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2012年1月11日水曜日

JR福知山線脱線事故、前社長に無罪判決

 報道によると、乗客106人と運転士が死亡し、562人が負傷した2005年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長の山崎正夫被告(68)の判決が11日、神戸地裁(岡田信裁判長)で言い渡された。
 岡田信(まこと)裁判長は「現場カーブで事故が起こる危険性を認識していたとは認められない」と判断し、検察の求刑禁固3年に対して、無罪を言い渡した。 

 
 事故は、2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR福知山線の急カーブで起きた。快速電車が制限速度を46キロ上回る時速116キロでカーブに進入、曲がり切れずに脱線し、線路沿いのマンションに激突し、乗客や運転士107人が亡くなるという悲惨な大事故になった。

 現場のカーブは、当初、半径600メートルだった。1996年12月、別路線との直通運転を円滑にする目的などで、半径304メートルの急カーブに付け替える工事が行われた。
 
 最大の争点は、工事完了時に安全対策を統括する常務鉄道本部長だった山崎前社長が、現場カーブの危険性を認識し、事故を予測できたかどうかという点だった。

 検察側は、急カーブ化などで、「現場はJR西管内でも最も危険性の高いカーブになった」と指摘した。そして、前社長が危険性を認識しながら、現場カーブに自動列車停止装置(ATS)設置を設置しなかった過失は重いとして、禁固3年を求刑していた。

 これに対して、弁護側は、現場急カーブでは、工事後約8年間、列車が60万回以上安全に運行した点などをあげ、事故の予見可能性を否定した。「当時の鉄道業界で脱線の危険性の観点から、個別のカーブを選んで、ATSを設けた例はなかった」などとして、山崎前社長の無罪を主張した。
山崎前社長も「運転士が制限速度をはるかに上回る速度でカーブに進入するとは思わなかった」と事故を予測できなかったと主張した。

 また、裁判では、事故後、兵庫県警の依頼で事故の鑑定を行った松本陽氏(事故当時独立行政法人交通安全環境研究所員、現運輸安全委員会鉄道部会長)が、半径600メートルから304mに付け替えられた際、カーブ手前との制限速度差は、最大で50キロに拡大した点について、「相当例外的。大きな減速を必要とする箇所は、(安全対策上の)重要なファクターという考えは昔からあった」と指摘し、国の省令で線区の最高速度が110キロ以上の場合、カーブの半径は600mにとどめるべきだとしていることを紹介した。そのうえで、「現場カーブはリスクが高く、速度をチェックできるATSの設置が適当だった」という見解を示したという。松本氏は、いつ設置すべきだったかについては、「判断できない、事故後に鑑定書を作成した時点での認識」とした。

 この事故で、娘の中村道子さんを亡くした藤崎光子さんは「JR西の企業体質は事故前と変わっていない」と失望していた。捜査段階では、現場カーブの危険性を認めたとされる同社関係者までが、裁判では態度を変えて、弁護側主張に沿って証言、「組織を守る」という社風を痛感したという。
 藤崎さんは「幹部が法廷に立つことで事故原因が明らかになる。再発防止に向けてJR西が変わるきっかけになればよい」という思いで、初公判を傍聴した。しかし、前社長は予見可能性を否定した。藤崎さんは「本当に危険性を認識していなかったのか」と疑問に思った。
 藤崎さんは、捜査資料を閲覧するため、神戸地検に通い、コピーなどはできないため資料を書き写した。ファイルにとじた資料は前社長分が11冊、歴代社長分が15冊になる。藤崎さんは、「すべての裁判を見届けて責任の所在が明らかになるまで死ねない」と語っているという。

 今回の判決で、前社長の刑事責任は問われなかった。また、刑事裁判が個人を処罰するものであるため、JR西の組織としての問題点が問われることはなかった。
 しかし、裁判長が判決の中で「JR西には、鉄道事業者に要求される安全対策の水準に及ばないところがあった」と指摘したという。刑事裁判の無罪判決がJR西という企業を免責するものではない。むしろ、JR西に、事故の再発防止という大きな課題が残されたままであることに変わりはない。
 事故の被害者に真しに向き合って事故の原因と責任を明らかにしていくこと、同じような事故を二度と起こさないため企業体質を見直していくことが必要だと思う。

 
 
《参考記事》
「JR脱線事故、山崎前社長に無罪 『危険性認識できず』」朝日新聞2012年1月11日http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201201110063.html
「JR西は再発防止に全力を 前社長無罪」産2012.1.11 13:06

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