連続立体化事業は、莫大な費用と時間がかかる。それは竹ノ塚駅付近の高架化事業がすすまなかった大きな理由のひとつだと思う。
また、竹ノ塚駅には東京メトロの車両基地があり、竹ノ塚駅は東京メトロの始発駅であるため、車両が出入りすることが鉄道の高架化を難しくしているともいわれる。高架化すると、列車の出入りが難しいという。
それと、踏切での交通渋滞を回避するため、環状7号線、補助258号線、補助260号線などの道路が、すでに高架化または地下化しているということ。そのため、この区間の鉄道は高架化できないのだという。
竹ノ塚踏切と交差する道路が地域の幹線道路として交通量が多いにもかかわらず、国道や都道ではなく区道(通称赤山海道)だったことも、立体交差化事業が進まなかった理由ではないかと思う。
竹ノ塚駅の南北にある二つの踏切は、それぞれ、複々線の4線に加え、東京メトロの車両基地から出入りするための線を加えた5線がある。ピーク時には遮断時間が57分、24時間遮断時間が15時間をこえる「開かずの踏切」である。
駅南側にある第37号踏切は、幅14m、長さ31.5mある。
2005年3月15日、午後4時50分ころ、踏切事故は、この第37号踏切で起きた。
第37号踏切は、警報機・遮断機のある第1種踏切で、遮断機の上げ下げを踏切保安係が手動で行っていた。事故当時、上げ下げを担当していた踏切保安係が、準急列車が来るのを忘れ、遮断機を上げたため、通行人が多数、踏切内に入った。夕方は自転車で買い物に行ったり、通学のために踏切をわたる通行人が多い。
準急列車の運転士は、踏切内に多数の通行人がいるのを、踏切手前約50メートルのところで気がついて、非常停止のブレーキをかけたが、踏切手前で停止できず、通行人を撥ねた。準急列車は踏切を約225m行きすぎて停止した。そして通行人のうち4名が死傷、その中に私の母(当時75歳)もいた。
事故は踏切保安係が誤って遮断機をあげたことから起きた。そのため、東武鉄道は事故から半年後、踏切の遮断機の上げ下げに人的判断が加わらないよう、第37、38号踏切の踏切設備を自動化した。
又、事故後、踏切内の歩道を拡幅したり、踏切をまたぐ歩道橋が設置された。
事故から1年後に設置された歩道橋には、自転車が渡れるようスロープがつくられており、エレベーターも設置された。
事故後、足立区や地元選出議員、地元町内会、商店街、地元住民などが「竹ノ塚駅周辺鉄道高架化」をもとめる署名活動を展開し、2005年8月には署名数が約22万人にのぼった。これは足立区の人口の約三分の一にあたる。この数字から、踏切事故をなくすため鉄道を高架にしてほしいという願いが竹ノ塚駅周辺の住民だけでなく、足立区民全体の願いだということがいえると思う。
1979年(昭和54年)に区議会で鉄道高架化の請願が採択されてからでも、約30年、地元では「開かずの踏切」の抜本的な解決を求め、国土交通省など各方面に働きかけてきた。
事故から1年後、2008年(平成18年)3月には法律の改正により、それまで連続立体化事業の事業主体は都道府県だったのが、区も事業主体となれることが決まった。
その後は、足立区が主体となって、連続立体化事業の計画決定をめざして計画案の作成や地元への説明会などを進めてきた。
今年3月14日、ようやく東京都都市計画審議会で「都市計画」として審議され、3月末に正式に決定、告示される。長年、地元の人々や事故の遺族は、踏切をなくして、駅周辺東西一体となって発展してほしいと願ってきた。その痛切な願いに、実現のめどがたつ。
正式決定されてから、実際に事業に着手するのは平成23年度だという。実際に、工事の音が竹ノ塚駅に聞こえてくるのはもっとあとになるだろう。
鉄道の高架化が完成するまで、まだまだ長い年月がかかる。立体化事業に携わる方々のご尽力に深く感謝するとともに、ふたたび悲惨な踏切事故が起きることのないよう、関係者の方々には、今後も引き続き十分な安全対策をとっていただきたいと思う。
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