1945年3月10日未明に行われたアメリカによる無差別爆撃。一夜にして、東京の下町一帯は、焼け野原と化し、10万人もの人が亡くなった。私の母の親戚や、恩師の家族もこの空襲で亡くなっている。
熱く燃えさかる炎の中を逃げまどい、行き場を失って倒れていった人々に、思いをはせる。戦後の平和はあなた方の犠牲の上に築かれているのだと。私たちは、空襲で無念に命を絶たれた人たちのことを忘れないと。
作家の早乙女勝元氏(82歳)は、1945年3月10日の東京大空襲のとき、当時の向島区に住んでいた。国民学校の高等科1年で12歳だった。自宅は焼け残ったが、2か月後の空襲では、隣の中学校が一瞬にして焼けるなど、危険だったという。
1970年に「東京空襲を記録する会」をつくり、74年までに「東京大空襲・戦災誌」全5巻を刊行した。早乙女さんは、844編もの体験記が集まったのは、当時ベトナム戦争があったからだという。当時、日本の沖縄から北ベトナムへ、B52爆撃機が飛び立っていく。そのことへ心のうずきを持つ人たちが、あらためて自分たちの戦争体験、空襲体験を振り返り、体験をつづったのだという。
戦争体験に憲法9条が重なり、戦後の平和の礎となった。
戦争当時の国際法でさえ禁じられていた民間人への爆撃。
なぜ、軍人や軍需工場だけでなく、無差別に民間人を爆撃をしたのか?市井に暮らす罪もない人たちをなぜ爆撃したのかと問い続け、被害の実態を語り続けてきたが、早乙女さんら体験者が語り継ぐことが、戦後から70年がたち、限界に来ている。
早乙女さんは、さまざまな形で、戦争の体験を継承することを考えなくてはならない時だという。絵でも、コミックでも、映画でもよい。早乙女さんら戦争体験者が、「東京空襲を記録する会」から「東京大空襲・戦災資料センター」へと発展させてきた体験の継承を、次の世代が引き継ぎ、平和の礎を守り固いものにしていく必要があるのだと思う。
~東京大空襲から70年の夜に~
≪参考記事≫
「社説 東京大空襲 被害と責任見つめ直す」朝日新聞2015年3月10日
http://astand.asahi.com/column/editorial/DA3S11641425S.html
「戦後70年 空襲、街ごと標的 火の海に」朝日新聞2015年3月10日
http://digital.asahi.com/articles/ASH2T624YH2TTIPE01T.html
「伝言 あの日から70年 防空法で犠牲拡大 空襲時『逃げずに消火』」東京新聞2015年3月4日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/dengon70th/CK2015030402000204.html
「東京大空襲70年 民間人被害、継承は生存者の使命 作家・早乙女勝元さん」
朝日新聞2015年3月9日 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11640237.html
2015年3月10日火曜日
2014年10月8日水曜日
ノーベル平和賞予測リスト、「憲法9条」がトップ
10月10日に、ノルウェーのオスロで、2014年のノーベル平和賞が発表される。報道によると、その受賞予測のトップに「憲法9条を保持する日本国民」が急浮上した。
毎年、受賞予測を発表し、的中した実績のある民間研究機関・オスロ国際平和研究所が、3日、ウェブサイト上の予測リストを更新、それまでランク外だった「憲法9条」がトップに上がった。
これまで、同リストにはフランシスコ・ローマ法王が筆頭候補だったそうだ。3日付けで「憲法9条」が法王と交代した。
報道によると、オスロ国際平和研究所長のハープウィケン氏は、
「中立や不可侵、平和主義につながる原則を掲げる憲法9条は、軍事的な紛争解決が多用される昨今において重要であるにもかかわらず、十分に光が当たっていない」と話しているという。
戦争の放棄を定めた憲法9条をノーベル平和賞に推した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会(事務局・神奈川県相模原市)には、今年4月に、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から推薦を受理したという連絡があり、「憲法9条」は正式に平和賞候補になっている。
事務局のホームページによると、憲法9条に平和賞授賞をもとめる署名は10月2日時点で、41万人分集まっているということだ。
戦後70年、日本が他国と一度も武力衝突を起こさずに来たのは、憲法9条の存在が大きい。
憲法の理念を守ろうとする人たちと、憲法の中身を変質させ戦争ができる国にしようとする人たちとのせめぎあいの中で、守られてきた平和主義。それは、日本だけでなく、世界中の人たちが共感できるものにちがいない。
先の戦争で失ったたくさんの命。その尊い犠牲を忘れず、戦争を無くし平和な世界をつくるのが、戦後に生きる私たちのつとめではないかと思う。その中心に、憲法をすえていこうと思う。
≪日本国憲法から、前文と第2章第9条を抜粋≫
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
≪以下のホームページから署名ができます≫2014年10月8日追加
「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会
http://nobel-peace-prize-for-article-9.blogspot.jp/
以下のキャンペーンのリンクからネット上で署名ができる仕組みに なっています。
http://www.change.org/p/ 世界各国に平和憲法を広めるために-日本国憲法-特に第9条- を保持している日本国民にノーベル平和賞を授与してください- please-award-the-nobel-peace- prize-to-the-japanese- citizens-who-have-continued- maintaining-this-pacifist- constitution-article-9-in- particular-up-until-present? recruiter=162762234&utm_ campaign=signature_receipt& utm_medium=email&utm_source= share_petition
≪参考記事≫
「9条、なぜノーベル賞トップ予測『戦後の歩みに共感』」朝日新聞2014年10月7日10時28分
http://digital.asahi.com/articles/ASGB64J07GB6PTIL010.html
毎年、受賞予測を発表し、的中した実績のある民間研究機関・オスロ国際平和研究所が、3日、ウェブサイト上の予測リストを更新、それまでランク外だった「憲法9条」がトップに上がった。
これまで、同リストにはフランシスコ・ローマ法王が筆頭候補だったそうだ。3日付けで「憲法9条」が法王と交代した。
報道によると、オスロ国際平和研究所長のハープウィケン氏は、
「中立や不可侵、平和主義につながる原則を掲げる憲法9条は、軍事的な紛争解決が多用される昨今において重要であるにもかかわらず、十分に光が当たっていない」と話しているという。
戦争の放棄を定めた憲法9条をノーベル平和賞に推した「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会(事務局・神奈川県相模原市)には、今年4月に、ノルウェー・オスロのノーベル委員会から推薦を受理したという連絡があり、「憲法9条」は正式に平和賞候補になっている。
事務局のホームページによると、憲法9条に平和賞授賞をもとめる署名は10月2日時点で、41万人分集まっているということだ。
戦後70年、日本が他国と一度も武力衝突を起こさずに来たのは、憲法9条の存在が大きい。
憲法の理念を守ろうとする人たちと、憲法の中身を変質させ戦争ができる国にしようとする人たちとのせめぎあいの中で、守られてきた平和主義。それは、日本だけでなく、世界中の人たちが共感できるものにちがいない。
先の戦争で失ったたくさんの命。その尊い犠牲を忘れず、戦争を無くし平和な世界をつくるのが、戦後に生きる私たちのつとめではないかと思う。その中心に、憲法をすえていこうと思う。
≪日本国憲法から、前文と第2章第9条を抜粋≫
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。≪以下のホームページから署名ができます≫2014年10月8日追加
