2014年4月30日水曜日

遮断機のない踏切で事故調査~JR飯田線湯沢踏切

 報道によると、4月12日、午後1時15分ころ、長野県飯田市座光寺にあるJR飯田線元善光寺―伊奈上郷(いなかみさと)駅間の遮断機のない湯沢踏切で、トラクターに乗って踏切を渡っていた男性(77歳)が、天竜峡発茅野行き普通列車(2両)に撥ねられて亡くなった。
 電車の運転士は、踏切の手前100mほどのところで、トラクターに気付き非常ブレーキをかけたが、間に合わず、踏切を140mほど過ぎて停車した。

 運輸安全委員会は、今年4月から遮断機のない踏切で起きた死亡事故全てを、事故調査対象に加えたが、その調査の新しいルールをこの事故に初めて適用。鉄道事故調査官2名を13、14日、現地に派遣した。
 
 4月29日、諏訪市の踏切で次男を亡くされた遺族と湯沢踏切を訪ねた。
湯沢踏切の元善光寺駅寄り100mほどのところには警報機・遮断機の設置された第1種踏切がある。また、伊奈上郷駅寄り150mほどのところにも、第1種踏切が設置されている。

 湯沢踏切では、木道でレールをはさんでいるが、その前後は大きな砂利が敷かれていた。
 亡くなった男性は、写真のこちら側から、向こうへ渡っていたようだ。入口からななめに踏切に入るのは、渡りにくい。ましてトラクターなどが砂利の上をななめに入っていくのは、バランスをくずし、倒れたりしないかと思った。(写真1)
 踏切の路面は、レールの前後入口付近は、砂利が敷かれており、舗装されていなかった。私たちが歩いても歩きにくかった。(写真2)

 
  写真1  飯田市座光寺にある湯沢踏切。踏切の入り口から
  線路まではななめに入らねばならない。2014年4月29日撮影


       写真2  線路の周りには砂利が敷かれていた。2014年4月29日撮影
 
湯沢踏切から、電車の来た方角を見る。急カーブで、
登り坂になっている。             2014年4月29日

 列車の来た方は、左にカーブして登り坂になっており、踏切を渡る人からすると、草なども繁っていて近付く電車が見えにくい。電車の運転士からも、湯沢踏切が見えるのは、120~130mくらい手前まで近付いてからではないだろうか。それから、ブレーキをかけても踏切手前で安全に停止することはできない。
  また、この踏切はカーブの終わりあたりにあるせいか、カーブの外側が内側よりも少し高くなっており、男性が渡りはじめた側は、段差がある。踏切に入ろうすると砂利がある上に、木道がすこし高くなっているのだ。
 湯沢踏切の前後には第1種踏切が2か所あるが、電車が近付くと、この前後の踏切の警報機が鳴りだす。しかし、遮断機が降り切ると二つの踏切の警報機の音が小さくなった。そのため、電車が来るのが分からなくなる。こういう時に、この踏切に差し掛かると、通行者は電車がくるのがわからないのではないだろうか。
 第4種踏切の手前では、電車が近付いていることを通行者に知らせるため、運転士は踏切手前で警笛を鳴らした方がよいと思う。

 また、この湯沢踏切は、報道によると、車両通行禁止だそうだが、実際は農作業のために、トラクターに乗って渡る人もいるだろう。車両全面通行禁止にするなら、踏切道の真ん中にポールなどを立てるべきだ。

 昨年度まで、踏切やホームでの事故は、①死傷者が5名以上であること、②鉄道係員の取り扱い誤りまたは車両や鉄道施設の故障などが原因と思われるものでないと、運輸安全委員会の調査対象にはならなかった。
 踏切事故の調査報告書が出されているのは、平成20年に運輸安全委員会が発足してから平成24年度までに、わずか5件である。因みに、平成20年から24年までに、踏切死亡事故は、599件起きている。
 今回、運輸安全委員会の事故調査対象が拡大され、危険な第3種・4種踏切の死亡事故が調査されることになった。事故調査されることで、事故の事実、原因が明らかになり、踏切事故が減ることに役立つものと思う。今後の運輸安全委員会の事故調査に期待したいと思う。

 最後になりましたが、踏切で亡くなられた男性のご冥福をお祈りいたします。

《参考》
運輸安全委員会ホームページ 
調査中の案件については「鉄道事故の概要」
http://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/railway/detail2.php?id=1855
《参考記事》
「運輸安全委 新ルールで調査へ 踏切事故で男性死亡」(2014年4月12日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/532960.html
「踏切事故遺族の会 飯田を訪問 国の調査対象拡大受け」(2014年4月30日)
http://www.shinmai.co.jp/news/20140430/KT140429FTI090036000.php

