…

2011年3月18日金曜日

東日本大震災の被害、戦後最大に

 3月11日午後2時46分におきた東北地方太平洋沖地震により、被害に遭われ尊いいのちをなくされた方々に哀悼の意を表します。

 また、いまだ、安否がわからない方々が、一刻も早く救出されることを心よりお祈りいたします。そして、負傷された皆さまが回復されること、避難所で不自由な生活をされている皆様が一刻も早くもとの生活に戻れるよう、心よりお祈り申し上げます。

《参考記事》
「東日本大震災の死者6911人 「阪神」超え戦後最大」
2011/03/18 21:42 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011031801000690.html