「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会
http://nobel-peace-prize-for-article-9.blogspot.jp/
以下のキャンペーンのリンクからネット上で署名ができる仕組みに
http://www.change.org/p/
≪参考記事≫
「9条、なぜノーベル賞トップ予測『戦後の歩みに共感』」朝日新聞2014年10月7日10時28分
http://digital.asahi.com/articles/ASGB64J07GB6PTIL010.html
2014年8月6日水曜日
広島、原爆の日に~平和宣言の原点
報道によると、8月1日、長崎市の田上市長は、長崎原爆の日である8月9日の平和祈念式典で読み上げる平和宣言の内容について、記者会見した。
田上市長は、平和宣言の中で、安倍政権による集団的自衛権の行使容認について懸念を示す文言を入れることを明らかにした。
田上市長は「安全保障の現状を明確に伝えるために集団的自衛権という言葉を入れたほうが伝わりやすい」と語った。一方、広島市の松井一実(かずみ)市長は宣言に盛り込まない考えを示した。
長崎平和宣言は、被爆者や大学教授ら14人が委員を務め、田上市長が委員長を務める起草委員会での議論をふまえて、市が作成する。
田上市長は、集団的自衛権行使容認をめぐる議論を機に、国民の中で平和に対する不安や懸念が広がっており、政府はそういった国民の声に真摯に耳を傾けるべきと要請するという。
同じ1日、広島市の松井一実市長は、6日の広島原爆の日に読み上げる平和宣言の骨子を発表した。しかし、集団的自衛権の行使容認については、言及しない考えだが、戦後69年間憲法の平和主義のもとで戦争をしなかった事実を重く受け止めて、これからも平和国家として歩むことを訴えるという。
また、核保有国に対しては、非人道的な脅しで自国をまもろうとすることをやめ、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりを訴えるという。
昭和22年の広島市平和宣言は、
「戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから」と、
原爆の惨禍をもたらした戦争を否定し、「永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう」と訴える。
69年前の夏の暑い日、きのこ雲の下で、一瞬のうちに、何が起こったのかもわからずにこの世を去ることになった人々を思い、二度と戦争を起こさないと誓うこと。戦争による大きな犠牲の上に、私たちがたどり着いた結論は、この後に大切に伝えて行かなくてはならないと思う。
《参考記事》
「広島市平和宣言(昭和22年)」広島市ホームページ
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1111795443652/index.html
「(社説余滴)平和宣言の原点に返れば」朝日新聞2014年7月22日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11257622.html
「平和宣言で長崎市、行使容認に懸念表明へ」朝日新聞2014年8月1日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11278521.html
田上市長は、平和宣言の中で、安倍政権による集団的自衛権の行使容認について懸念を示す文言を入れることを明らかにした。
田上市長は「安全保障の現状を明確に伝えるために集団的自衛権という言葉を入れたほうが伝わりやすい」と語った。一方、広島市の松井一実(かずみ)市長は宣言に盛り込まない考えを示した。
長崎平和宣言は、被爆者や大学教授ら14人が委員を務め、田上市長が委員長を務める起草委員会での議論をふまえて、市が作成する。
田上市長は、集団的自衛権行使容認をめぐる議論を機に、国民の中で平和に対する不安や懸念が広がっており、政府はそういった国民の声に真摯に耳を傾けるべきと要請するという。
| 広島平和記念公園に残された原爆ドーム。2012年12月1日撮影 |
| 原爆投下後の広島市、原爆ドームの周辺の写真。 広島平和記念資料館にて。 2012年12月1日撮影 |
同じ1日、広島市の松井一実市長は、6日の広島原爆の日に読み上げる平和宣言の骨子を発表した。しかし、集団的自衛権の行使容認については、言及しない考えだが、戦後69年間憲法の平和主義のもとで戦争をしなかった事実を重く受け止めて、これからも平和国家として歩むことを訴えるという。
また、核保有国に対しては、非人道的な脅しで自国をまもろうとすることをやめ、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりを訴えるという。
昭和22年の広島市平和宣言は、
「戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから」と、
原爆の惨禍をもたらした戦争を否定し、「永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう」と訴える。
69年前の夏の暑い日、きのこ雲の下で、一瞬のうちに、何が起こったのかもわからずにこの世を去ることになった人々を思い、二度と戦争を起こさないと誓うこと。戦争による大きな犠牲の上に、私たちがたどり着いた結論は、この後に大切に伝えて行かなくてはならないと思う。
《参考記事》
「広島市平和宣言(昭和22年)」広島市ホームページ
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1111795443652/index.html
「(社説余滴)平和宣言の原点に返れば」朝日新聞2014年7月22日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11257622.html
「平和宣言で長崎市、行使容認に懸念表明へ」朝日新聞2014年8月1日
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11278521.html
2012年6月7日木曜日
広島・長崎二重被曝~急がれる実態の把握
報道によると、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の調査で、アメリカの原爆投下により、広島と長崎で二重に被爆した可能性のある人が307人いることがわかった。
同館は、同館に寄せられた被爆体験者の手記約13万3千人分をコンピューターで分析した結果、これまで、被爆地として広島と長崎両方を挙げた人が約160人いるとしていた。
しかし、今回、同館が、新たに寄せられた手記を分析、精査した結果、二重被曝の可能性がある人が307人にのぼることがわかった。今後も詳しい調査をして、数を確定するという。
広島と長崎は直線でおよそ300km離れている。二つの都市に共通する点は、造船所や兵器工場などが多く、戦前は、日本の重要な軍事拠点であったことである。
そのため、戦前、物資が欠乏してくると、これらの工場で働く人々は、この二つの都市の間で転勤や出張をしたり、避難したりしていた。また、長崎の学校に入学などしていた人が、広島に帰省する、または広島で被爆後、長崎の学校などに戻るなど、両市は行き来をする人が多かった。
同館によると、原爆投下後に、両市に入ったのは、負傷者の救護活動や遺体の処理などにあたった軍人や看護師などがめだつということだ。また、両市に工場があった造船所の関係者の中には、両市で被爆した人も複数いるという。
当時18歳だった男性は、軍医を目指して長崎で夏休みも勉強していた。1945年8月9日長崎に落とされた原爆で被爆し、同月13日、実家のあった広島市に帰省した際に、入市被爆したという。また、当時14歳だった男性は、長崎航空機乗員養成所の予備練習生だった。帰省していた岡山県から養成所に戻る途中、広島駅で原爆投下直後の惨状を目の当たりにして、救助活動にあたり放射線をあびた。同月8日午後、長崎の戻り、長崎に投下された原爆で被爆した。
体験記の中には、二重に被爆したとみられる人のケースが数多くあり、同館の担当者は「この7年間で体験記が約2万人分増えたために新たな事実がわかった。原爆投下から67年たち、被爆者たちの体験を語り継ぎたいという思いの表れだと思う。」と話している。
