歩道橋は、朝霧駅を出てすぐ、国道を跨いで造られており、幅6m長さ100mほどある。歩道橋を、朝霧駅から大蔵海岸の方へ向って歩いていくと、歩道橋を下りる階段は右片側にしかなく、階段の幅も3mと、橋よりも幅が狭くなるボトルネック構造である。そのため、一つしかない階段に人が集中し、歩道橋の踊り場には当時花火見物をする人が滞留し、駅から来る通行人と夜店が立ち並ぶ歩道から階段を上がってくる人とで、身動きが取れない状況になった。事故当時、橋の上には、1平方メートル当たりに13~16人の人が集中。雑踏警備では、1平方メートル当たり6~7人の密集状態になると、分断規制の対応をとるのが常識だという。
国道から見た明石歩道橋 左側に朝霧駅がある。右側に幅3mの階段がある。 2007年7月撮影 |
朝霧駅から、大蔵海岸に向かう迂回路もあった。元明石署長や元副署長らは、そういった誘導等をする警備計画をつくらなかったし、当日も、明石署内のモニター画面や無線で花火大会会場や歩道橋の様子を把握できたのに、現場の担当者への雑踏事故防止の指示を怠った。
この明石歩道橋事故の7か月前の2000年12月31日、 同じ会場で行われたカウントダウンイベントの際、歩道橋の上では、異常な密集状態となって、雑踏事故の一歩手前だった。民事裁判判決では、元明石署署長らがこのときの雑踏警備計画を見直し、7月の花火大会の際に、分断規制や入場規制などの雑踏事故防止の対策をとっていれば事故を防止できたと指摘している。
検察は、検察審査会が「起訴相当」の判断を2回出したにもかかわらず、元明石署長や副署長らを不起訴としてきた。しかし、2010年4月、神戸第2検察審査会の「起訴議決」を受けて、全国で初めて指定弁護士によって、元明石署副署長が強制起訴された。(なお、元明石署長は2007年に死去している)
今日2月20日、事故から11年7か月たって、ようやく当時の責任者が裁かれるかと思われた。しかし、神戸地方裁判所の奥田哲也裁判長は、「被告の過失は認められない」としたうえで、起訴時点で公訴時効が成立していたとして、有罪か無罪かの判断をせずに、裁判を打ち切る「免訴」(求刑禁錮3年6カ月)を言い渡した。
検察役である指定弁護士は、「共犯者の裁判中は時効の進行が停止する」との刑事訴訟法の規定に基づき、元副署長は起訴時点で裁判中だった元地域官(その後有罪が確定)と共犯関係にあり、時効は成立していないと主張。また、明石署にいた元副署長と事故現場にいた元地域官は「混雑状況の情報や人員を補充し合わなければ、事故防止策はとれず、2人は共犯関係だった」と主張した。
今回の裁判では、現場の地域官だけでなく、事前に雑踏警備計画を責任もって作成し、事故を防ぐために現場の担当者を監督しなくてはならなかった明石元副署長らの業務上過失致死傷罪を問わねばならなかったはず。
検察は、2002年12月に当時の明石署長(故人)と副署長を不起訴にして以来、検察審査会のの「起訴相当」(11名中8名が起訴に賛成)の議決が2回出たにもかかわらず、また検察審査会法が改正された後も2回「起訴相当」の議決が出されたにもかかわらず、通算4度も不起訴を繰り返した。
もし、明石署長が存命であれば、裁判の中で、もっと明らかになったことがあったに違いないと思うと、検察のしたことは、事故原因の究明と今後の再発防止にとっても、大きな誤りだったのではないか。
現場の担当者である地域官だけを処罰して裁判を終わらせるのではなく、地域官を監督する立場にあった人の責任を明確にし、事故の真相を解明することが、亡くなった方々や遺族や被害者の思いに答えることではないかと思う。
歩道橋内にある慰霊碑「想」の像 2007年7月撮影 |
《参考記事》
「強制起訴の元副署長、時効成立で免訴 明石歩道橋事故」朝日新聞デジタル 2013/02/20 12:27
http://digital.asahi.com/articles/OSK201302200017.html
「(社説)歩道橋判決 混雑警備に残した教訓」朝日新聞デジタル 2013年2月21日
http://digital.asahi.com/articles/TKY201302210533.html
《参考》 拙ブログでも、以前「明石歩道橋事故」について、とりあげた。
ラベル「明石歩道橋事故」を参照
「明石歩道橋事故、元明石署地域官ら実刑確定へ…最高裁が上告棄却 」 2010年6月5日 http://tomosibi.blogspot.jp/2010/06/blog-post.html
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