報道によると、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の調査で、アメリカの原爆投下により、広島と長崎で二重に被爆した可能性のある人が307人いることがわかった。
同館は、同館に寄せられた被爆体験者の手記約13万3千人分をコンピューターで分析した結果、これまで、被爆地として広島と長崎両方を挙げた人が約160人いるとしていた。
しかし、今回、同館が、新たに寄せられた手記を分析、精査した結果、二重被曝の可能性がある人が307人にのぼることがわかった。今後も詳しい調査をして、数を確定するという。
広島と長崎は直線でおよそ300km離れている。二つの都市に共通する点は、造船所や兵器工場などが多く、戦前は、日本の重要な軍事拠点であったことである。
そのため、戦前、物資が欠乏してくると、これらの工場で働く人々は、この二つの都市の間で転勤や出張をしたり、避難したりしていた。また、長崎の学校に入学などしていた人が、広島に帰省する、または広島で被爆後、長崎の学校などに戻るなど、両市は行き来をする人が多かった。
同館によると、原爆投下後に、両市に入ったのは、負傷者の救護活動や遺体の処理などにあたった軍人や看護師などがめだつということだ。また、両市に工場があった造船所の関係者の中には、両市で被爆した人も複数いるという。
当時18歳だった男性は、軍医を目指して長崎で夏休みも勉強していた。1945年8月9日長崎に落とされた原爆で被爆し、同月13日、実家のあった広島市に帰省した際に、入市被爆したという。また、当時14歳だった男性は、長崎航空機乗員養成所の予備練習生だった。帰省していた岡山県から養成所に戻る途中、広島駅で原爆投下直後の惨状を目の当たりにして、救助活動にあたり放射線をあびた。同月8日午後、長崎の戻り、長崎に投下された原爆で被爆した。
体験記の中には、二重に被爆したとみられる人のケースが数多くあり、同館の担当者は「この7年間で体験記が約2万人分増えたために新たな事実がわかった。原爆投下から67年たち、被爆者たちの体験を語り継ぎたいという思いの表れだと思う。」と話している。
手記を寄せていない被爆者の方や、すでに亡くなっている方の中には、広島・長崎両市で被爆した人が数多くいるにちがいない。二重に被爆した人の実態はいまだによくわかっていないと聞く。
急いで調査をすすめて、実態を把握してほしい。そして、原爆の実態を知らない人たちに伝えていくことが、核兵器をなくすことに繋がっていくと思う。
《参考》
「ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆」 山口彊著 (朝日文庫、2009年)
《参考記事》
「
広島長崎で二重被爆、倍の307人か 13万人手記分析」 朝日新聞デジタル2012年6月2日
0 件のコメント:
コメントを投稿