手記を寄せていない被爆者の方や、すでに亡くなっている方の中には、広島・長崎両市で被爆した人が数多くいるにちがいない。二重に被爆した人の実態はいまだによくわかっていないと聞く。
急いで調査をすすめて、実態を把握してほしい。そして、原爆の実態を知らない人たちに伝えていくことが、核兵器をなくすことに繋がっていくと思う。
《参考》
「ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆」 山口彊著 (朝日文庫、2009年)
《参考記事》
「 広島長崎で二重被爆、倍の307人か 13万人手記分析」 朝日新聞デジタル2012年6月2日
同館は、同館に寄せられた被爆体験者の手記約13万3千人分をコンピューターで分析した結果、これまで、被爆地として広島と長崎両方を挙げた人が約160人いるとしていた。
しかし、今回、同館が、新たに寄せられた手記を分析、精査した結果、二重被曝の可能性がある人が307人にのぼることがわかった。今後も詳しい調査をして、数を確定するという。
広島と長崎は直線でおよそ300km離れている。二つの都市に共通する点は、造船所や兵器工場などが多く、戦前は、日本の重要な軍事拠点であったことである。
そのため、戦前、物資が欠乏してくると、これらの工場で働く人々は、この二つの都市の間で転勤や出張をしたり、避難したりしていた。また、長崎の学校に入学などしていた人が、広島に帰省する、または広島で被爆後、長崎の学校などに戻るなど、両市は行き来をする人が多かった。
同館によると、原爆投下後に、両市に入ったのは、負傷者の救護活動や遺体の処理などにあたった軍人や看護師などがめだつということだ。また、両市に工場があった造船所の関係者の中には、両市で被爆した人も複数いるという。
当時18歳だった男性は、軍医を目指して長崎で夏休みも勉強していた。1945年8月9日長崎に落とされた原爆で被爆し、同月13日、実家のあった広島市に帰省した際に、入市被爆したという。また、当時14歳だった男性は、長崎航空機乗員養成所の予備練習生だった。帰省していた岡山県から養成所に戻る途中、広島駅で原爆投下直後の惨状を目の当たりにして、救助活動にあたり放射線をあびた。同月8日午後、長崎の戻り、長崎に投下された原爆で被爆した。
体験記の中には、二重に被爆したとみられる人のケースが数多くあり、同館の担当者は「この7年間で体験記が約2万人分増えたために新たな事実がわかった。原爆投下から67年たち、被爆者たちの体験を語り継ぎたいという思いの表れだと思う。」と話している。
手記を寄せていない被爆者の方や、すでに亡くなっている方の中には、広島・長崎両市で被爆した人が数多くいるにちがいない。二重に被爆した人の実態はいまだによくわかっていないと聞く。
急いで調査をすすめて、実態を把握してほしい。そして、原爆の実態を知らない人たちに伝えていくことが、核兵器をなくすことに繋がっていくと思う。
《参考》
「ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆」 山口彊著 (朝日文庫、2009年)
《参考記事》
「 広島長崎で二重被爆、倍の307人か 13万人手記分析」 朝日新聞デジタル2012年6月2日
2011年10月16日日曜日
関東大震災・東京大空襲の慰霊堂~墨田区横網町公園
1923年(大正12年)に起きた関東大震災から、今年の9月1日で88年がたった。
関東地方を襲った地震はマグ二チュード7.9、木造やレンガ造りの建物は倒壊し、多くの人々が倒れた家屋や建物の下敷きになって亡くなった。
しかし、建物の倒壊よりも、その後の火災で亡くなった人が多かったことがわかっている。地震が正午に近かったこともあって、昼食の支度に火を使っていた家が多かったために、地震と同時に各地で火の手があがった。
水道管が破壊されたため、消火活動が進まず、火の手は瞬く間に広がった。また、避難する人々は大八車に家財を乗せて運んだり、荷物を家から運んだりしたため、人だけでなく荷物で道路や避難所が塞がれ、身動きが取れなくなり、消防活動も進まなかったという。
地震と同時に起きた火災は、9月3日の午前7時ころまで、約42時間燃え続け、当時の東京市の約5割、戸数約7割を焼失した。
地震後、東京の公園や宮城前には、多くの市民が避難してきた。その中でも、横網町にある陸軍省被服廠跡地には、多くの住民が避難していた。
陸軍省被服廠の建物が移転した跡地は、大正11年に逓信省と東京市に払い下げられていた。2万430坪余りの広大な敷地を、付近の人々は絶好の避難場所と考えて、家財道具などを運んで避難し、跡地は家財と人であふれていた。しかし、火が周辺から襲い、家財に引火し、その上、折からまきおこった旋風に人々や家財などが巻き上げられ、飛散した。
被服廠跡地には、煙に巻かれて倒れた人や旋風に巻き上げられて墜落した人の山ができ、その山を炎が襲い、多くの人々が焼死したという。
推定約3万8千名の人々がこの跡地で亡くなった。その数は、関東大震災で亡くなった全東京市の人の55%強に達する。
この跡地には、今、慰霊堂が建っている。両国国技館や江戸東京博物館の裏手にあり、両国駅から歩いて10分ほどのところにある。
震災から、7年経って完成した慰霊堂には、当時一家全滅などで引き取り手のなかった遺骨260個が大骨壷におさめられ、震災で亡くなった5万8千人の霊がまつられている。
また、太平洋戦争中、米軍の無差別爆撃によって亡くなった約10万5千人の非戦闘員である東京市民の霊も祭られている。
戦前は慰霊行事は東京都知事主催だったが、戦後は、政教分離の原則から、民間の団体である財団法人東京都慰霊協会が行うことになった。
慰霊堂のすぐそばには、「復興記念館」があり、震災当時の記録写真や戦災の資料などが展示されている。中には、地震が発生した際、地震の揺れを記録した東京大学地震学研究室の記録紙も展示されている。揺れが大きく針が大きくふれて、用紙からはみでている。また、溶けた釘のかたまりは、地震後の火災の激しさを物語っている。
そんな貴重な資料が数多く展示されているのに、この資料館や慰霊堂を訪れる人も少なく、展示されている絵や資料も、ほこりをかぶっているかと思うくらいくすんでしまっている。
関東大震災や東京大空襲の事実と多くの犠牲を忘れないため、これらの歴史的建造物をもっとよい状態で保存してほしい。そして、もっと、多くの人々にこのような場所のあることを知ってもらい、訪ねてもらいたいものだと思う。
《参考》
吉村昭著「関東大震災」文春文庫:文芸春秋2004年刊
財団法人東京都慰霊協会発行「関東大震災」「東京大空襲の記録」
関東地方を襲った地震はマグ二チュード7.9、木造やレンガ造りの建物は倒壊し、多くの人々が倒れた家屋や建物の下敷きになって亡くなった。
しかし、建物の倒壊よりも、その後の火災で亡くなった人が多かったことがわかっている。地震が正午に近かったこともあって、昼食の支度に火を使っていた家が多かったために、地震と同時に各地で火の手があがった。
水道管が破壊されたため、消火活動が進まず、火の手は瞬く間に広がった。また、避難する人々は大八車に家財を乗せて運んだり、荷物を家から運んだりしたため、人だけでなく荷物で道路や避難所が塞がれ、身動きが取れなくなり、消防活動も進まなかったという。
地震と同時に起きた火災は、9月3日の午前7時ころまで、約42時間燃え続け、当時の東京市の約5割、戸数約7割を焼失した。
地震後、東京の公園や宮城前には、多くの市民が避難してきた。その中でも、横網町にある陸軍省被服廠跡地には、多くの住民が避難していた。
陸軍省被服廠の建物が移転した跡地は、大正11年に逓信省と東京市に払い下げられていた。2万430坪余りの広大な敷地を、付近の人々は絶好の避難場所と考えて、家財道具などを運んで避難し、跡地は家財と人であふれていた。しかし、火が周辺から襲い、家財に引火し、その上、折からまきおこった旋風に人々や家財などが巻き上げられ、飛散した。
被服廠跡地には、煙に巻かれて倒れた人や旋風に巻き上げられて墜落した人の山ができ、その山を炎が襲い、多くの人々が焼死したという。
推定約3万8千名の人々がこの跡地で亡くなった。その数は、関東大震災で亡くなった全東京市の人の55%強に達する。
| 墨田区横網町にある東京都慰霊堂-2011年10月10日撮影 |
