事故のあったあの日と同じように、晴れた25日の朝、事故現場には、遺族や被害に遭われた方々、JR西の社員らが訪れた。事故のあった時刻の直前、現場カーブでは、満員の通勤客を乗せた快速電車がゆっくりと通過し、長い警笛を鳴らしたという。
報道によると、現場近くのホールで、JR西日本主催の追悼慰霊式が行われ、事故の遺族や負傷された方々1100人が参加した。今年は、遺族らによる「慰霊のことば」は希望者がなかったという。
午後は、遺族や負傷者らが主催する「追悼と安全のつどい」が開かれた。遺族とJR西日本は共同で、より安全な鉄道を目指して、検討会を重ねてきた。今年3月には、「安全フォローアップ会議」を立ち上げ、初会合を開いた。また、今回の「つどい」では、参加者からフォローアップ会議に対する意見や要望も募った。
会場からは、日航ジャンボ機墜落事故で次男を亡くした美谷島邦子さんが、長い年月空の安全をもとめて活動してきたことをふまえ、被害者と企業の対話から、安全が生まれることを訴えていた。
また、事故で妻と妹を失い、娘さんが大けがをした浅野弥三一さんが、「遺族だけで閉じこもらず、体験したことを社会に発信し、事業者の姿勢を変えていく。その先頭に自分たちは立つべきだ。」と語っていたのが強く印象に残った。
最後になりましたが、事故で負傷された方々が少しでも早く回復され、日常の生活に戻れることをねがっています。
そして、亡くなられた方々のご冥福を心より祈ります。
《参考記事》
「JR宝塚線脱線事故から7年 現場近くで追悼慰霊式」朝日新聞4月25日
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