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2015年3月10日火曜日

東京大空襲から70年~民間人の被害を記録し、継承する

 1945年3月10日未明に行われたアメリカによる無差別爆撃。一夜にして、東京の下町一帯は、焼け野原と化し、10万人もの人が亡くなった。私の母の親戚や、恩師の家族もこの空襲で亡くなっている。
 熱く燃えさかる炎の中を逃げまどい、行き場を失って倒れていった人々に、思いをはせる。戦後の平和はあなた方の犠牲の上に築かれているのだと。私たちは、空襲で無念に命を絶たれた人たちのことを忘れないと。

 作家の早乙女勝元氏(82歳)は、1945年3月10日の東京大空襲のとき、当時の向島区に住んでいた。国民学校の高等科1年で12歳だった。自宅は焼け残ったが、2か月後の空襲では、隣の中学校が一瞬にして焼けるなど、危険だったという。

 1970年に「東京空襲を記録する会」をつくり、74年までに「東京大空襲・戦災誌」全5巻を刊行した。早乙女さんは、844編もの体験記が集まったのは、当時ベトナム戦争があったからだという。当時、日本の沖縄から北ベトナムへ、B52爆撃機が飛び立っていく。そのことへ心のうずきを持つ人たちが、あらためて自分たちの戦争体験、空襲体験を振り返り、体験をつづったのだという。
 戦争体験に憲法9条が重なり、戦後の平和の礎となった。
 戦争当時の国際法でさえ禁じられていた民間人への爆撃。
 なぜ、軍人や軍需工場だけでなく、無差別に民間人を爆撃をしたのか?市井に暮らす罪もない人たちをなぜ爆撃したのかと問い続け、被害の実態を語り続けてきたが、早乙女さんら体験者が語り継ぐことが、戦後から70年がたち、限界に来ている。
 早乙女さんは、さまざまな形で、戦争の体験を継承することを考えなくてはならない時だという。絵でも、コミックでも、映画でもよい。早乙女さんら戦争体験者が、「東京空襲を記録する会」から「東京大空襲・戦災資料センター」へと発展させてきた体験の継承を、次の世代が引き継ぎ、平和の礎を守り固いものにしていく必要があるのだと思う。

    ~東京大空襲から70年の夜に~

≪参考記事≫
「社説 東京大空襲 被害と責任見つめ直す」朝日新聞2015年3月10日
http://astand.asahi.com/column/editorial/DA3S11641425S.html
「戦後70年 空襲、街ごと標的 火の海に」朝日新聞2015年3月10日
 http://digital.asahi.com/articles/ASH2T624YH2TTIPE01T.html
「伝言 あの日から70年 防空法で犠牲拡大 空襲時『逃げずに消火』」東京新聞2015年3月4日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/Postwar70th/dengon70th/CK2015030402000204.html
「東京大空襲70年 民間人被害、継承は生存者の使命 作家・早乙女勝元さん」
朝日新聞2015年3月9日 http://digital.asahi.com/articles/DA3S11640237.html
 
 

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