震災から、7年経って完成した慰霊堂には、当時一家全滅などで引き取り手のなかった遺骨260個が大骨壷におさめられ、震災で亡くなった5万8千人の霊がまつられている。
また、太平洋戦争中、米軍の無差別爆撃によって亡くなった約10万5千人の非戦闘員である東京市民の霊も祭られている。
戦前は慰霊行事は東京都知事主催だったが、戦後は、政教分離の原則から、民間の団体である財団法人東京都慰霊協会が行うことになった。
慰霊堂のすぐそばには、「復興記念館」があり、震災当時の記録写真や戦災の資料などが展示されている。中には、地震が発生した際、地震の揺れを記録した東京大学地震学研究室の記録紙も展示されている。揺れが大きく針が大きくふれて、用紙からはみでている。また、溶けた釘のかたまりは、地震後の火災の激しさを物語っている。
そんな貴重な資料が数多く展示されているのに、この資料館や慰霊堂を訪れる人も少なく、展示されている絵や資料も、ほこりをかぶっているかと思うくらいくすんでしまっている。
関東大震災や東京大空襲の事実と多くの犠牲を忘れないため、これらの歴史的建造物をもっとよい状態で保存してほしい。そして、もっと、多くの人々にこのような場所のあることを知ってもらい、訪ねてもらいたいものだと思う。
| 東京大空襲の犠牲者を慰霊する碑-横網公園内 中には、空襲の犠牲者の名簿が保存されている。 2011年10月10日撮影 |
| 震災の慰霊堂の前には、由来記が書かれている 2011年10月10日撮影 |
吉村昭著「関東大震災」文春文庫:文芸春秋2004年刊
財団法人東京都慰霊協会発行「関東大震災」「東京大空襲の記録」
2011年8月7日日曜日
原爆投下から66年~広島平和宣言
66年前の8月6日、アメリカによって、広島に原子爆弾が投下された。広島市の平和記念公園では、原爆が投下された午前8時15分に合わせて、参加した市民らが黙とうした。
原爆碑には、この1年間、新たに死亡が確認された5785人の方の名簿が納められ、これまでに亡くなった原爆死没者の数は27万5230人になった。
今年4月に就任した松井一実市長は、被爆2世。松井市長は、被爆者から公募した体験を平和宣言の中に引用して、「被爆者は、さまざまな体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきた」と、被爆者の方々の思いを代弁した。
そして、平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを世界の人々に伝え、世界の都市が2020年までに核兵器廃絶をめざすよう平和市長会議の輪を広めていくとした。
また、今年3月11日に起きた東日本大震災とその後起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故に触れ、「今なお続いている放射線の脅威は、被災者を始め多くの人々を不安に陥れ、原子力に対する国民の信頼を根底から崩してしま」ったと指摘した。
「核と人類は共存できない」との思いから「脱原発」を主張する人々、あるいは原子力管理の一層の厳格化とともに再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいる現状を、政府は真摯に受け止め、早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じることももとめた。
平和記念式に出席した菅直人首相は、あいさつの中で、エネルギー政策について白紙から見直し、原子力についての「安全神話」を反省して、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度をさげ、「原発に依存しない社会」を目指していくと述べた。
いまだに放射能に苦しめられている被爆者の方々が、一刻も早く原爆症の認定を受け、十分な医療や福祉の援護を受けられるよう、政府にもとめるとともに、政府や東京電力には福島原子力発電所の事故が一刻も早く収束するよう、対策を進めてほしいと思う。
《参考》
「広島原爆の日:広島平和宣言(全文)」毎日新聞2011年8月6日http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110806dde007040053000c.html
《参考記事》
「 エネルギー政策見直しを要求 広島、原爆66年の式典」共同通信2011/08/06 13:18
http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011080601000033.html
原爆碑には、この1年間、新たに死亡が確認された5785人の方の名簿が納められ、これまでに亡くなった原爆死没者の数は27万5230人になった。
今年4月に就任した松井一実市長は、被爆2世。松井市長は、被爆者から公募した体験を平和宣言の中に引用して、「被爆者は、さまざまな体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきた」と、被爆者の方々の思いを代弁した。
そして、平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを世界の人々に伝え、世界の都市が2020年までに核兵器廃絶をめざすよう平和市長会議の輪を広めていくとした。
また、今年3月11日に起きた東日本大震災とその後起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故に触れ、「今なお続いている放射線の脅威は、被災者を始め多くの人々を不安に陥れ、原子力に対する国民の信頼を根底から崩してしま」ったと指摘した。
「核と人類は共存できない」との思いから「脱原発」を主張する人々、あるいは原子力管理の一層の厳格化とともに再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいる現状を、政府は真摯に受け止め、早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じることももとめた。
平和記念式に出席した菅直人首相は、あいさつの中で、エネルギー政策について白紙から見直し、原子力についての「安全神話」を反省して、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度をさげ、「原発に依存しない社会」を目指していくと述べた。
いまだに放射能に苦しめられている被爆者の方々が、一刻も早く原爆症の認定を受け、十分な医療や福祉の援護を受けられるよう、政府にもとめるとともに、政府や東京電力には福島原子力発電所の事故が一刻も早く収束するよう、対策を進めてほしいと思う。
《参考》
「広島原爆の日:広島平和宣言(全文)」毎日新聞2011年8月6日http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110806dde007040053000c.html
《参考記事》
「 エネルギー政策見直しを要求 広島、原爆66年の式典」共同通信2011/08/06 13:18
http://www.47news.jp/CN/201108/CN2011080601000033.html
2010年11月30日火曜日
地下壕9850か所、崩落の恐れ487か所~全国に残る地下壕
報道によると、11月29日、太平洋戦争中、旧日本軍が造った地下壕が崩れて住宅が陥没して住めなくなった男性2人が、国に家の修理費用や慰謝料などの損害賠償をもとめていた訴訟の判決があった。東京地裁立川支部は、判決で「家の陥没は国が地下壕の安全対策を怠ったため」として、国の責任を認め、約3500万円を男性らに支払うよう命じた。
国土交通省の調べによると、全国の市街地には、地下壕が9850か所あり、崩落などの危険のある地下壕は487か所にのぼることがわかった。
地下壕は、戦時中、旧日本軍や、軍需工場、町内会などによって造られ、おもに防空壕として使われていた。
訴状などによると、2002年10月、男性の家の玄関に通じる階段が崩れ始め、その後庭が縦5メートル、横4メートル、深さ3メートルにわたって陥没し、二人の男性の家がそれぞれ2軒とも傾いた。二人は転居し、今も家に戻れていない。
周辺では1945年2月に旧陸軍航空本部が工場の疎開先として、総延長4.2キロの壕を着工し、約75%完成したところで終戦となった。二人の自宅の下にはいまでも、南北方向に壕が通っているという。
