11月6日、JR東海道線塚本尼崎間の線路で負傷した中学生を救助していた救急隊員が、運転再開を知らされず、後続の特急に撥ねられて亡くなった二重事故から7年が経った。
当時JR西日本には、人身事故が発生した時の対応マニュアルがなく、現場を監視していた同社社員と同社運転指令所との連絡が不十分で、運転指令所が現場の状況を正確に把握しないまま、運行再開を指示したことが原因の一つであるとされた。
事故から4年後の2006年11月、現場には、亡くなった救急隊員中沢良夫さん(当時28歳)の慰霊碑が、中沢さんの両親の働きかけで、JR西日本によって建てられた。
中沢さんの尊い命が無駄にならないよう、JR西は安全対策に十分論議を尽くして、会社全体で取り組んでほしい。
《事故当時の記事》
大阪の東海道線二重事故、救急隊員に運転再開伝えず(読売新聞) 2002 年 11 月 07 日 http://www.yomiuri.co.jp/04/20021107ic07.htm
0 件のコメント:
コメントを投稿