2010年8月15日日曜日

太平洋戦争中の空襲被害者、初の全国組織結成

 14日、太平洋戦争中にアメリカ軍の空襲で、障害を負ったり、肉親を奪われたりした空襲の被害者がはじめて全国組織「全国空襲被害者連絡協議会」(全国空襲連)を結成した。年内に被害者救済のための法律の案文をまとめるという。

 太平戦争中、日本の各地でアメリカ軍によって軍需施設や工場などが爆撃された。アメリカ軍は、中小企業などは日本の軍需産業を支えているとして東京の下町などを目標にした爆撃を繰り返した。東京では、1944年11月以降106回の空襲をうけているという。無差別な爆撃は町工場だけでなく、下町一帯を焼き払い、多数の死傷者をだした。
 とくに1945年3月10日の空襲は、木造建築ばかりの下町をおりからの北西の季節風があおって、炎のうずをつくり、逃げまどう市民を襲った。わずか1回の空襲で、被災者は100万人、死亡者・行方不明者は10万人を超えるという。日本全体では、東京新聞の集計(1994年) では、空襲による死者は558,863 人に上るという。

 1952年以降、国は、旧軍人・軍属とその遺族には、総額約50兆円の恩給や年金などを支給してきた。しかし、民間人の空襲被害者については、これまでの訴訟などで「戦争で受けた損害を国民は等しく受忍(我慢)しなければならない」と主張し、援護措置を講じていなかった。このため「法案」には、戦争を始めた国の責任として援護措置を取るよう明記する。

 昨年12月、東京大空襲訴訟で、東京地裁は原告の請求を棄却、「戦争被害者救済は立法を通じて解決すべきだ」と指摘した。このため、国が被害者への援護を怠ってきたことにたいする謝罪と賠償を求めた東京大空襲の被害者は、全国の空襲被害者や遺族会、空襲を記録する会などに連絡組織の結成をよびかけ、法案の作成に取り組むことになった。

 東京大空襲訴訟の弁護団の中山弁護士によれば、
「第2次世界大戦で同様に空襲被害を受けた欧州各国は、被害者補償制度を整備しており、被害を我慢せよという日本は特異。差別なき戦後補償を実現しなければ本当の民主主義国とは言えない」という。

 戦争を始めた国の責任として国は被害を受けた人々に等しく救済の措置を講じ、被害者が平穏に安心して暮らせるように努めならなければならない。それでなくては戦争は終わったと言えないのだと思う。

《参考記事》
「大戦中の空襲被害者、初の全国組織 救済法の案文作成へ 」  2010年8月15日1時2分朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0814/TKY201008140295.html?ref=any

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