裁判では、原告側は、「国が地下壕を埋め戻すなどの対策を取らず放置したため崩落が起きた」と主張した。一方国側は「国は終戦で地下壕の占有権を失い、壕を管理しておらず、事故を回避すべき義務はない」と争っていた。
2005年には、鹿児島市で、防空壕の跡地にいた中学生4人が一酸化中毒で死亡、事故後、鹿児島市は、1千か所以上の防空壕の入口をコンクリートブロックでふさいだが、まだ約460か所が残っているという。
2000年には、鹿児島県の鹿屋市で県道が陥没して、看護師の女性が亡くなる事故が起き、遺族が国と県に賠償を求め、鹿児島地裁が国の責任を認め、約5600万円の支払いを命じた。
国交省と地方自治体は、1998年から2009年度、周囲に影響の出る恐れのある地下壕を中心に、195か所を埋め戻すなどしたが、新たに発覚する地下壕が後を絶たず、危険な地下壕がなかなかなくならないという。
国交省の担当者は、「地下壕の存在が発覚すると、不動産の評価額が目減りする可能性がある。地下壕があると知っていても、公表を嫌う地権者もいて、正確な数が把握できない」と話しているそうだ。
戦争が終わって65年もたつのに、防空壕が全国各地に存在し、危険と隣り合わせで生活している人がたくさんいることは驚きだった。裁判を提訴した日野市の男性らは「不動産取引の際に、地下壕などの存在を告知する義務を設けるべきだ」という。
早急に、壕を埋め戻すなどの対策を実施することが望まれると思う。
《参考》 国土交通省都市・地域整備局「特殊地下壕対策事業」について
http://www.mlit.go.jp/crd/city/sigaiti/tobou/chikago.htm
《参考記事》
「地下壕訴訟、国に3500万円支払い命令 地裁立川支部 」 2010年11月29日14時1分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1129/TKY201011290263.html
「危険な地下壕、全国487カ所 陥没で死者・家屋被害も」朝日新聞http://www.asahi.com/housing/news/TKY201011260558.html
国土交通省の調べによると、全国の市街地には、地下壕が9850か所あり、崩落などの危険のある地下壕は487か所にのぼることがわかった。
地下壕は、戦時中、旧日本軍や、軍需工場、町内会などによって造られ、おもに防空壕として使われていた。
訴状などによると、2002年10月、男性の家の玄関に通じる階段が崩れ始め、その後庭が縦5メートル、横4メートル、深さ3メートルにわたって陥没し、二人の男性の家がそれぞれ2軒とも傾いた。二人は転居し、今も家に戻れていない。
周辺では1945年2月に旧陸軍航空本部が工場の疎開先として、総延長4.2キロの壕を着工し、約75%完成したところで終戦となった。二人の自宅の下にはいまでも、南北方向に壕が通っているという。
裁判では、原告側は、「国が地下壕を埋め戻すなどの対策を取らず放置したため崩落が起きた」と主張した。一方国側は「国は終戦で地下壕の占有権を失い、壕を管理しておらず、事故を回避すべき義務はない」と争っていた。
2005年には、鹿児島市で、防空壕の跡地にいた中学生4人が一酸化中毒で死亡、事故後、鹿児島市は、1千か所以上の防空壕の入口をコンクリートブロックでふさいだが、まだ約460か所が残っているという。
2000年には、鹿児島県の鹿屋市で県道が陥没して、看護師の女性が亡くなる事故が起き、遺族が国と県に賠償を求め、鹿児島地裁が国の責任を認め、約5600万円の支払いを命じた。
国交省と地方自治体は、1998年から2009年度、周囲に影響の出る恐れのある地下壕を中心に、195か所を埋め戻すなどしたが、新たに発覚する地下壕が後を絶たず、危険な地下壕がなかなかなくならないという。
国交省の担当者は、「地下壕の存在が発覚すると、不動産の評価額が目減りする可能性がある。地下壕があると知っていても、公表を嫌う地権者もいて、正確な数が把握できない」と話しているそうだ。
戦争が終わって65年もたつのに、防空壕が全国各地に存在し、危険と隣り合わせで生活している人がたくさんいることは驚きだった。裁判を提訴した日野市の男性らは「不動産取引の際に、地下壕などの存在を告知する義務を設けるべきだ」という。
早急に、壕を埋め戻すなどの対策を実施することが望まれると思う。
《参考》 国土交通省都市・地域整備局「特殊地下壕対策事業」について
http://www.mlit.go.jp/crd/city/sigaiti/tobou/chikago.htm
《参考記事》
「地下壕訴訟、国に3500万円支払い命令 地裁立川支部 」 2010年11月29日14時1分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1129/TKY201011290263.html
「危険な地下壕、全国487カ所 陥没で死者・家屋被害も」朝日新聞http://www.asahi.com/housing/news/TKY201011260558.html
2010年11月11日木曜日
バレリーナ森下洋子さん、広島名誉市民に
今年9月、広島市は、市議会で、デザイナーの三宅一生さん(広島市東区出身)と、世界的プリマバレリーナの森下洋子さんを名誉市民に決めた。
三宅さんは、7歳で被爆し、昨年ニューヨークタイムズ紙に被爆体験をつづった「閃光の記憶」を寄稿した。広島市は、三宅さんが核廃絶と世界恒久平和を願う「ヒロシマの心」を世界に広くアピールしたと評価した。
また、森下さんは、子どものころから体が弱かったため、医師に運動をすることを勧められ、3歳からバレエを始めた。平成9年には、文化功労者に選ばれるなど、日本を代表するバレリーナ。
その森下さんが、朝日新聞の連載「核なき世界へ~被爆国からのメッセージ」の中で、爆心地近くで被爆しひどい傷を負いながらも、明るく生きた祖母の思い出を語っている。
「(祖母は)79歳で亡くなるまで恨み言一つ漏らさなかった。命の重みと、苦しさを乗り越える人間の強さ、そして、原爆はあってはならないということを無言のうちに教えてくれました。」
「厳しいけいこを重ねながら精神の輝きを表現したいと願う原点には、一番身近な人から核兵器の恐ろしさを教えられた者として、人間を愛することの大切さ、平和への祈りを伝えねばという思いがあります。」(2010年11月3日付朝日新聞)
そして、森下さんは、オバマ大統領には、ぜひ、広島を訪れて今も苦しんでいる被爆者の人たちと向き合ってほしいとも語る。
ホワイトハウスによると、オバマ大統領は、11月12日に来日するが、「公式日程以外に時間がない」ため、広島・長崎には訪問しないという。
しかし、広島や長崎で、誰にも迷惑をかけないようにと誠実に生きてきたにちがいない人々の無念を心に深く刻み、核兵器をなくすことに全力をつくす、それが核なき世界を訴えて、ノーベル平和賞を受け取った人の責務ではないだろうか。
《参考記事》
「三宅一生さん、森下洋子さんを名誉市民に 広島市」 2010.9.28 20:02
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100928/lcl1009282008009-n1.htm
三宅さんは、7歳で被爆し、昨年ニューヨークタイムズ紙に被爆体験をつづった「閃光の記憶」を寄稿した。広島市は、三宅さんが核廃絶と世界恒久平和を願う「ヒロシマの心」を世界に広くアピールしたと評価した。
また、森下さんは、子どものころから体が弱かったため、医師に運動をすることを勧められ、3歳からバレエを始めた。平成9年には、文化功労者に選ばれるなど、日本を代表するバレリーナ。
その森下さんが、朝日新聞の連載「核なき世界へ~被爆国からのメッセージ」の中で、爆心地近くで被爆しひどい傷を負いながらも、明るく生きた祖母の思い出を語っている。
「(祖母は)79歳で亡くなるまで恨み言一つ漏らさなかった。命の重みと、苦しさを乗り越える人間の強さ、そして、原爆はあってはならないということを無言のうちに教えてくれました。」
「厳しいけいこを重ねながら精神の輝きを表現したいと願う原点には、一番身近な人から核兵器の恐ろしさを教えられた者として、人間を愛することの大切さ、平和への祈りを伝えねばという思いがあります。」(2010年11月3日付朝日新聞)
そして、森下さんは、オバマ大統領には、ぜひ、広島を訪れて今も苦しんでいる被爆者の人たちと向き合ってほしいとも語る。
