事故のあった3月、JR東はダイヤ改正で、スーパーあずさの大糸線乗り入れを始めた。しかし、住民の中には、スーパーあずさの乗り入れが十分周知されていなかったのではないだろうか?走る音も静かで、車体の色も薄紫のあずさは風景に溶け込んで美しい。しかし、踏切を通行する人は、この列車の接近に気付きにくかったのではないだろうか?また、列車の来た方向には、電柱やフェンスがあって、列車が来るのが見えにくかったのではないかと感じた。
事故の後、踏切の路面が整備され、停止線が書かれるなど、踏切道として改善された。
踏切からスーパーあずさの来た方向を見る。 (2009年4月5日撮影)
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線路わきで警備をしている警備員にたずねたところ、「この踏切は危険だから、遮断機や警報機をつけることになった」と話していたという。
鉄道事業者から踏切事故の遺族に、踏切が改善されるという連絡が来るわけではない。いつも、現場の踏切がどうなったかと、注意して見ていないと、改善されたかどうかは、わからない。
しかし、大切な人が亡くなった場所に何度も行かれる人ばかりではない。遺族が、踏切から遠くへ転居してしまうこともあるし、何よりも大切な人が亡くなった悲惨な事故の現場には、なかなか足を運べるものではない。辛い記憶がよみがえるからだ。
だから、踏切が改善されたかどうか、何度も足を運ぶことは辛いことである。でも、遺族は大切な人が亡くなった事故の原因等が分析されることで、少しでも、同種の事故の再発防止に役立ったかどうかを知りたい。
事故調査がされないので、どんなことが原因で踏切内にいて亡くなったのかもわからないのに、踏切内に止まっていたことだけで、踏切通行者が列車の往来を邪魔し、危険だとされ、列車往来危険罪で書類送検されることもある。しかし、それは、一方的すぎないかと思う。
下のような踏切の写真をみると、路面が悪いことがわかる。線路があるので踏切の中央は盛り上がっているし、自転車で路面の悪いところにつまづいて、動けずに立ち止まっていたら、列車が来てしまったのかもしれない、などと想像することもできる。
この踏切は危険だから、遮断機や警報機を設置するというなら、もっと早く鉄道事業者に対策をとってほしかったと、恨みがましく言いたくなる。
2008年には、3月、5月、6月と、JR東中央線でスーパーあずさが関係する踏切事故が続いた。いずれも、遮断機のない踏切で、通行者が列車の来る直前に踏切に入ってきたとされている。しかし、なぜ、同じような事故が続いたのか、航空・鉄道事故調査委員会(運輸安全委員会の前身)では事故調査はされていない。
鉄道事業者は一方的に通行者に事故の原因を求めるのではなく、踏切事故の原因を十分調査して、同種の悲惨な事故を防ぐ対策に積極的に取り組み、安全な鉄道をめざしてほしいと思う。
2008年3月 事故直後の保健所裏踏切、 路面が凸凹している。警報機・遮断機はない
(写真提供:市民タイムス)
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路面が整備され、ポールも設置された保健所裏踏切 (2009年4月5日撮影)
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遮断機や警報機を設置する工事がすすんでいた 警報機にはまだ、カバーが付いている。
遮断棹はまだ付いていなかった。 (2012年6月10日遺族撮影)
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