2014年4月13日日曜日

福知山線脱線事故から9年~追悼のつどい

 2005年4月25日、JR福知山線尼崎駅近くのカーブで、快速電車が転覆脱線、線路横のマンションに激突し、107人が亡くなり、562人が負傷した。
 
   あれから、9年がたとうとしている。
 しかし、大切な家族を失った遺族や友人、負傷した方々の苦しみや悲しみは、いまだに癒えることはない。

 今年も、事故現場から遠くないアルカイックホールで「追悼と安全のつどい」が開かれる。
 脱線事故の遺族の中では、事故を起こしたJR西日本と、今後の鉄道事業の安全に向けた取り組みについて、検討を続けてきた。

 「つどい」では、その2年間のまとめと到達点が語られる。
 














































2014年4月4日金曜日

七回忌を迎えたJR大糸線豊科の保健所裏踏切

 6年前の2008年3月30日朝8時50分ころ、26才の男性が、出勤途中、自転車で踏切を渡ろうとして、スーパーあずさ6号に撥ねられて亡くなった。
 この年は、3月にここ豊科で、5月には武津踏切で中学1年生が、6月にはお年寄りが、スーパーあずさに撥ねられて亡くなる事故が続いた。

 事故当時は、この踏切に警報機や遮断機がなく、自動車の進入を防ぐポールも立っていなかった。写真を見ると路面が悪いのがわかる。男性は、音楽を聴くのが好きで、携帯で音楽を聴きながら出勤、踏切を自転車で渡っていたという。
 アルプスの風景に溶け込むうす紫の車体、静かな走りをするスーパーあずさは、鉄道ファンにとっては憧れの特急かもしれない。
 しかし、警報機や遮断機のない踏切を通行する者からすれば、それは、見分けにくい、接近がわかりにくい電車でもあるのではないか。
男性が亡くなった当時の保健所裏踏切  
路面が悪く、自動車の進入防止のポールもない。
            2008年3月30日  「市民タイムス」提供
  男性が亡くなった事故から、4年経った2012年6月、男性の母親が、踏切を訪れると、工事が進められていた。母親が、工事関係者とみられる男性に何の工事かたずねると、踏切に警報機と遮断機を設置する工事だという。
 
 母親によると、工事関係者は、「ここの踏切は危険だから、工事をしている」と話したという。
「そうか、ここは、危険な踏切だったのだ」と、母親は思った。それなら、なぜ、もっと早く、事業者は踏切に警報機や遮断機をつけてくれなかったのだろう。事故が起きた時は、踏切を渡った息子が悪いとばかりに、遺族である自分に損害賠償の請求書まで送ってきたのに…

 その上、第1種踏切(警報機・遮断機とも有り)にする工事について、鉄道事業者から、遺族である母親へ、連絡があったわけでもない。偶然、母親が工事の現場に行って、工事関係者と話ができたのだ。

 母親が、何年も何度も踏切に通い、「息子よ安らかに…」と呼びかけ、「踏切事故が無くなりますように…」と願ってきたその場が、安全対策が進められ改善されるということを、なぜ、事業者は一言も、母親に連絡しないのだろうか?

   安曇野市豊科にある保健所裏踏切
              2014年3月30日撮影
私たちは、今年、男性の事故から6年たち七回忌を迎えた踏切に、花たばを持って、訪ねてみた。

 自動車やオートバイの進入禁止を示す看板や遮断機の色が、真新しく清々しく見える。警報機のランプが丸型で、いろいろな方向から点滅するのが見えるようになっている。

 
 当時、男性は、一人暮らしをする母親を心配して、母親と、事故の4カ月前に同居し始めたばかりだった。
 男性が健在ならば、子煩悩なお父さんになっていたかもしれないと思うのは私ばかりではない。

 私たちは、突然、踏切事故で亡くなった大切な人のことを片時も忘れることができない。亡くなった人に伝えたかった言葉、感謝の言葉や労いの言葉が胸の中から、溢れそうになる。
 涙とともに、大切な人を救えなかった後悔の念があふれて、心の奥深くに沈んでいくのを苦しく見つめ、でも、自然にまかせることしかできない。
 
 いつか、心の奥に沈めた亡き人への思いが、形を変えて、私たちを動かす力になることを信じて…