ホワイトハウスによると、オバマ大統領は、11月12日に来日するが、「公式日程以外に時間がない」ため、広島・長崎には訪問しないという。
しかし、広島や長崎で、誰にも迷惑をかけないようにと誠実に生きてきたにちがいない人々の無念を心に深く刻み、核兵器をなくすことに全力をつくす、それが核なき世界を訴えて、ノーベル平和賞を受け取った人の責務ではないだろうか。
《参考記事》
「三宅一生さん、森下洋子さんを名誉市民に 広島市」 2010.9.28 20:02
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100928/lcl1009282008009-n1.htm
2010年8月15日日曜日
太平洋戦争中の空襲被害者、初の全国組織結成
14日、太平洋戦争中にアメリカ軍の空襲で、障害を負ったり、肉親を奪われたりした空襲の被害者がはじめて全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)を結成した。年内に被害者救済のための法律の案文をまとめるという。
太平戦争中、日本の各地でアメリカ軍によって軍需施設や工場などが爆撃された。アメリカ軍は、中小企業などは日本の軍需産業を支えているとして東京の下町などを目標にした爆撃を繰り返した。東京では、1944年11月以降106回の空襲をうけているという。無差別な爆撃は町工場だけでなく、下町一帯を焼き払い、多数の死傷者をだした。
とくに1945年3月10日の空襲は、木造建築ばかりの下町をおりからの北西の季節風があおって、炎のうずをつくり、逃げまどう市民を襲った。わずか1回の空襲で、被災者は100万人、死亡者・行方不明者は10万人を超えるという。日本全体では、東京新聞の集計(1994年) では、空襲による死者は558,863 人に上るという。
1952年以降、国は、旧軍人・軍属とその遺族には、総額約50兆円の恩給や年金などを支給してきた。しかし、民間人の空襲被害者については、これまでの訴訟などで「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍(我慢)しなければならない」と主張し、援護措置を講じていなかった。このため「法案」には、戦争を始めた国の責任として援護措置を取るよう明記する。
昨年12月、東京大空襲訴訟で、東京地裁は原告の請求を棄却、「戦争被害者救済は立法を通じて解決すべきだ」と指摘した。このため、国が被害者への援護を怠ってきたことにたいする謝罪と賠償を求めた東京大空襲の被害者は、全国の空襲被害者や遺族会、空襲を記録する会などに連絡組織の結成をよびかけ、法案の作成に取り組むことになった。
東京大空襲訴訟の弁護団の中山弁護士によれば、
「第2次世界大戦で同様に空襲被害を受けた欧州各国は、被害者補償制度を整備しており、被害を我慢せよという日本は特異。差別なき戦後補償を実現しなければ本当の民主主義国とは言えない」という。
戦争を始めた国の責任として国は被害を受けた人々に等しく救済の措置を講じ、被害者が平穏に安心して暮らせるように努めならなければならない。それでなくては戦争は終わったと言えないのだと思う。
《参考記事》
「大戦中の空襲被害者、初の全国組織 救済法の案文作成へ 」 2010年8月15日1時2分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY201008140295.html?ref=any
太平戦争中、日本の各地でアメリカ軍によって軍需施設や工場などが爆撃された。アメリカ軍は、中小企業などは日本の軍需産業を支えているとして東京の下町などを目標にした爆撃を繰り返した。東京では、1944年11月以降106回の空襲をうけているという。無差別な爆撃は町工場だけでなく、下町一帯を焼き払い、多数の死傷者をだした。
とくに1945年3月10日の空襲は、木造建築ばかりの下町をおりからの北西の季節風があおって、炎のうずをつくり、逃げまどう市民を襲った。わずか1回の空襲で、被災者は100万人、死亡者・行方不明者は10万人を超えるという。日本全体では、東京新聞の集計(1994年) では、空襲による死者は558,863 人に上るという。
1952年以降、国は、旧軍人・軍属とその遺族には、総額約50兆円の恩給や年金などを支給してきた。しかし、民間人の空襲被害者については、これまでの訴訟などで「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍(我慢)しなければならない」と主張し、援護措置を講じていなかった。このため「法案」には、戦争を始めた国の責任として援護措置を取るよう明記する。
昨年12月、東京大空襲訴訟で、東京地裁は原告の請求を棄却、「戦争被害者救済は立法を通じて解決すべきだ」と指摘した。このため、国が被害者への援護を怠ってきたことにたいする謝罪と賠償を求めた東京大空襲の被害者は、全国の空襲被害者や遺族会、空襲を記録する会などに連絡組織の結成をよびかけ、法案の作成に取り組むことになった。
東京大空襲訴訟の弁護団の中山弁護士によれば、
「第2次世界大戦で同様に空襲被害を受けた欧州各国は、被害者補償制度を整備しており、被害を我慢せよという日本は特異。差別なき戦後補償を実現しなければ本当の民主主義国とは言えない」という。
戦争を始めた国の責任として国は被害を受けた人々に等しく救済の措置を講じ、被害者が平穏に安心して暮らせるように努めならなければならない。それでなくては戦争は終わったと言えないのだと思う。
《参考記事》
「大戦中の空襲被害者、初の全国組織 救済法の案文作成へ 」 2010年8月15日1時2分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY201008140295.html?ref=any
2010年8月2日月曜日
核実験の被害語るビキニ環礁が世界遺産に
報道によると、31日ブラジルの首都ブラジリアで開かれていた世界遺産委員会は、マーシャル諸島の「ビキニ環礁」を世界遺産(文化遺産)に登録すると決めた。
「ビキニ環礁」などでは、冷戦時代の1946年から58年、アメリカが67回の核実験を実施した。水爆実験によるクレーターが残っている。
遺産委員会は「ビキニ環礁は、核実験の威力を伝えるうえできわめて重要な証拠が保存されている」と指摘したうえで、「環礁はその歴史を通じて、人類が核の時代に入ったことを象徴している」と評価しているそうだ。広島の原爆ドームに続き、核兵器の惨禍を伝える文化遺産となる。
54年に実施された水爆「ブラボー」の実験では、日本の第五福竜丸など、近海で操業していた漁船の乗組員23名も「死の灰」を浴び、被曝した。半年後に、この船の無線長だった久保山愛吉さんが亡くなっている。
「負の遺産」こそ記憶にとどめて、二度と同じ過ちをくりかえさないようにつとめることが大切だと思う。
《参考記事》
ビキニ環礁が世界遺産に 核実験の被害語る「負の遺産」 2010年8月1日23時1分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201008010235.html?ref=any
「ビキニ環礁」などでは、冷戦時代の1946年から58年、アメリカが67回の核実験を実施した。水爆実験によるクレーターが残っている。
遺産委員会は「ビキニ環礁は、核実験の威力を伝えるうえできわめて重要な証拠が保存されている」と指摘したうえで、「環礁はその歴史を通じて、人類が核の時代に入ったことを象徴している」と評価しているそうだ。広島の原爆ドームに続き、核兵器の惨禍を伝える文化遺産となる。
54年に実施された水爆「ブラボー」の実験では、日本の第五福竜丸など、近海で操業していた漁船の乗組員23名も「死の灰」を浴び、被曝した。半年後に、この船の無線長だった久保山愛吉さんが亡くなっている。
「負の遺産」こそ記憶にとどめて、二度と同じ過ちをくりかえさないようにつとめることが大切だと思う。
《参考記事》
ビキニ環礁が世界遺産に 核実験の被害語る「負の遺産」 2010年8月1日23時1分 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201008010235.html?ref=any
2010年8月1日日曜日
核廃絶への取り組み「政府に不満」86%
