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2010年3月10日水曜日

東武伊勢崎線竹ノ塚踏切事故から5年 (1)

 2005年3 月15日午後4時51分頃、東武伊勢崎線竹ノ塚駅構内の手動式踏切(第1種、警報機・遮断機あり)で、横断中の歩行者ら十数名のうち4名に、上り準急列車が高速で衝突、2名が死亡、2名が重傷を負いました。
 その中に、私の母もいました。


 この踏切事故は、踏切保安係が遮断機を上げた直後、遮断機が上がったので踏切を横断し始めた歩行者を、時速90キロメートルで進入した準急列車が次々とはねるという悲惨な事故でした。

 事故は、当時、手動で遮断機の上げ下げを担当していた踏切保安係が、踏切詰所の早上げ防止鎖錠装置(急行が通過するときは遮断機を誤ってあげないにようにするロック)を、作業内規に定められた「鎖錠器は、原則として解錠してはならない」という規定に反して解錠し、準急列車が来るのを忘れて、警報音を消したまま、踏切遮断機を上げるという操作ミスが原因で起きました。

 しかし、事故は、単に踏切保安係の偶然の過失のみによって引き起こされたのではありません。東武線へは東京メトロ日比谷線、半蔵門線が乗入し、竹ノ塚踏切を通過する列車が1日900本以上という過密ダイヤになっていました。
 朝夕のラッシュ時には、1時間のうち57分も踏切が閉まったままという状態で、踏切が開くのを待つ通行人や車両で、交通渋滞が起きていました。(開かずの踏切)

 このような深刻な交通渋滞を避けるために、踏切保安係らは、日頃から、安全装置を解錠して、警報機の音を消すという、内規違反の行為を行なって、遮断機を上げ下げしていました。

 踏切を通過する列車が増加するなど、踏切をとりまく環境の変化に対し、事故を防ぐ体制が整備されるべきでした。
 しかし、鉄道事業者は、従来どおりの手動踏切のままで、熟練した踏切保安係の経験と勘にたよった遮断機操作によって、開かずの踏切を運用していました。
 踏切保安係の元同僚が、公判で、「いつ事故が起きるかもしれない、ひやりとした経験がある」と証言したように、現場の係員らは、踏切が危険だと感じていたのでした。
 長い間、何重にもとられていたはずの安全装置が働いていないという事態が続く中で、事故は起くるべくして起きてしまったのです。

 
 事故から、半年後、手動で遮断機を操作するのは危険だということで、踏切は自動化されました。
踏切は、遮断機が上がったと思うと、すぐまた警報機が鳴りだし、急いで渡らねばならず危険なため、踏切の両側には、警備員が常時配置され、踏切を渡る人を誘導しています。
 事故から、1年後には、踏切横に駅の上をまたぐ形で歩道橋が設置されました。自転車が渡れるようにスロープがつけられ、お年寄りや障害のある方が渡れるようエレベーターも設置されました。
 
 しかし、踏切に歩道橋ができたからといって、開かずの踏切であることに変わりはありません。
 鉄道の高架化によって一刻も早く、踏切がなくなること、そして二度と同じような事故が起きないことを願わずにいられません。
 
 
 
写真は、竹ノ塚踏切。遮断機などは自動化され、歩道橋が設置された。
警備員が踏切の両側に配置されている。
(2009年8月撮影)

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