昨年、天童荒太氏の「悼む人」が直木賞を受賞した。
主人公坂築静人(さかつきしずと)は、亡くなった人を悼む旅を続けている。小説のはじめ、彼は何ものなのかわからない。彼が行く先々で出会うさまざまな人々との関わりを通して、次第に彼の不可解な行動の意味が明らかになっていく。
天童氏は、小説「悼む人」を書くにあたって、主人公の「日々体験する苦悩や葛藤、喜びなどを、わが事として感得しないと、その存在を読者に伝えることは難しいだろう」と、主人公坂築静人の日記をつけることにした。
「亡くなった人を、誰かれの区別なく、誰を愛し、誰に愛され、どんなことをして人に感謝されたか、ということを覚えつづける……悼む人。このうき世離れした人物を表現したい」と、天童氏は、一日一度、彼と同化する時間をつくることを決める。そして、報道で知りえた人や、想像上の人物を悼み、仮想の現場で起きた事柄や出会った人のことや、心にわきたつ感情を写しとるという作業を三年間つづけた。
精神的な負担が大きく、ときには続けられるかと疑問に思ったが、夜空に光る流れ星に励まされることもあって、三年間主人公の日記を書き続けた。
この坂築静人の日記は、当初発表する予定はなかったが、さまざまな死の有りようと遺族の一様ではないかたち、そして「静人と彼らとの出会いによるきしみなり変化なりを」読者に感じ取ってもらいたいと思い、発表することにしたという。(以上は、天童荒太著「静人日記」の「謝辞」から)
200編余りからなる日記の中には、主人公がさまざまな死と巡り合い、人にたずねたりして、事故や事件の現場に行ったことが書かれている。2006年3月20日の日記には、ある踏切で亡くなった54歳の女性のことが書かれていた。
その女性は、日ごろ舅の看病をしていた。脳が萎縮する病気を患った舅は、歩けなくなり、気短になり、彼女を呼んでもすぐに彼女が来ないと、怒鳴ったり、苛立って食卓の盆をひっくり返すようになった。
舅を病院に付き添って、診察が終わり家に帰ると、舅の薬を薬局に取りに行かねばならない。いつも行く薬局は、その日、臨時休業で、彼女は遠くの薬局に行った。
案の定、薬を手に入れるのに時間がかかった。ふだん通ったことのない踏切は、その日、電車が通らないのになかなか開かなかった。早く帰りたくて急いていた彼女は、遮断機をくぐって横断し始めた。そこへ、急行電車が来て、彼女は撥ねられた。
ターミナル駅に近い、線路が何本も通るその踏切は、高圧線の鉄塔のせいで、見通しの悪いところがある。主人公が、踏切が開くのを待っていると、30分近く待たされた。ようやく開いた踏切を、主人公は、思いを込めて渡ったと、日記にある。
東京の開かずの踏切でも、踏切で女性が亡くなるという事故があった。
2005年10月12日、京浜東北線・東海道本線の大森駅蒲田駅間にある開かずの踏切で、高齢の女性一人が亡くなり、女性一人が重傷をおうという事故が起きた。人身事故のよるダイヤの乱れが原因で、1時間以上遮断機が下りた状態が続き、踏切では「こしょう」(故障)という表示が出ていた。
JR東日本によると、踏切の故障でなくても、遮断機が30分以上下りていた場合は、自動的に「こしょう」と表示されることになっているという。そのため、なかなか開かない踏切に困惑した通行者が踏切をくぐって渡ったと見られている。
事故当時、この表示のせいで、踏切の通行者が、踏切が故障して遮断機が開かないと誤解し、踏切を渡ったのではないかという指摘が専門家などから出され、JR東日本は踏切の表示を改善した。
また、2006年3月東海道本線の三河大塚駅・三河三谷駅間の踏切でも同じような事故が起きたという。これらの事故を受けて、国土交通省は全国の鉄道事業者に対して「こしょう」の表示を廃止するよう指示した。
無謀と思われた行動の裏にあった事情や、踏切が抱えていた問題に深く思いを巡らして下さった「静人日記」の作者と同じ想像力が、安全対策を担当する人にもほしい、とまではいわない。
しかし、せめて、列車が走る現場の安全対策を、踏切を渡らなくてはならない通行者の立場からも、検討する努力をしてくださっていたら、蒲田のような事故は防げていたのではないかと、つい思ってしまう。
《参考》
「静人日記」天童荒太著、2009年文芸春秋刊
《参考記事》
「昨日のJR京浜東北線・踏切内人身事故と昨年の六本木・自動回転ドア事故の意外な接点」
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL_LEAF/20051013/109631/
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