共同通信は、5月にニューヨークで行われた核拡散防止条約(NPT)再検討会議にあわせてニューヨークを訪れた被爆者を対象にアンケートを行った。その結果、核廃絶に向けた日本政府の取り組みに不満を持つ人が86%いることが分かった。6月、原爆展などに参加した被爆者76人にアンケートを実施、66人から回答得た。
被爆者が高齢化する中、被爆体験が継承されていくか不安を覚えている人が95%だという。
政府の核廃絶に向けた取り組みについての質問には、「取り組んできたとは言えない」が47%で「あまり取り組んできたとは言えない」が39%あった。
5月のNPT再検討会議には、当時の鳩山由紀夫首相と岡田克也外相はいずれも出席せず、批判や落胆の声が出たという。日本が唯一の被爆国として十分な責務を果たしていないのではと思う。オバマ米大統領が「核なき世界」の構想を語る中、日本政府にも、先頭に立って核廃絶に向けた取り組みを考えてほしい。
《参考記事》
「核廃絶「政府に不満」86% 被爆者アンケート」 2010/07/31 16:59 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010073101000398.html
被爆者が高齢化する中、被爆体験が継承されていくか不安を覚えている人が95%だという。
政府の核廃絶に向けた取り組みについての質問には、「取り組んできたとは言えない」が47%で「あまり取り組んできたとは言えない」が39%あった。
5月のNPT再検討会議には、当時の鳩山由紀夫首相と岡田克也外相はいずれも出席せず、批判や落胆の声が出たという。日本が唯一の被爆国として十分な責務を果たしていないのではと思う。オバマ米大統領が「核なき世界」の構想を語る中、日本政府にも、先頭に立って核廃絶に向けた取り組みを考えてほしい。
《参考記事》
「核廃絶「政府に不満」86% 被爆者アンケート」 2010/07/31 16:59 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010073101000398.html
2010年7月28日水曜日
8月の広島平和式典へ、駐日アメリカ大使らが出席
報道によると、8月6日に、広島市で開かれる原爆死没者慰霊式・平和祈念式に、アメリカのルース駐日大使が出席する方向であることを、日本政府関係者が明らかにした。
実現すれば、アメリカの駐日大使としては、はじめての平和式典参加となる。
昨年4月のプラハでの演説以来、オバマ大統領は核廃絶・核軍縮を訴えてきたが、ルース駐日大使の出席はその決意をあらわすものと思われる。
また、昨年10月、ルース氏は広島市の原爆ドームや原爆資料館を視察しており、「深く感動した」と、その印象を語っているという。
1998年以降、広島市は核保有国に式典への出席を要請してきており、今年は、アメリカ、イギリス、フランスも出席、アメリカ・フランスを除いても過去最多の67カ国が代表を送る。
潘基文(パンギムン)氏も国連事務総長として初めて、今年の広島の式典に出席する予定で、26日、27日から開かれる国際会議「2020核廃絶広島会議」(国際NGO・平和市長会議と広島市主催)に向け、「確実に核兵器使用を防ぐには、核兵器の全廃しかない」とするメッセージを出している。
5月に国連本部で開かれたNPT(核不拡散条約)会議では10年ぶりに最終文書を採択した。また、昨年オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞するなど、世界的に核軍縮・不拡散の機運がもりあがってきているといえる。
各国の代表には、平和式典で亡くなった人の冥福を祈るだけではなく、核廃絶へ の決意を示してほしいと思う。
《参考記事》
「ルース米大使が初出席へ 8月の広島平和式典」 【ワシントン共同】 2010/07/28 13:30
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072801000230.html
「『核兵器使用防ぐには全廃しかない』国連事務総長」 2010年7月27日11時28分
http://www.asahi.com/special/npr/TKY201007270205.html
実現すれば、アメリカの駐日大使としては、はじめての平和式典参加となる。
昨年4月のプラハでの演説以来、オバマ大統領は核廃絶・核軍縮を訴えてきたが、ルース駐日大使の出席はその決意をあらわすものと思われる。
また、昨年10月、ルース氏は広島市の原爆ドームや原爆資料館を視察しており、「深く感動した」と、その印象を語っているという。
1998年以降、広島市は核保有国に式典への出席を要請してきており、今年は、アメリカ、イギリス、フランスも出席、アメリカ・フランスを除いても過去最多の67カ国が代表を送る。
潘基文(パンギムン)氏も国連事務総長として初めて、今年の広島の式典に出席する予定で、26日、27日から開かれる国際会議「2020核廃絶広島会議」(国際NGO・平和市長会議と広島市主催)に向け、「確実に核兵器使用を防ぐには、核兵器の全廃しかない」とするメッセージを出している。
5月に国連本部で開かれたNPT(核不拡散条約)会議では10年ぶりに最終文書を採択した。また、昨年オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞するなど、世界的に核軍縮・不拡散の機運がもりあがってきているといえる。
各国の代表には、平和式典で亡くなった人の冥福を祈るだけではなく、核廃絶へ の決意を示してほしいと思う。
《参考記事》
「ルース米大使が初出席へ 8月の広島平和式典」 【ワシントン共同】 2010/07/28 13:30
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072801000230.html
「『核兵器使用防ぐには全廃しかない』国連事務総長」 2010年7月27日11時28分
http://www.asahi.com/special/npr/TKY201007270205.html
2010年2月5日金曜日
原爆投下から63年、PTSD続く
報道によると、広島市が2008年に行った住民アンケートから、原爆投下から63年たっても、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱える人が1~3%いることがわかり、専門家によれば、調査までに亡くなった被爆者の有病率はもっと高かったはずだという。
調査対象は原爆投下前に生まれた市民約3万7千人で、有効回答者2万7千人のうち、記憶が明確と思われる当時7歳以上の人に、臨床心理士が追加面談した。09年3月までに486人分の回答を得たという。
《記事》
被爆63年後もPTSD 広島、体験者の1―3% '10/1/25
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201001250251.html
調査対象は原爆投下前に生まれた市民約3万7千人で、有効回答者2万7千人のうち、記憶が明確と思われる当時7歳以上の人に、臨床心理士が追加面談した。09年3月までに486人分の回答を得たという。
《記事》
被爆63年後もPTSD 広島、体験者の1―3% '10/1/25
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201001250251.html
2010年1月11日月曜日
もっとも古い原爆の漫画、資料展で公開
1957年の1年間、原爆をテーマにした漫画が少女雑誌に掲載されていたことがわかり、掲載誌を見つけた広島平和記念資料館では、資料展が開かれているそうだ。漫画家は、原爆で父を失った谷川一彦さんで、漫画は「星はみている」という題で、雑誌「なかよし」に連載された。
中沢啓治さんの「はだしのゲン」よりも、16年早く、原爆を扱った漫画としては、もっとも古いのではないかということ。原爆の恐ろしさを子どもらに伝えたいという思いが伝わってくるという。資料展は、原爆資料館で31日まで展示。
《記事》
「ゲン」より早く…原爆描いた幻の漫画、広島で資料展示
(2010年1月6日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100106-OYO1T00950.htm?from=main2
中沢啓治さんの「はだしのゲン」よりも、16年早く、原爆を扱った漫画としては、もっとも古いのではないかということ。原爆の恐ろしさを子どもらに伝えたいという思いが伝わってくるという。資料展は、原爆資料館で31日まで展示。
