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2011年5月18日水曜日

信楽高原鉄道事故~鉄道事故の再発防止をもとめた20年

 5月14日、信楽高原鉄道とJR西日本の列車が正面衝突した事故で、42名の方が亡くなった事故から20年がたった。甲賀市信楽町黄瀬(きのせ)の事故現場近くの慰霊碑の前では、遺族や関係者ら約300人が集まって法要が営まれた。

信楽高原鉄道事故の慰霊碑
                                              2011年5月14日撮影
   事故は、1991年5月14日午前10時35分ころ、滋賀県旧信楽町で開催されていた「世界陶芸祭」に向かうJR西日本の京都発信楽行き臨時列車と、信楽高原鉄道(SKR、単線)の列車が正面衝突、3両が大破した。42名の方が死亡、負傷者は614名にのぼった。

 事故は、SKRが、信楽駅の出発信号が赤信号のまま青に変わらないため信号を無視して列車を発車させたこと、その際には区間に列車がいないことを確認しなくてはならないのに、確認しないで発車させたことから起きた。
 
 しかし、その背景には、SKRに乗り入れているJR西日本が、単線で自社の列車を優先的に進行させる信号制御装置を、SKRに無断で設置していたという事情がある。他社の線に対する方向優先てこの設置が、SKRには知らされていなかったことが、SKRに赤信号を無視するという無謀な運転をさせることになった。

 一方SKRも、事故前にもたびたび信号の不具合が起きていたにもかかわらず、原因を突き止めずに列車の運行を続けていた。事故当時、SKRは「世界陶芸祭」の来場客の輸送に追われ、区間内に列車がいないことを確認しないで、列車を出発させた。

 遺族は、事故原因は両社の過失にあるとして民事裁判を提訴した。1999年、大津地裁は、JR西とSKRの過失を認め、遺族に損害賠償することを命じたが、JR西は控訴。2002年、大阪高等裁判所は、JR西の過失を認め、JR西は上告を断念、高裁判決が確定した。J遺族が、R西日本社長から謝罪のことばをひきだすまでに、事故から実に12年がたっていた。

事故現場は線路がカーブしており、木が繁っていて見通しが悪い。
JR西の列車が来た方を見る。信楽事故慰霊碑の横で撮影 2011年5月14日
   事故の現場は、線路がR300のカーブで、木々が茂っているため見通しが悪い。そのため、列車同士はお互いに直前まで気がつかなかった。スピードを落とす間もなく正面衝突したのだろう。

 事故で、妻を亡くした吉崎俊三さん(77歳)は、法要のあいさつで「悲しみと怒り、寂しさが相乱れる日々を乗り越えてきた。二度と事故を繰り返さぬよう再発防止に全力をあげてほしい」と語った。

 吉崎さんら信楽の遺族たちは、長い年月、鉄道事故などの事故調査機関をつくることにも力を注ぎ、鉄道はじめ運輸の安全をもとめてこられた。二度と悲惨な事故をおこさないため、私たちは、鉄道の安全を求める信楽の遺族の思いも受けついでいこうと思う。

 鉄道などの事業者、行政、自治体など公共交通の安全に関わる方々には、吉崎さんら遺族の思いを大切にうけとめ、運輸の安全性の向上に努めてほしいと、切に思う。

慰霊碑の入口にある「安全の碑」             2011年5月14日撮影

 
 事故から20年を機に、慰霊碑のそばには「安全の鐘」が建立された。信楽事故の遺族や日航機墜落事故、福知山線脱線事故の遺族らがいっしょに「安全の鐘」をつき、鉄道の安全を願い犠牲者の冥福を祈った。















 《参考記事》
「信楽高原鉄道事故:20年法要 安全への決意新た 福知山線事故遺族らも参列 /滋賀」
【柴崎達矢、前本麻有】
http://mainichi.jp/area/shiga/news/20110515ddlk25040288000c.html

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