報道によると、11月29日、太平洋戦争中、旧日本軍が造った地下壕が崩れて住宅が陥没して住めなくなった男性2人が、国に家の修理費用や慰謝料などの損害賠償をもとめていた訴訟の判決があった。東京地裁立川支部は、判決で「家の陥没は国が地下壕の安全対策を怠ったため」として、国の責任を認め、約3500万円を男性らに支払うよう命じた。
国土交通省の調べによると、全国の市街地には、地下壕が9850か所あり、崩落などの危険のある地下壕は487か所にのぼることがわかった。
地下壕は、戦時中、旧日本軍や、軍需工場、町内会などによって造られ、おもに防空壕として使われていた。
訴状などによると、2002年10月、男性の家の玄関に通じる階段が崩れ始め、その後庭が縦5メートル、横4メートル、深さ3メートルにわたって陥没し、二人の男性の家がそれぞれ2軒とも傾いた。二人は転居し、今も家に戻れていない。
周辺では1945年2月に旧陸軍航空本部が工場の疎開先として、総延長4.2キロの壕を着工し、約75%完成したところで終戦となった。二人の自宅の下にはいまでも、南北方向に壕が通っているという。
裁判では、原告側は、「国が地下壕を埋め戻すなどの対策を取らず放置したため崩落が起きた」と主張した。一方国側は「国は終戦で地下壕の占有権を失い、壕を管理しておらず、事故を回避すべき義務はない」と争っていた。
2005年には、鹿児島市で、防空壕の跡地にいた中学生4人が一酸化中毒で死亡、事故後、鹿児島市は、1千か所以上の防空壕の入口をコンクリートブロックでふさいだが、まだ約460か所が残っているという。
2000年には、鹿児島県の鹿屋市で県道が陥没して、看護師の女性が亡くなる事故が起き、遺族が国と県に賠償を求め、鹿児島地裁が国の責任を認め、約5600万円の支払いを命じた。
国交省と地方自治体は、1998年から2009年度、周囲に影響の出る恐れのある地下壕を中心に、195か所を埋め戻すなどしたが、新たに発覚する地下壕が後を絶たず、危険な地下壕がなかなかなくならないという。
国交省の担当者は、「地下壕の存在が発覚すると、不動産の評価額が目減りする可能性がある。地下壕があると知っていても、公表を嫌う地権者もいて、正確な数が把握できない」と話しているそうだ。
戦争が終わって65年もたつのに、防空壕が全国各地に存在し、危険と隣り合わせで生活している人がたくさんいることは驚きだった。裁判を提訴した日野市の男性らは「不動産取引の際に、地下壕などの存在を告知する義務を設けるべきだ」という。
早急に、壕を埋め戻すなどの対策を実施することが望まれると思う。
《参考》 国土交通省都市・地域整備局「特殊地下壕対策事業」について
http://www.mlit.go.jp/crd/city/sigaiti/tobou/chikago.htm
《参考記事》
「地下壕訴訟、国に3500万円支払い命令 地裁立川支部 」 2010年11月29日14時1分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/1129/TKY201011290263.html
「危険な地下壕、全国487カ所 陥没で死者・家屋被害も」朝日新聞http://www.asahi.com/housing/news/TKY201011260558.html
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