《記事》
「ゲン」より早く…原爆描いた幻の漫画、広島で資料展示
(2010年1月6日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20100106-OYO1T00950.htm?from=main2
2009年10月4日日曜日
シベリア抑留全体像の解明へ新資料
今年7月、シベリアなど旧ソ連に抑留された日本の軍人や軍属、民間人ら約70万人分を記録した新資料が、モスクワのロシア国立軍事公文書館に保管されていることが確認された。
日本政府は、資料内容の提供のしかたなど、ロシア側と調整を進めている。第2次世界大戦後、シベリアに抑留者された日本人の数や死者数、死亡した時期や埋葬地など、空白を埋めることにつながるとされている。
戦後64年を経てなお、明らかになる事実がある。なるべく早くご遺族に、亡くなった方に関する情報が提供されるとよいと思う。
《参考記事》
シベリア抑留、75万枚の証し 個人カードをロシア公開 2009年9月8日0時29分
http://www.asahi.com/national/update/0906/TKY200909060236.html
日本政府は、資料内容の提供のしかたなど、ロシア側と調整を進めている。第2次世界大戦後、シベリアに抑留者された日本人の数や死者数、死亡した時期や埋葬地など、空白を埋めることにつながるとされている。
戦後64年を経てなお、明らかになる事実がある。なるべく早くご遺族に、亡くなった方に関する情報が提供されるとよいと思う。
《参考記事》
シベリア抑留、75万枚の証し 個人カードをロシア公開 2009年9月8日0時29分
http://www.asahi.com/national/update/0906/TKY200909060236.html
2009年8月23日日曜日
核廃絶をめざす「平和市長会議」、加盟366都市へ
広島、長崎両市が主導する国際NGO「平和市長会議」に加盟する市町村が急増しているという。
昨年2月に国内でも加盟できるようになって、1年半で364都市が加わり、広島長崎も含め366都市になった。全市町村の20%にあたる。
82年に、当時の荒木広島市長が、国連軍縮会議で、核廃絶に向けて世界の都市が国を越えて連帯しようと呼びかけ、総会を4年ごとに開いている。国内では366都市、国外では134の国・地域で3047都市が加盟しており、今月7日から10日に長崎で7回目の総会が開かれた。
平和市長会議は2020年までに世界の核兵器をなくすという「2020ビジョン」を出しており、そのために具体的な道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、来年5月の核不拡散条約再検討会議で、採択させたいとしている。
今年4月、オバマ大統領はプラハで、「核のない世界」の実現に向けて、アメリカが包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准することをめざし、核兵器原料の生産を停止する新条約交渉など、具体的な施策に取り組むと表明した。
このように、世界的に核廃絶の機運が高まってきている中、唯一の被爆国である日本で、核兵器をなくし平和な世界をめざす市町村が増えてほしいものだ。
《参考記事》
平和市長会議、国内加盟が急増 全市町村の20% (朝日新聞 枝松佑樹、加戸靖史)
http://www.asahi.com/politics/update/0817/SEB200908170010_01.html
昨年2月に国内でも加盟できるようになって、1年半で364都市が加わり、広島長崎も含め366都市になった。全市町村の20%にあたる。
82年に、当時の荒木広島市長が、国連軍縮会議で、核廃絶に向けて世界の都市が国を越えて連帯しようと呼びかけ、総会を4年ごとに開いている。国内では366都市、国外では134の国・地域で3047都市が加盟しており、今月7日から10日に長崎で7回目の総会が開かれた。
平和市長会議は2020年までに世界の核兵器をなくすという「2020ビジョン」を出しており、そのために具体的な道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を、来年5月の核不拡散条約再検討会議で、採択させたいとしている。
今年4月、オバマ大統領はプラハで、「核のない世界」の実現に向けて、アメリカが包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准することをめざし、核兵器原料の生産を停止する新条約交渉など、具体的な施策に取り組むと表明した。
このように、世界的に核廃絶の機運が高まってきている中、唯一の被爆国である日本で、核兵器をなくし平和な世界をめざす市町村が増えてほしいものだ。
《参考記事》
平和市長会議、国内加盟が急増 全市町村の20% (朝日新聞 枝松佑樹、加戸靖史)
http://www.asahi.com/politics/update/0817/SEB200908170010_01.html
2009年8月21日金曜日
軍票や旧日銀券など87万件が未返還
報道によると、終戦後、戦地など海外から引き揚げてきた人から全国の税関が徴収した通貨や証券など、返還されていないものが、87万件(約27万人分)にのぼるという。
旧日銀券や国債や株券などのほか、大学の卒業証書なども含まれているそうだ。
税関は、「保管証がなくても、上陸地や名前がわかれば全国の税関に照会できるので、心当たりのある人は連絡をしてほしい」と呼びかける。
税関によると、GHQ(連合国軍総司令部)は、インフレ抑制のために、海外から引き揚げてきた軍人や民間人は帰国の際、一定額以上の通貨や証券類を強制的に保管させられたり、在外公館などに寄託させられたりしたという。
税関は1953年から、返還を始めたが、未返還のものが87万件にのぼる。旧日銀券などは換金できないが、遺品として持ち帰る人が多いという。
問い合わせは、全国の税関。問合せ先など、詳細は税関のホームページ
http://www.customs.go.jp/news/hokanshoken/index_shoken.htm
(2009年8月20日 日本経済新聞記事から)
旧日銀券や国債や株券などのほか、大学の卒業証書なども含まれているそうだ。
税関は、「保管証がなくても、上陸地や名前がわかれば全国の税関に照会できるので、心当たりのある人は連絡をしてほしい」と呼びかける。
税関によると、GHQ(連合国軍総司令部)は、インフレ抑制のために、海外から引き揚げてきた軍人や民間人は帰国の際、一定額以上の通貨や証券類を強制的に保管させられたり、在外公館などに寄託させられたりしたという。
税関は1953年から、返還を始めたが、未返還のものが87万件にのぼる。旧日銀券などは換金できないが、遺品として持ち帰る人が多いという。
問い合わせは、全国の税関。問合せ先など、詳細は税関のホームページ
http://www.customs.go.jp/news/hokanshoken/index_shoken.htm
(2009年8月20日 日本経済新聞記事から)
2009年8月7日金曜日
原爆投下から64年、原爆症の認定へ
広島に、原子爆弾が落とされてから、64年がたった。被爆された方々の平均年齢が75.92歳と高齢化が進む中、ようやく、被爆した方々の原爆症認定がなされる。
原爆症認定裁判の提訴からでも、6年4か月もの歳月が流れた。その間にも、どれだけ多くの方々が亡くなったことだろうか。この1年で死亡が確認された、広島での被爆者の方は5635人、原爆死没者は、合計26万3945人になる。
アメリカのオバマ大統領は、世界中から核兵器をなくしていきたいと語っている。あらゆる国の政府には、核兵器によって、自分に都合よく戦争を終わらせようとするのではなく、話し合いによって、国と国との間の問題を解決する道を探ってほしい。
また、日本政府は、世界で唯一原子爆弾を投下された国として、世界に原子爆弾の悲惨さを訴え、核兵器の根絶を訴えていってほしい。
《参考記事》
「何十歩も前進」「仲間亡くなった」原爆症訴訟で調印 2009年8月6日20時33分
http://www.asahi.com/national/update/0806/OSK200908060068.html
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